「わたしとある所」について 人と場所をめぐるエピソードのアーカイブ
見ていただきありがとうございます。
アーカイブへの思いなどを説明しています。
アーカイブを公開する理由
浮かんでは消えるうねりのような問い「人と場所の関係」の探求として、出会う人のエピソードを集め、対話を再構成する記録をはじめました。
対話が照らしたその人の一面を味わい直すと、その時は気づかなかった思いが見えてきます。注意深く対話を重ねる中で、他人を知ろうとする事がコミュニケーションのはじめの一歩で、世界を知ることなのだと思い至りました。
もう会えない人でも、疎遠になっても、間違いなくあったあのひと時が、じんわりと、今日を明日を支えてくれているのだと思います。
そういうひと時の連続を生きている私たちへ向け公開します。
自分にとって本当に大切な問いは何ですか?
40も半ばを過ぎた人生の折返し地点で、これからは自分がやりたいことに時間を割こうと思っています。そのひとつは、消えない問い「人と場所の関係」に向き合い表現することです。
「場所」とは一体何なのか?
島村奈津さんの『世界中から人が押し寄せる小さな村~新時代の観光の哲学』で読んだ、フランスの文化人類学者マルク・オジェが提唱する、現代人の日常に増えていく「ノン・ソリュー(非-場所)」の紹介がとても印象的でした。
今いる所、過去いた場所、大切な場面
仕事で住宅の内装やインテリアを担当し、たくさんのご自宅に訪問しました。また、イタリア留学中はスペイン、フランス、モロッコやマルタへ渡り、約40都市を旅し、建物や美術館を訪ね歩きました。
そんな一時の訪問者の視点では、街やひとつの場の”感情”がそこに居る人々に不思議と似ていると感じます。
—「場」とは一体何で、人とどう関係するのか
—場所と人はどちらが先なのか
—自分は今の居場所にどう影響されているのか
また、「自分はここにいる」と強く実感するような特別な場面の記憶では、自分の断片が永遠性をもち、まだそこにいるような気さえします。
—自分の特別な「ある所」を確かめたい
—現在地にのまれず、場所の特性と自己を客観的に捉えていたい
—晩年をどこで過ごすか、場所との関係を模索したい
それは、人と場所をめぐる探求を通し、自分自身を確かめる行為なのかもしれません。
はじめに知ること、知りあうために
そして私は、たまたま出会えた人の「ある所」も知りたいと思っています。
—それぞれの「ある所」を大切に集めてひらく
「ある所」を教えていただくとき、しみじみとその情景が浮かんだり、似た体験を思い出したり、全く予想もしていない話を聞かせてくれたり。
そんな様々な対話の中で、ひととき語られるエピソードに、誰かの一部も照らされ、そっと支えられることを願っています。
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