彼、色は匂えど散りぬるを。
祖母が死んだ。
昨年の夏を過ぎた頃から、体を崩していた。先月末には、もうそろそろ危ないかもしれないと言われていた。
訃報を受けたのは21時過ぎ。母からの電話だった。着の身着のまま、母は新幹線に乗るという。家族LINEに貼られた、父が送った最終の新幹線の時刻を眺めても、涙など流れない。
22時過ぎ、父から着信があった。父は、どうしても済ませなければならない用事を済ませて、明日向かうらしい。
「お母さんの荷物、わからないでしょ」
とっさに出た言葉に、なんでこんな私は事務的に考えてしまうのだと思う。自分を外側から見ている感覚。いやに、冷静だった。
父はずっと、仕事の人だった。朝早く出て、夜遅く帰る。母もフルタイムの仕事をしていたけれど、家事のおおかたを母が担っていた。母の下着の場所も、礼服の場所も、化粧品の置き場も、必要なものも、きっと集められないと思ったから。
でも、もっと先に出るべき言葉があったはずだ。
父の声は、以前、伯父の死を私に告げたときと同じに、静かだった。
「明日、実家に寄ってお母さんの荷物集めるよ」
私の乾いた声に、父は小さく「そうしてくれると、助かる」とだけ呟いた。
夜も更けてから荷物をキャリーケースに詰めていく。母の実家は福岡だ。お通夜とお葬式を合わせれば、数日滞在することは明白だ。
誰かと喋りたかった。どうしても、ひとりでは動けない気がした。だから、配信開始のボタンを押してしまった。
昨年の初夏、伯父が儚くなったときも同じように配信をしながら福岡へ向かう準備をした。あのときも同じく、目の前の「準備」から目を背けたかったのだろうか。
思い出そうにも思い出せなくて、話をしながら必要なものを集めていく。荷物を詰める手はいつになく遅い。化粧品の掃除をしてみたりと、一向に進まない。
どうにか詰め終わった荷物を部屋の隅に寄せて、ベッドへと潜り込む。眠れる気は、まったくというほどしなかった。
遮光性能の低い、名ばかりの遮光カーテンから朝日が漏れている。平日のアラームが鳴る。起き上がる気はしない。
それでも起きて、身なりを整え、キャリーケースを引いて歩く。目に映るものが、全てテレビの向こう側のようだった。
観光客の間を縫い、実家のある京都へ向かう車窓から満開の桜が目に痛いほど鮮やかに見える。
ああ、桜が祖母を連れて行ってしまった。古い考えの、良妻賢母というような人だった。噂好きで、祖父の世話をよく焼き、女の子はこうあるべきと時代錯誤の考えを解くような、そんな人。私は、そんな祖母のことが少しだけ嫌いだった。
それでも、幼い私に浴衣やドレスをそのしわの寄った手で仕立ててくれた。成人のお祝いに、満開の桜のような色無地を仕立ててくれた。私はその色無地に紺の袴をつけて、大学の卒業式にでた。
こんなにも桜が咲く日に、連れて行かなくてもいいじゃないか。神様がいるのなら、なんて残酷なんだ。大嫌いだ。
まだ泣くには早かった。私より、彼女のために泣くべき人がいると思った。
葬儀場について、横たわる祖母を見た。母は言う。
「ね、おばあちゃん、寝てるみたいでしょ」
少し口の開いた祖母の顔は、リビングのいつもの椅子でいびきをかいて寝こけていたときと同じだった。
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