【心得帖SS】報連相・ほうれん草
(大住有希…やってしまいました)
深々と丁寧に頭を下げながら、有希は心の中で反省の弁を述べた?
お客さまが注文された品物を準備出来ない、いわゆる【欠品】は、メーカーとして最大限回避するべきリスクである。
幸い他社の類似品が比較的スムーズに手当が付いたので先方の担当者には笑って許して貰えたが、一時的な在庫不足で迷惑を掛けてしまったことには変わりない。
(動きの読めない新商品は、初回以降の販売動向データをこまめに確認しておくべきでした)
先日居酒屋で隣課の先輩、住道タツヤにメーカー営業担当者のレクチャーを受けて以来、調子が右肩上がりだっただけに、初歩的なミスを招いてしまった自分の不甲斐無さに胸がキリリと痛くなる。
「さて…大住」
彼女の隣に並んで同じように頭を下げていたインテリ風の壮年男性が、眼鏡の縁をクイっと上げて言った。
「事務所に戻ったら反省会だな」
「はい…すみません、長尾リーダー」
営業一課のリーダー、長尾圭司は見た目そのまま「クール」が服を着て歩いているような人物だった。上司や同僚からは「チョーさん」と呼ばれているが、一部の女性陣からは「長サマ❤︎」と言われているらしい。
(壁ドンとか顎クイとか良く分からないけど、私は少し苦手なタイプなんだよなぁ)
長尾は有希が入社したときのトレーナー(指導係)だったが、彼の指導は本当に厳しく、上手く出来ない悔しさも相俟って何度かトイレに駆け込み涙を流したことがあったのだ。
その時の記憶をやや引き摺っているのか、同じ課でありながら彼女はいまいち長尾との距離を測りかねていた。
「さて、大住」
事務所に戻り小会議のテーブルに着くやいなや、長尾は口を開いた。
「…はい」
お腹に少し力を入れて、有希が身構える。
「まず最初に言っておきたいのは、ミスは誰にでも起きるということだ」
「え?」
「…やっぱり勘違いしていたか」
ふうと息を吐いた長尾は、切れ長の瞳のラインをやや緩やかにしながら話を続けた。
「単にミスをしたことを頭ごなしに責めるつもりはない。起こってしまったものは冷静に受け止めて原因を分析、同じミスを起こさないよう次に繋げることが大切だからね」
「すみません、てっきり2人きりの個室で厳しい教育的指導が待っているのかと思っていました」
「僕を何だと思っているんだ?今そんなことしたら大変だよ」
思わず頭を抱えた長尾を見て、有希はおずおずと尋ねた。
「それでは、私が呼ばれたのは…?」
「うん、大住にはこの機会に【正しい報連相】を覚えて欲しいんだ」
「ホウレンソウ…報告・連絡・相談ですね」
有希の返答に頷いた長尾は、ホワイトボードに大きな横矢印を書いた。
「今回の事象を時系列で言えば、大住が相手先からの事前発注を元に在庫を確認、欠品リスクを察知したのが今週の月曜日。そこから大住自身が様々なリスク回避策を立案実行したが在庫の復元レベルに至らず、デスクで青い顔をして座っているところに私が声を掛けたのは木曜日。そして今日は金曜日」
矢印に縦棒を書き足していった長尾は、月曜日から木曜日を丸囲みした。
「リスクの変化点は月曜日だった。ここで軽く一報を入れて貰うだけで、その後の動き方が大きく変わってくる。分かるね?」
有希はぐっと唇を噛み締めた。
「確かに私、あの時は自分で何とかしなければという気持ちばかりが前に出てしまっていました。申し訳ございません」
至極的を得た指摘だったので、深々と頭を下げる有希。
「あ、いや違うんだ大住。そこは謝らなくていい」
少し慌てた長尾は、彼女の謝罪を手で制しながら続ける。
「担当者として最後まで責任を持ってやり遂げたい、という信念と粘り強さは大住の良いところじゃないか。昔から言い訳ひとつしない一方で、自分ができない悔しさに対してだけは涙を流していたくらいだから」
「わっ、えっ長尾先輩!私が裏でこっそり泣いていたの気付いていたんですか⁈」
思わず昔の口調で返事をしてしまう有希。
「分かるよ、僕は大住のトレーナーだったからね」
そう笑って応える長尾は、普段あまり見せることのないとても柔らかな表情をしていた。
「…これが無自覚イケメンというヤツか」
「ん、何?」
「いえ、何でもありません。報連相の話に戻りましょう」
幾分普段の雰囲気を取り戻した有希は、長尾に話の続きを促した。
「そうだな…大住は【上司の役割】って何だと思う?」
「難しいですね…今パッと頭に浮かんだのは稟議書や会計伝票をひたすら承認する作業でした」
長尾からの問い掛けを聞いた途端、先週末に寝屋川課長が『くっ、鎮まれ俺の右腕っ!』と言いながら、山積みになった書類に次々とハンコを押印していた姿を思い出してしまい、頭から消えなくなったのだ。
長尾も同じ光景を思い浮かべたのか、「事例が悪い…」と首をブンブン横に振って咳払いをした。
「…マネジメントの父、ピーター・ドラッカー氏は、成果を出し続ける組織であるため、マネージャー(上司)は自分自身やメンバーを【創造的】にすることが重要、と唱えているんだ」
「…創造的」
「少し難しい話になったけれど、僕も寝屋川課長も、同じチームとして成果を最大化させるためにメンバーが前を向いて楽しく仕事をして欲しい、何か問題が発生したときは全力でメンバーを守って支援したい、と考えているんだよ」
このとき有希は、普段から気難しい顔をしている長尾に隠された本当の気持ちが垣間見えたような感覚を受けた。
「長尾リーダー、有難うございます。そこまで私たちのことを考えていただいているとは思いませんでした」
小会議のドアを静かに閉めながら、有希は微笑んでそう言った。
「ああ、今日は少し話しすぎたようだな。反省しよう」
照れているのか、長尾は口元を隠して明後日の方向をむいている。そんな彼の横顔を見て、有希は脳内のデータを上書き補正する。
(不器用な、いい上司、いい先輩だな)
手帳と筆箱を左手に持ち替えた彼女は、長尾に歩調を合わせて言った。
「基本中の基本ですが、やはり大切ですね、報連相は」
「ああ、そうだな」
「…ホウレンソウか、いいじゃないか」
その時、オフィスの向こう側から寝屋川がひょこひょこと二人の方に歩いてきた。
「聞こえたよ。確かに大住クンには必要だね」
「はい、これからホウレンソウを頑張ります」
胸を張って応える有希の口調に、はてと少し首を傾げた寝屋川は彼女に問い掛ける。
「いやいや、そんなに気合を入れて凝ったものを作る必要ないと思うなぁ。おひたしとか、油揚げと合わせた煮浸しとかで充分だと思うよ」
「えっ!?」
「…ボス、真面目に言っているのかボケているのか分かりづらい話はやめてください。マイナス300点です」
「相変わらず厳しいなぁ長尾クン!」
本気で野菜のほうれん草と勘違いしていた寝屋川に、やれやれと肩をすくめてドSな反応を見せる長尾。
営業一課の名コンビを眺めながら、有希はこの2人のためにも自分自身のレベルアップを図っていこうと深く心に誓ったのだった。