酸っぱいチェリー

あのチェリーは

きっと不味くて酸っぱい



ピカピカ照り紅く

輝いて傷一つない

誰が見ても

キレイで美味しそう

きっとそう思う

でも

手を伸ばしても

決して届きはしない

目の前にあるのに

すり抜けてしまって

掴めない

風が吹けば揺れ

仲良く並ぶ実が

弾け合う

そこにあるはずなのに

この手では掴めない

だから

あのチェリーは

きっと不味くて酸っぱい

そう思って諦める

傷付きたくはないから


ここで本当に大切なことは

そこにチェリーは実在しているのかということでも

キレイだったら美味しいのかということでも

不味く酸っぱいものなんだと決めつけることでも

取れないなら他を探せばいいという問題でもない

なぜ

すり抜けてしまって

この手では掴めないのかということ

なぜこの手で掴めないのか

掴むためにはどうするべきか

どうしたら掴めるのか


何千何万ピースのパズルを

一瞬で解けと言われているようなもの


だったとしても


世界で一つだけの存在を

そんな簡単に諦めていい理由にはならない
********************
さくらんぼと呼ぶか、チェリーと呼ぶかで印象って変わるなぁと言葉の不思議に惑わされている菜っ葉です🙃どもー。今日はお酒に浸りました🍸️んまい😋✨

さぁてさて、心理学、イソップ物語で、酸っぱい葡萄というものがありますが、完全にそれをモチーフにしてまーす🤣
狐と葡萄が繰り広げる物語ですが、人間である以上はこの心理的防御機能は常に働いているんでしょう。
狐にも働いているのか、というのは今回は触れないでおきます🤗

この酸っぱいシリーズ(?)ですが、つまりは何か目的や希望があって、それらが叶わないとわかった時に、きっと叶っていても嬉しくなかっただろう、と諦めることを肯定する自己防衛機能や自己正当化をわかりやすく表した言葉や物語をいいます。

人の生活にも日常的にありふれている現象ではないでしょうか。
諦めることを正当化することで、諦め癖がついてしまうのではないかと僕は心配になります。
いつまでも一つのことにこだわり続けて、結果的に何も実らなかったとしたら、それは失敗だと世間は笑うでしょう。
でも、実らなかったら、それは本当に失敗なのでしょうか。そこまで得られた情報や試行錯誤によって得られた結果は、貴重な資料になります。

諦めも肝心なんて言葉もありますが、諦めたらそこで試合終了という言葉の方が好きです。
何かを目指して、成功している人は諦めないで続けた人が多いです。まぁ当たり前だといわれればそうですが、諦める人は目の前に成功が近づいていることに気付いていないことが多いのでしょう。
率直に、勿体ないですよね。見えないことだとはいえ、目前にあるとわかっていたら、諦めませんよね。
どの位置まで来ているかがわからないから、その時の気持ちに負けてしまうのでしょう。

諦めるのはいつでもできます。
今しかできないことだったんだと気付いた時、取り返しがつかない状態は避けたいものです。
少なくとも悔いが残る諦めは、無くしていきたいものですね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m


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