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極端に大きいものか、極端に小さいものか。〜「続・ゆっくり、いそげ」を読んで〜

日曜日、文学フリマというイベントに終了1時間前にすべりこんだ。twitterで「続・ゆっくり、いそげ」が販売され、著者の影山さんがいると知ったからだ。

影山さんは国分寺でクルミドコーヒーというカフェを行なっている。昨年は2店舗目となる胡桃堂喫茶店をオープンしたり、その他にも出版業や書店業、地域通貨なども行なっている。(マッキンゼーで働いていたこともあるらしい)

そんな影山さんが書いた「ゆっくり、いそげ」は、副題が「カフェからはじめる人を手段化しない経済」とあるように、ギブアンドテイクの資本経済以外の経済循環の話をしている。こんなふうに書くとわかりづらいが、例えばこんな感じだ。

そこではコーヒー一杯の値段は六五〇円。目の前一〇〇メートルのところにあるコーヒーチェーンでは、その三分の一の値段でコーヒーが飲める。そして、そちらの方が駅から近い。

 確かにこのように記号化してしまうと少し不思議な感じだ。なぜ人はわざわざ三倍の値段を払ってまで、よりアクセスの悪いコーヒー屋にまで足を運ぶのか。 (「ゆっくりいそげ」より抜粋)

その理由は店主の考え方が好きだからかもしれない。メニューがレトルトではないからかもしれない。こだわりの食材を使っているからかもしれない。

そこにある価値は「多くの人に、普遍的に認められる価値」ではない。
「値段が高かったとしても、そこに別種の価値があればいい」と思ってくれる人と、どうやって経済を循環させるのか。そんな内容が「ゆっくり、いそげ」では書かれていた。

***

その本の続編である「続・ゆっくり、いそげ」が出た。私はちゃっかりお話もしてサインももらってきた。読んでみると、こちらもどんなふうに循環していくのか(経済)という話なのだが、今モヤモヤしていることのヒントになるような散りばめられていた本だった。

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例えば、「自分には価値がある」という自信を持っていないと辛い、とか
例えば、「世のため人のため」に自己犠牲をしたり、とか
例えば、自分のやりたいことがわからない、だとか。
そんなことのヒントが、場づくりや会議の仕方やチームメンバーのことを通して伝わってくるような本だった。

そんななかで、とりわけ印象に残った部分がある。

このまま行くと、極端に大きいものか、極端に小さいものしか、生き残れなくなるだろうなと思う。経済で言えば、合理性や効率性をつきつめた大企業か、そうした大企業との競争から離れ、自分自身の生活費が稼げればいいというような個人か。 なぜならそれこそ、生産性を究極にまで高めようと思った社会の「理想の姿」だからだ。(「続・ゆっくり、いそげ」あとがき より)

ああ、そうだなと思った。
極端に大きいもののおかげで、モノが安く手に入る。でも、なんとなくそれは不具合も起こしていて、心や体を壊したり、人を一つの歯車のように見てしまう。

それが嫌だって思った人は極端に小さいものへと移る。小さい経済圏に行って、自給自足のような生活をする。でも、それって不便を受け入れることだから、移るにはハードルが高いなって私は思う。

中間が、ない。
人を人として考えることができて、でも身内だけにはならないような経済。本を読んで最近考えている「消費3.0」もここを目指しているのが根っこなんだろうなと思った。みんながちょっぴり不便を分け合うような世界。

でも、それの答えは見つかっていない。
どうすればいいのか、わからない。

本にはそのヒントが書かれていた。

では、問いを変えてみてはどうだろう。「一人一人が大切にされる社会をつくるには」「自然や、情緒や、人のやさしさや、金銭換算されにくい価値を大事にできる社会をつくるには」

この問いを持って、また少し考えてみようと思う。

#読書 #本 #続ゆっくりいそげ #クルミドコーヒー #胡桃堂喫茶店 #経済 #働き方 #社会 #ソーシャルデザイン

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