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コンピュータ前半【5】23歳

転職活動をしてやりたかったコンピュータ関連の会社に何とか入れた。

エピソード1
入社初日に少し遅れてしまった。
入社してからの話を新人にしている部屋にすいませんと言いながら入ると、
総務の部長が前で説明をしていたのですが、
「あなたは誰ですか?」
と言われた。
面接合格という連絡をもらいました。と言って名前を言うと
少し待ってて欲しいと言われて総務部長は何処かに行ってしまった。
少しして戻ってくると
「君の事は聞いてなくて、どうも技術部長が面接も合格も決めたみたいで連絡を忘れてたようです。経歴を見るとウチでは取らないので流していました。初日から遅刻はまずいです。気をつけて欲しい。」
と言われて、ギリギリだったんだなと理解した。
確かに面接も5分遅刻して、面接は5分で終わったので、絶対通って無いと思っていたが、合否の連絡は3日後にしますと言われていたのに何もなかったので僕の方から電話して確認したくらいだったので、そんな事もあるんだなと思った。

自宅から会社までは1時間半くらいかかったが、コンピュータの会社で働ける事が嬉しくて、会社に毎日1番に出社していた。
すると入って1週間くらいで、カギを渡されて、事務所のなかでポットの水の交換や机の拭き掃除などをして他の人の出社を待っていた。
全く苦でもなく本当に楽しかった。

初めの仕事は渡されたプリントアウトされたCOBOLと言うプログラム言語で書かれた物をフローチャートに置き換えてプログラムをしっかり理解出来ているかを見ると言う物だった。

しかし僕はパソコンをもっていなくて、知識がDOSで止まっていた。
人生で初めてのWindowsパソコンを触って衝撃を受けまくっていた。

エピソード2
僕の中でプリントアウトするには、DOSの場合真っ黒な画面に

ドライブどこの何と言う所の中の何と言うファイルをプリントしなさい。

と言う命令を入れてあげないとプリントアウト出来ないと思っていた。
しかしウィンドのなかのプリントすると言うコマンドをクリックするだけでいけると教えてもらい実行した。

クリックすると何か文字が画面にでるが直ぐに消える。
読み取れないので、もう一回クリックする。しかし読めないので更にクリック、コレを何回も何回もした。
かなりクリックしてやっとそこにはプリント実行しましたみたいな事が書いてあるとわかった。

まるほどと思っていると、プリンターの方で別の部署の人が集まって何かを見ていた。
そこで気がついた。
僕のプリントしたい物がクリックをした回数だけプリントアウトされている事に気がついた。
慌ててプリンターの方に行って謝って僕のタスクを消してもらいましたが、90回程あったみたいだった。
かなり皆さんイラついていたが、許してくれた。
あのわかった時は血の気が引きました。

Windowsのパソコンのスイッチの入り切りもわからなくて、同期で入った大学生に教えてもらいながらやった。

同期は2人で男の人と女の人だったが、2人は仲良くしていたが、僕はかなり浮いていた。
大学にも行ってないし、専門学校にも行ってないので、パソコンの話しについていけなかった。
仕事終わりに大阪市内をウロウロしていたが、お金もなかったので、ガヤガヤした街を見て帰るだけだった。

フローチャートの作成も慣れてきてそろそろ終わりかけた頃僕は、Windowsの怖さを知る。
頑張って作った物を保存したくて、左上の所から上書き保存をするためにクリックをした。
そこが間違えていた様で新規になってしまい、その日作ったデータが全て消えてしまった。
何処かに残って無いか上司に見てもらったが綺麗に消えていた。
また作り直しになった。
そんなこんなでフローチャートを提出日に間に合わせて提出した。

エピソード3
それまで気にしていなかったが、後の2人も僕と同じ期間をかけてフローチャートを作っていたのだが、提出時に課題のプログラムも一緒に持っていた。
ビックリしたのはその少ない事。僕の三分の一くらいしか無い短さだった。
少し見せてもらったが、僕のプログラムの中にはGOTO文とGOSUB文が山盛りあったのに対して、見せてもらった物にはほとんど両方入ってなかった。
フローチャートもA4サイズ3枚くらいだったのに対して、
僕はA4サイズ20枚くらいでアッチに行ったりこっちにいったりで、物凄くややこしくなっていた。
提出した後何も課題を言われてなかったので、のそフローチャートをもっとわかりやすく出来ないかと書き直しをしていた。
後の2人は仲良く喋っていた。
次の日、上司に呼ばれて評価を言われたが、2人はおおむね出来ていると言われていたが、僕は少しわかりにくいから再提出となった。
モヤモヤはあったが、僕の理解度が低いからフローチャートが長くなったのは事実だから仕方ないとした。
それにプログラムを追っていくのも楽しかったって言う部分もある。

そして2日後に僕は出向にになる。
この時までわかってなかったのだが、この会社は社員を出向さして仕事をしている会社だった。
同期の2人は大学の研究室に行く事になり、僕は銀行のコンピュータルームになった。
何故そうなったか同期の男の人に聞いたやだが、2人は夜勤が嫌だったらしい。僕には事前にそんな事を聞いてくれなかったのですがね。
まー夜勤はした事もあったので良いかと思ったのですが、その銀行が自宅から約3時間かかる場所にあったので、通勤がかなり大変になった。
通勤ラッシュにあいながら最寄りの駅に着いた頃には体力が無くなっていた。いったん通勤の群衆から外れて川沿いのベンチで朝ごはんのパンを食べて少しボーッと川で釣りをしている人を眺めていたのを覚えている。

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