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物語に救われて育ってきた、ただそれだけ。

 「漫画なんて読んで」「アニメなんて見て」「ラノベなんて小説じゃない」

 過去の私に投げかけられた「〇〇なんて」という言葉に、ふと立ち止まる。あなたが「漫画なんて」と吐き捨てたその物語に、私は確かに救われているのに、と。

 昔から本を読むのが好きだった。物語の世界を旅するのが好きだった。たったそれだけのことだが、私はいわゆる純文学からライトノベルや漫画までジャンルを問わずに読む人間だった。

 つけっぱなしのテレビをなんとなく見るかのように、SNSに流れてくる漫画を読む。YouTubeを流すかのように小説を手に取る。外で遊ぶよりも物語の中でたくさんの人生を擬似体験した方が楽しいと感じて育った。

 大人たちは漫画を読む子供に「漫画なんて読んで、もっとちゃんとした本を読みなさい」と言う。もっとちゃんとした本ってなんだろう、と立ち止まれば大人が思う子供が読むべき本をレールのように目の前に置かれる。つまらないたらありゃしない。私はこの世に溢れる本の海から、私の心を揺らす物語を探しているというのに。

 どの物語だって人を救うことがあると思う。世間がもてはやす文学賞受賞作を「つまらない」と思ったり、駄作と評されたものに涙を流したり。歩んできた人生、経験、置かれた境遇、その日の気分によって「人生の転換点」なんて容易に変わる。

 私は、物語に救われてきた人間だ。もちろん、周りの人の言葉や助けによって生きている。一方で、どうしても心に残る私だけの「名作」が存在する。

 何にも優しくできなくなった時に必ず読む本がある。泣きたい夜に読む本がある。何度も何度も読み直したくて、ずっと手元に置いている本もある。

 私は物語に救われて育ってきた。ただそれだけ。でも私は、そういう育ち方をしてよかったと思う。私の隣に物語がいてよかったと思う。

 仕事をしていると「ビジネス書を読みなさい」と言われる。知識習得のために勧められるその本も、確かに読めばためになるし前向きな気持ちが湧いてくる。ただ、方法論を語るその本に「一回読めばいいかな」と思ってしまうのは、私の性格なのか。

 昔から、自己啓発本は苦手だった。ノット・フォー・ミー、ただそれだけ。私にとっての読書は、勉強ではなく娯楽だからなのかもしれない。「知識欲を満たすために読む」と「仕事で言われたから読む」の違いかもしれない。

 「漫画なんて」「ラノベなんて」そう言って言外に特定のカテゴリを蔑み、「ビジネス書を月に1冊は読みなさい」と言ってくる偉い人たちに心の中で「あっかんべー」と舌を出す。

 私は私の読みたい本を読んで、大好きな物語を両手で抱きしめていたいのだ。

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