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生きづらさはどこからくるのか、だから何をすればよいのか。

リベラルな国、フィンランドに住んでいるのに、焦燥感や不安を感じています。
一体これは何なのか、どこから来るのか、自身の感情に向き合うことで原因を理解することができました。そして、だから何がしたいのかも見えてきました。

同じように生きづらさを感じている皆様に参考になればと思います。一緒に前に向かっていきましょう。

Capitalism-損得勘定で行動する世界 
→ 数に囚われずに生きたい

今私たちが生きている時代。

近代化 → 合理化 → 計算可能化 → 複雑なシステムの構築 → 官僚制度・エリート → 資本投資可能化 → 人は損得勘定して行動する時代

そこに息苦しさを感じています。

仁義や道徳観を持っては損?
そう考えさせる社会、おかしい

わたしの祖父は、仁義や道徳感を軸に行動する人でした。困っている人がいたら助け、人が喜んでくれることを続ける。行動に見返りなんて求めない。身体が勝手に良いことをするのに動いてしまう、そんな心の温かい人です。

悲しいことに、わたしの大好きな自慢の祖父を利用してお金を吸い取ろうとする人がウヨウヨいます。子供の頃にそれに気が付き、幼心に、仁義や道徳はそっちのけで利得だけを計算して生きる人が多いことを学びました。

彼らは最初から浅ましかったわけではないことも、日本で働いていた時の上司達を見て感じました。卑怯に見える彼らからポロっとでた言葉に、きっとこの人達は若い頃は正義感があったけど、世の中を上手く生きるために、見ないふり、気が付かないふりを繰り返して感覚が麻痺してしまったのだ、と彼らを憎めきれなかったのを覚えています。

わたし自身、お人好し(正直&無知&相手を信じる)でいるとそれを搾取する人が必ず現れるので、自分自身を守る術を身に着けないといけないことを学びました。

これが生きづらさの原因だと思います。

根源の資本主義による損得勘定の波が、フィンランドにも押し寄せているように感じており、憂鬱にさせられます。

フィンランドの近年の都市開発に見る、
資本家の質の悪さ

教育水準の高いフィンランドですが、周囲の都市開発を見て最近本当に憂いています。
というのも、ここ10年程に建てられた住宅地は、投資家が短期的に利益を得ることしか考えていない、環境的・景観的・社会的Goodを考慮していない、即ち費用削減しか考えていないつまらないただのハコ建築があまりにも多いように感じるからです。景観の破壊のスピードが速くなってきたと感じます。

一度壊れた風景は戻ってきません。景観的価値・文化的価値をしっかり吟味して決定をしているのか疑問に思います。また建築家・ランドスケープアーキテクト等、空間・文化・景観の専門家が資本家の奴隷化しているのが嫌でたまりません(実際にフィンランドの建築家の友達が感じています。建物を建てるクライアントは金儲けしか考えていない人が多いのだそう)。

フィンランドのスローライフは保たれるのか不安

近年フィンランドの街が少しずつ忙しくなってきている気がします。

渡芬した8年前は、祝日にはスーパーは一切開いていませんでした。
「祝日は、誰もが大切な人達とゆっくり時間を過ごすことができるのが素敵」そう感じていたのに、3年程前から祝日にもスーパーが開くようになり、今では24時間営業をするところも出てきました。

わたしの友達は25-35歳でフィンランドの大学教育を受けている人が多いですが、彼ら彼女達の頭の中も、「どうやって資本主義社会のマネーゲームを勝つか」を前提に考えていて、なんだかな、と思います。
友人の中には、ガツガツ働き、たくさん儲け、エンターテインメントに消費し、家をいくつも買い、ボートまで買って、消費しては捨て、出張の為に飛行機に乗りまくる(コロナで控えめになりましたが)人も何人かいます。
優秀だけど、カッコよくない。
その頭脳と資本で良いことをしてほしい。

こうした流れで、今までフィンランドの人達が生活の質や豊かさを見出してきた対象が、「ゆっくりと大切な人と過ごす時間と豊な自然」から「都市空間の中での消費活動」へ少しずつズレていくのではないか、と不安に感じるのはわたしの考えすぎでしょうか。

資本を持たない若い世代ほど不安

わたしは31歳です。
日本で仕事をしたのは1年だけ。23歳で渡芬し、英語とフィンランド語を勉強し、大学院に入り、スタートアップで3年働き、現在育児休暇中です。
収入のない期間が勉強と育児により長期間あり、経済的に自立していない状況に不安を感じていました。実はフィンランドから経済的支援を貰っているのにも関わらず、そしていつも支えてくれている素晴らしいパートナーがいるのにも関わらず、です。

恵まれた環境にいるのに不安になるのはどうしてかな、と考えてみました。

1.経済中心の建築・都市開発だから
わたしが大切だと思う文化的価値・景観的価値が軽視されているのが悲しいから。

2.ミレニアム世代だから
ミレニアム世代やZ世代の若者は、資本がない、中には大学教育の為の借金をかかえながら、不景気な時に社会に出た、そんな人が多いと思います。
だからこそ、資本を持っていることが自分の身を守るために必要であることを強く認識しており、今の社会へ不安を感じやすい世代なのかもしれません。

「数に囚われない生き方」を探したい

この世の中はマネーゲーム。みんながゲームをプレイできるよう秩序が密にデザインされているので、この世に生まれたからにはゲームを降りることはできません。なぜなら、食っていくために。

普段の生活するうえで利得を計算することがサバイバルのための必須スキルになっています。損得勘定で上手く行動しないと搾取される側になる、そうみんなが感じているから、仕方なく競争するのではないでしょうか。

しかし、わたしは損得勘定だけでの行動に息苦しさを感じており、自分の何かを削っている気がして気持ち悪いです。
そこで、数に囚われない生き方を模索中です。

数に囚われない生き方①:子育て・家族

子育てって、損得勘定でする行為でしょうか。
「この子を育てて、良い教育を受けさせて、エリートにさせ、家にお金をたくさん入れてもらう!」
そんな理由で子育てをしている方は、ほぼいないと信じたいです。

子育てはまさに、損得勘定の外でする活動です。
そして、わたしが思うに、子育ては、人間性を磨く修行。
子供に真正面から向き合い、その為に自分自身に向き合い、パートナーと深く向き合って絆を作り協力し、家族を少しずつ形成していく。その過程の中で自身の人間性を磨いていく、そんな修行だと思います。
わたしは2人の娘を、素晴らしい専属人生トレーナーだと思っていて、彼女らのおかげで日々鍛えられています。

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子育ては途中で逃げ出せないし、男女共に働くのが普通な現代、ちょっと近所の人に助けてもらうにも皆忙しく働いていてそれどころではありません。だからワンオペという言葉が存在するのだと思います。
無理ゲーだと感じることもあるが故に、思い出と実感が伴った満足感や達成感を得らると思います。ちょっと買い物に行って得る満足感とは桁違いのものではないでしょうか。

世の中、生産性を上げろ、効率を上げろ、とうるさいですが、子育てに生産性も効率もない。

損得勘定主義だと、家族を持つことはホリエモンも言う通り、「非効率」で「非生産的」で「なんの得があるの?」と切り捨てられやすくなってきたと感じます。短期的な視点でt見たら確かにそうかもしれませんね。

数に囚われない生き方②:友人を大切にする

スタートアップで3年間バリバリ仕事して削ったのが友達との時間です。
あれだけ打ち込んだ仕事を辞めて思ったのは、仕事はいくらでも替えがあるが、友達は替えがない、ということです。

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特に価値観を共有できる友達、共感してくれる友達はとてもかけがえのない存在。
お金でカウンセラーを利用したり、精神科に行くのとは雲泥の差です。
みなさんもコロナで経験したのではないでしょうか。友達と顔を合わせて喋ったあとの爽快感、心が晴れて身体が軽くなりませんでしたか。

仕事での人材は、いくらでも替えがあります。別にあなたではなくても良い、もっと賢く有能な人が欲しいので、バサバサ切ってどんどん人を入れ替えるのが常識になってきたように感じます。

そうすると、無能と判断された人達は切られた後にどこへ行ったらよいのか。彼らに対する心と経済面でのケアはどうするのか。倫理観がなく利益中心主義の会社が増えると、不安が募る労働環境も増えます。

不安材料が増えている今、友達を作るのはとても大切だと思います。困った時にお互い助け合い、支え合う環境を、個人個人が意識的に作ることが求められているのではないでしょうか。
もしかすると、それが様々な規模でオンラインコミュニティが作られている原因かもしれませんね。

サバイバルする:生活コストの見直し

それでも稼がないと生活できません。
そこで、生活コストに無駄がないか見直して、無駄を削ぎ落していくと、案外小さなコストで生活できることに気が付くかもしれません。

例えば、わたしたちの生活費は、フィンランドの平均収入で計算すると、親ひとりの収入で生活できて、それに投資と貯金へまわすお金が少し余る程度です。生活を我慢をしている感覚はありません。要らないものを徹底的に排除し、好きな事だけにのみに投資しています。

こうして考えると、バリバリ働いてたくさん儲けなくても生活できるんだな~、と思うことが出来ます。わたしたち夫婦は、将来週4日で働くことや、パートナーが大学に戻ることなど、いろんな働き方を考えています。

ゲームしない:
積極的に「普通の生活」を楽しむ

普通ってダメ?つまらないですか?
そう思っている方には、是非「星の王子さま」を読むのをおススメします✨

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我が家の合言葉は「What is today's little adventure?」で、日常の中で新しい発見や冒険を作ろうと努力しています。

そうすることで、家族と友達と過ごす時間をもっと楽しく、彩りのある時間に出来ます。例えば家にカフェのような雰囲気を出すために音楽やキャンドルをつけたり、子供と一緒に作ったクッキーでおもてなししたり、ココアを水筒に入れて森を散歩したり。とても簡単なこと。

大事なのは「愛💖」です。

愛が籠った行動をするのは満足感があるし、友達に愛のあるおもてなしされた時はとても嬉しいです。

また、友達のお家に遊びに行くときに、部屋のアイテムが慎重に選ばれて大事に使われている様子が見えると、住んでいる人の日常に対する愛情を感じて、インスピレーションを貰うと共に心が豊になります。

仕事に勉強に忙しい時、普段の日常にもう一度目を向けてみる、そして小さな工夫で日常を彩ってみることを、おススメします🌻

ゲームのルールを変える:
勉強する、投資する、発信する。

とは言っても、こんな社会、世の中終わっちまえ!と、システムに対して非力に感じて投げやりになってしまう時。やられていては悔しい、と思うところ。

そこでわたしがしていること。

活動家をSNSでフォローしています。
環境活動家を主にインスタでフォローしています。何が問題で、どう解決したらよいか、絵と文で分かりやすく発信している人がたくさんいます。気を付けていることは、複数の人を(できれば英語と日本語で)フォローし、彼らの見解を比較すること。そして、情報に信頼性があるな、良いメッセージだな、と思ったら「♡」し、記事を友達や家族にシェアします。
こうして彼らの活動を応援し、自分の視点や知識を増やしています。

投資する。
サスティナビリティの企業やインデックスに投資しています。
サスティナビリティと投資、どちらも少しずつ勉強しています。

書いてみる。
アウトプットしてやっと理解できるので、こうしてNoteに書き出しています。

抗議する。
近所の開発が美しい景観をどんどん壊しています。それについて市に現在進行形で抗議しています。

わたしの住まいは世界でも有名な建築家Alvar Aaltoが建物やランドスケープをデザインしたオタニエミにあり、住宅エリアとアパートもフィンランドの著名な建築家が設計したものです。文化的に保護されるべきはずの場所なのに、無駄に木を切り倒し、住民が必要ないと思っている無駄な道路を作ることで、その美しい景観が破壊されています。

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行動を起こすときはいつも身内から。住民として、ただじゃおけないと思いました。

抗議の内容は、市の景観・文化的価値に対する理解と、決定プロセスの中でどんな専門家が含まれていて、どのような見解をそれぞれから得て、それらの知見をどう処理し今の開発決定に至るのか、情報の提示を要求しました。

これらの活動する中で、都市計画の先生と連絡を取ったり、ヘルシンキ市の都市計画系の活動家と繋がることが出来ました。近所の人と意見交換することで、コミュニティの開発や景観に対する意識も少しずつ高くなってきた、と感じます。これがコミュニティの形成の過程なのかな、と感じています。

世界🌎市民だと自覚する。
身の回りを大切にする気持ちが、コミュニティ、まち、国、世界、🌎とどんどん繋がって広がっていくと思います。
共感力を持って、手元にある人・モノのことを深く考えてたどっていく練習をします。

楽しみながら、戦う。
個人がシステムを変えることは出来ないですが、個人のまわりの人にじわじわと影響を与えることは出来ます。
日常の生活を楽しみながら、身の回りの大切なもののために、暮らしを整えていく中で出来ることをする。暮らしを整えるうえで、さまざまなスケールで何に繋がっているか考えるのが大事だと思います。


以上、わたしが感じている生きづらさを分析してみました。そして楽しみながら、わたしたちが感じている不満に対して抗う方法を考えてみました。
ここまでお読み下さり、ありがとうございます。


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