扉と鍵

成功という名の扉を

開けるには

努力という名の鍵が

必要だ

希望という名の扉を

開けるには

信念という名の鍵が

必要だ

愛という名の扉を

開けるには

心という名の鍵が

必要だ

扉を開けるには

相応の鍵が必要なのだ

鍵の形や大きさは

扉によって変わるもの


どこに落ちているのかも

誰が持っているのかも

わからない中で

誰もがそれぞれの前に

立ちはだかる

たくさんの扉の鍵を

一つ一つ懸命に

探してきて

これから先も

探していくことだろう

僕も今鍵を探している

求めなければ

見つかることのない鍵を

必死に探している

なぜそんなに鍵を

探すのかって?     

それは扉の向こうに

新たな道があると

信じているからさ
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久々に昔々の詩をお届けします~!
夏は本当に短いですね~'`,、('∀`) '`,、
もう秋がすぐそこまで来ていると思うと、この夏はなにもしてないなぁーと悲しくなります(´Д`)笑

さてさて、突然ですが皆さんは扉は閉めるもの開けるものどちらだと思いますか?
どっちでもいいはなしです笑
菜っ葉は開くものだと直感的に思いました。
扉は最初、大体閉まっているものだと思うんですよね。それを開けることから、閉めるという概念が生まれるものだと思うのです。
例えば最初から扉が開いていたら、そのまま入りますが最初から開いていたことを理由に閉めるということはマストではないと思います。状況にもよりますが。あくまでこれは個人的な観点です。
礼儀作法や風習といった観点は全て除外します笑
開けたら必ず閉めましょう…とかね?笑

では、心の扉はどうでしょう。
誰もが持っているであろう心の扉は、開けようとしても開くものではありません。
かといって、開けようとしていないのに気付けば開いていたりするものでもあります。
心を開くということは即ち、心の扉を開けるということが言えると思うんですよね。
何重にもなっている心の扉は、ある時は思いやりが、ある時は優しさが、ある時は愛が、鍵になっていて、少しずつ開いていくものだと思います。
心の扉が開いたとき、本当に心から笑った顔や本音が聞けるんだろうと思います。
扉を開いた先に、まだ見ぬ景色や世界が広がっているかもしれないと思うと、わくわくしますよね。
扉はやはり開くものではないでしょうか。

では続いて、例えば開いていた扉が閉まっていて、いつも通りの鍵でも開くことができなかったら、どうでしょう。
鍵を間違えた?
この扉は今までと似て非なるもの?
鍵が変わった?
鍵は合っている…この場所でこの扉に間違いはない…鍵が変わったなんて知らされてない…なぜ?と頭の中はなぜ?で埋め尽くされます。
その扉の向こうに行く理由があれば、また鍵を探さなくてはなりません。
何重になっているかもわからない、いくつ必要なのかもそもそもわからない、またゼロからのスタートを始める必要があるのです。
扉を開けることができたとしても、また気付けば勝手に閉まっていて入れなくなっていたり、出られなくなっていたりすることがあることを想定すると、解錠すべき扉はちゃんと考えなくてはいけませんね。

ただただ目の前の扉を闇雲に開けていては、その先の道が途切れてしまっていることに気付けないかもしれませんからね。
鍵を開けることも大切ですが、もっと大切なのはその扉の向こう側の世界であることを忘れてはいけないのだと何だかこの詩を読んで考えさせられた菜っ葉でした🤔

最後まで読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m

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