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私小説、まえがき(1)

カバー画像は「subarasikiai」さまの写真を拝借させて頂きました…この場を借りて、御礼申し上げますm(__)m

さて…本題に入りますが…私小説を書こうと思っています。

私の周囲にある「誰か」を小説にしてしまうと、作中にて、その「モデル」となった方が、現実世界にて特定されてしまった場合、ご迷惑になるかもしれず…だったら、自分のことを主人公にして書けば良い…と、そのように思った次第です。

テーマは「LGBTQ」です。

ここで「カミングアウト」しますが…わたし自身が「性的少数者」です。

しかしながら、それを「隠して」生きてきました。

それは、これからも変わらないと思います。

今の日本において「性的少数者」として生きるには、現状が、あまりにも過酷なので、わたしは、仮初にも、自分の「生物学的性」である「男性」であることを、受け入れて、人生の最後まで、生きようと思います。

自分が、本当は「何者」なのか?は、現実とフィクションの領域が「あいまい」である「小説」の世界でないと「告白」できないと、そう判断して、自分の「ありのまま」は「読み物」という「文学空間」にて、赤裸々に書こうと思っています。

その私小説を「書く」ための「マガジン」を、つい最近に作成致しました。

わたしは「MtF」であるのが、本来の、自分の「アイデンティティ」です。昨年11月27日に、10年来交際のあった女性と入籍を致しました。そのときに、自分の「実人生」の選択肢としての「女性」として「生きる」という道は、自ら閉ざしました。ジェンダー(文化的性差)を「男性」として生きることを許容して…特に、この「日本」は、未だに、何かと「男性優位」の社会なので、「男性」として人生を送るほうが、好都合のことが、実生活上、多々あるので、自分の内面、その性別が「女性」であると意識していることは、隠し事として、墓場の下まで、持ってゆく覚悟でおります。

でも、自分が「女性」であった…という「証し」を、何か「残したい」と、そう思ったときに、私小説を書こうと、そう思い立ったのでした。

知人に、ホモセクシャル(同性愛者)の女性があり、彼女から紹介された情報は、わたしを大きく刺激しました。わたしはキリスト者(クリスチャン)でもあるので、クリスチャンとして、性的少数者として「生きる」とは、どういうことなのか?を、自問自答することは、現実には、カミングアウトを経て、信仰生活を送るのが、どれだけ難しいのか?を示す、それらの書籍たちは、わたしにとっては、最終的に「男性」として生きることを選択させた…そんな情報源でした。

ここに、いくつかを紹介しておきます。

わたしは「クィア」という世界認識を、今、書物において学んでいる最中なので、それほど多くの情報を持っていませんが、これからも、図書館などで、関連書籍を漁りながら、やがて書かれるであろう「私小説」の準備に、取り掛かりたいと…そう願っています。

今、現在、わかっていることは、主人公は、クリスチャンの男性で、女性と5年間に結婚式を挙げており、最後の「あがき」として、入籍という…戸籍上、自分が「男性」であることを「認める」かどうかで苦悩する「MtF」の男性を…これは、まったく、私自身の境遇と重なりますが…その「彼女」が登場人物の中心になろうと思われます。

そこから先は、目下、検討中です。

このまま、思いのままに、書き進めてしまってもよいのか…それとも「クィア」について、もう少し、読書にて勉強したほうがいいのか…ここは、正直、現段階では、悩んでいる最中です。

まずは「マガジン」、「M to F」に、今回の記事を格納するところから始めたいと思います。

サポートして頂いた金額は、その全額を「障がい者」支援の活動に充当させて頂きます。活動やってます。 https://circlecolumba.mystrikingly.com/