地方で実践する対話型鑑賞ー鳥取県在住・ナビゲーター4ヶ月目の覚書ー
はじめに
この記事は対話型鑑賞ファシリテーター Advent Calendar 2021への寄稿記事です。
「対話型鑑賞」について見返しておきたい方は、アートスケープさんのアートワードからどうぞ。
2021年9月から「対話型鑑賞」のナビゲーター(進行役のこと。ファリシテーターとも呼ばれますが、私自身は鑑賞を案内する(=ナビゲーションする)、という気持ちが強いため、本記事ではナビゲーターと称します。)を始めた筆者が4ヶ月の間に行ってきた活動をまとめたものです。
また、鳥取県という地方都市における「対話型鑑賞」についても触れてみたいと思います。
筆者の性質上、長文(10,000字超え…)となってしまいました。拙い文章ですが「目次」を活用いただきながらお読みいただければ幸いです。
筆者について
書教育者の父の影響で「鑑賞」「教育」という分野に興味があった。(おそらく幼い頃から書や絵画の見方を父と一緒に鑑賞をしながら見様見真似で会得していたのかもしれない。そんな父はこんな授業をやってます。)
大学時代、所属していたコースの特性もあり、「企画デザイン」「チームデザイン」「ワークショップデザイン」「インタラクションデザイン」という分野を重点的に学び実践していた。(と自分では考えている)
3年前、鳥取にUターンする際に『「鳥取県立美術館」に関われないかしら』と目論んでいたこともあり、それより少し前に知っていた「対話型鑑賞」に興味を持っていた。(「自分に合っているかもしれない」と直感的に感じていた)
企画ごとを考えたり実行する側ではあるが、人前に立つと緊張する性質であり、進行役というポジションはなるべく避けるようにしていたため、舞台に立つのも年に1度あるかないかだった。(20代はこんな考えで人前に立っていました)
鳥取に拠点を移してからは、鳥取大学での勤務やヌーン企画でのイベント進行など、人前で喋る機会も増え、現在は非常勤講師として高校1年生に対して週1で美術の授業を担当している。(アートスペースからふる理事長・妹尾氏との共同授業)
といった経緯があり、『今年はしっかりと「対話型鑑賞」に挑戦して、高校生への授業でも取り入れることが出来ると良いな』という考えが芽生え、夏休みのタイミングで行動を移すことになる。
2021年8月[YCAM]での出会い
当時、鳥取で行われていた「対話型鑑賞」に関する勉強会は、単発の講演や個人開催がほとんどで、体系立てられた学びの場、というわけではなかった。(後述するが、鳥取県立美術館の開館へ向けた対話型鑑賞ファシリテーションに関する研修・講座が秋以降に定期的に開催されることとなる)
既に「対話型鑑賞」を経験している私としては、もう少し突っ込んで体系立てられた学びを得たかったのだが、長期間のスクーリングは性に合わない。自分にとってピッタリなものはないか、と探していく中で出会ったのが、山口情報芸術センター[YCAM]で開催された「鑑賞ナビゲーターキャンプ2021」だった。[YCAM]は、「InterLab Camp vol.3」に参加した縁から教育普及チームに知人が多く「彼らが主催するイベントなので、きっと何かを得られるに違いない!」と確信めいたものがあり、すぐさま申込をした。ただ、この頃はまだ全国的にも2度目のワクチン接種率が低く(私自身も1回目のワクチンを摂取したのみだった)、現地開催は大丈夫か?という思いもあったが、非常勤先が夏休みというタイミングや家族や仕事で付き合いのある方々の理解も得て、現地まで足を運んで参加することが出来た。
[YCAM]で過ごした2日間は、本当に刺激的で学びの多い時間となった。イベントはレクチャーの時間がしっかり取られており、「対話型鑑賞」とは本来コミュニケーションの話であり、「みる」「きく」の能力を向上させつつ、回数を重ねて向き合っていかないと身につかないものなんだな、ということがヒシヒシと伝わって理解出来たので非常に収穫があった。また、今回のアドベントカレンダーでの[YCAM]原さんの記事を読んで、「私のスタート地点がここで良かったな」と改めて思う。このイベントを通して「対話型鑑賞」の奥深さを知り、時間をかけてレベルアップしなくてはいけないのだ、という覚悟が出来たからだ。
同時に、講師の伊達隆洋さん(京都芸術大学 准教授)や参加者の教育現場の先生方(小中高様々)からのご意見や、現場での実践例をお聞きする中で、「非常勤先の高校生達に対してどのように実践すればいいのか」「やはりそもそも実践を重ねなければいけないな進行スキルが向上しないな」ということを改めて考え、今後どのように取り組んでいくべきか、と悩むことにもなった。
奇しくもイベント終了後に台風が上陸し、山口から鳥取へ移動するタイミングを伸ばすことになったので、[YCAM]教育普及チームの同世代3人組と延長戦トークをする中で、以前[YCAM]に来た時のことを思い出した。当時「InterLab Camp vol.3」に無職で参加した私(肩書欄には、直前に退職した職場の名前があるが実際は無職)は「周りの参加者は凄い人ばかりだけど、私は何者でも無い。そうか、挑戦者で良いんだ!楽しもう!!!」と考えて、そのイベントを誰よりも楽しんでいた。そんな記憶が蘇って「そうか。「対話型鑑賞」もそんな気持ちで良いんだ。私はまだまだ挑戦者なんだから、楽しんで実験してみるのが良いんだ!」という気持ちになり、鳥取に帰ってからは自分が主体的に様々な挑戦をしていこう!と、ワクワクして鳥取に戻ったのであった。(その後、久しぶりの遠出+ワクチン接種2回目の副反応により8月を体調不良で潰したことも記しておきたい...)
実践①ノカヌチpresents|対話型鑑賞自主練習会
[YCAM]での学びを鈍らせたくない、自分が実際にナビゲーターとして進行出来るか不安だ、という思いから「試して転んでも良いような実験出来る場所を作ろう!コロナ禍で県外に住んでいる友人知人と会えないからオンラインで会える場所にしたい!参加してくれる人や自分自身もwin-winになる時間にしていきたい」と発展させ、『ノカヌチpresents|対話型鑑賞自主練習会』を開催することになった。
この会はオンラインで開催しており、Google Arts & Cultureから作品を選んだり、仕事などで縁のあるアーティストから作品をお借りし「アーティスト紹介や支援に繋がる一つのきっかけになれたら」という考えも合わせ持って実施している。会は1つの作品を鑑賞して意見を出し合う、というかたちで進行し、終了後には、ナビゲーター進行やイベント自体の振り返りを行うなど、「対話型鑑賞」や企画・イベントなどの場を回していく実践者が集い、意見を交わし互いを高めていくような時間となっている。
当初は9,10月の2ヶ月で留めようと考えていたが、やっていく内に「対話型鑑賞」進行のコツを掴みつつある状況や、純粋に「自主練の時間が楽しい!久しぶりな人達と出会えるのが嬉しい!イベントも振り返りも学びがある!」という思いが強くなり、しばらく継続することを決意。来年2022年2月までこの時間を定期開催し、半年間という時間の中で自分がどう変化したのか、また積極的にこの会に参加してくれた人達に変化があったのか、ということをまとめて何かで発表したいな、と考えている。現時点で14回開催しており、月2〜4回のペースを続けていけば、最終的には20〜24回になるだろう。来年3〜5月ごろに発表出来ることを祈って...(年度末切り替えのタイミングで忙殺されている可能性もあるため、自分のペースで発表する予定である)
実践②鳥取大学医学部地域医療学講座
鳥取大学医学部地域医療学講座(以下、地域医療学講座)の孫 大輔さんにお声がけいただき、医療従事者のアートを用いた教育研究として、地域医療学講座関係者に「対話型鑑賞」を連続して体験いただくプロジェクトにファシリテーター(ナビゲーター)として参加し、実践させていただいた。孫さんと私は、私が鳥取大学で勤務していた際に実施した「ことばの再発明」の参加者と企画者という縁があり、今回のプロジェクトにお声がけいただいた。
10月は、地域医療学講座の先生方(大学教員・医師)に対して、オンラインで4回の鑑賞会とファシリテーションに関するレクチャーを実施。11,12月は、地域医療学講座の学生&研修医に対して、オンラインと対面で合計8回の鑑賞会を開催した。自主練習会と同様に1つの作品を鑑賞して意見を出し合う、という進行だが、対面実施では場所によって複数の作品を鑑賞し、それぞれ15〜20分の対話型鑑賞を実施するという進行としている。
作品は、オンライン時は自主練同様にGoogle Arts & Cultureから作品を選び、対面時は「“地域医療学講座”なので、出来るだけ地域の作品に触れたいな」という考えがあり、孫さん経由で大山町在住のアーティスト・朝倉 弘平さんにご協力いただき作品をお借りしたり、冬季休業中のコモレビトで朝倉さん&大山小の学生達のプロジェクトで描かれた作品を鑑賞。また、米子市美術館さんにご協力いただきコレクション展の鑑賞や、大学病院すぐ横の湊山公園で彫刻作品を鑑賞(鳥大名誉教授の石谷先生の「鳥取Art Date Base Project」を活用)するなど、作品鑑賞を通して参加者も企画者も「鳥取県西部」という地域を味わい楽しむ時間となった。
この実践は、「ナラティブ・コンピテンス」や「エンパシー」といった能力を「アートを用いた教育で涵養する」という研究が前提であるため、作品については、そういった能力や医療従事者の観察力を鍛えられるようなものであることを意識しながら選定した。また、継続して参加した学生さんや研修医さんの意見の出し方や、現場での行動の変化を各回でシェアしていただけたことで、私自身も「この場を進行出来て良かった!」とナビゲーターとしての自信がついたり、まだまだ足りていない部分に気付かされて「今後もがんばっていきたい」という気持ちが強くなった。この研究は今後も実施していく予定で、今回の取り組みに関しては孫さんが学会などで発表する予定なので、ご興味ある方は是非チェックしていただきたい。
実践③鳥取県立博物館でのバス招待事業
鳥取県立博物館(以下、県博)では数年後の鳥取県立美術館開館に向けて、小学生をバス招待し館内を鑑賞するという事業を実施している。(教育普及の取り組みはこちら)
4年目となる今年度からは、県博が授業連携している大学生ファシリテーターや、一般ファシリテーターが参加し、小学生に対して「対話型鑑賞」を県博の教育普及担当&学芸員と共に実施していくという試みが行われた。(この項目では、「ファシリテーター」と記述する)
一般ファシリテーターは、11/6に開催された県博主催・対話型鑑賞勉強会に参加し学んだ方などを指し、私を含め4名がボランティアとしてファシリテーターを務めた。(こちらは、鳥取でみずからの暮らしと文化を作る人のウェブマガジン『+〇++〇(トット)』に参加レポートを寄稿予定<年明け以降>で執筆中)
私は、小学4,5,6年生・計4校を担当。小学生に対しての実施は初めてで自分自身緊張していたし、それぞれの学校で人数のバラつき(5〜12名)や小学校高学年の彼らから意見を引き出すのに苦労し、反省と学びの多い時間となった。「上手くいったかな?」と思うのは1回だけだったので、まだまだだなと感じている。
また、今回の事業は県博で開催している企画展『東郷青児と前田寛治、ふたつの道(12/26まで)』を子どもたちに鑑賞してもらうことが前提だったので、10分程度の「対話型鑑賞」を4回繰り返す、というやり方で実践。これまで私は、自主練習会などで大人を対象に1つの作品について語り合う「対話型鑑賞」のみを実施していたということもあり、自分がこれまで実践していなかったスタイルでの「対話型鑑賞」を経験し、子どもと大人の発言量の違いや、子どもたちに有効な問いかけ・進行を考えていかないと「対話型鑑賞」ファシリテーターとしてはまだまだだな、と感じ、課題が多い実践となった。
けれども、自分以外のファシリテーターの進行に立ち会う事が出来たことは、とても勉強になった。(県博が授業連携している大学生達の進行も見たかったのだが、その日は私がファシリテーターとして実施しなければならなかったので進行を見ることが出来なかった。また何かの機会で...)県博の教育普及担当&学芸員の皆さんや、一般ファシリテーターとして参加されていた小学校・中学校の先生方による進行のやり方など、様々な実践方法を見ることで、自分のスタイルや今後について考える良い時間だったと言えることは間違いない。
鑑賞者としてオンライン開催参加を重ねる
[YCAM]で、講師の伊達さんからご教示いただいた『「対話型鑑賞」はナビゲーターの鑑賞能力の発達が最重要。ナビゲーター自身が高次の発達段階を経験出来ないと、自身より高い発達段階にある鑑賞者の意見を扱うことが困難で、鑑賞者の発達を促すサポートは出来ない。』という言葉が印象深く残っている。本記事を寄稿したアドベントカレンダーの企画者・長南さんの記事でも「いいファシリテーターは、いい鑑賞者」と書かれているのは、正にその通りだ。ナビゲーターとして実践する中で、自分の鑑賞能力の低さを感じる場面が多いことや他のナビゲーターのやり方・鑑賞イベントの進行の仕方が見てみたい、ということがあり、鑑賞者としてオンライン開催「対話型鑑賞」に参加しまくった。
それぞれの会において、ナビゲーターの個性や場の進行が異なるのはもちろん、都度参加者が違うので、同じイベントに参加しても毎回新しい発見があり、鑑賞者として参加することが普通に楽しい。さらに、自分の鑑賞方法も「回数を重ねることで視点が変わってきている」という実感があり、少しずつではあるが鑑賞能力を向上させているのでは、と考えている。
また「ケア×対話型鑑賞」では、講師の伊達さんと[YCAM]以来にお話し出来たこと(質問タイムで長々とありがとうございました!)や「見ないほうがよくみえる」ではオンラインと現地を繋いだイベントの面白さがあり、「対話型鑑賞」だけではないイベントとしての良さも得ることが出来た。私の趣味は全国各地の美術館やギャラリーを巡るのもひとつなのだが、コロナ禍で全く出来ていない状況ということもあり、このような形で各地の作品と触れることが出来るのは嬉しいことだ。オンライン開催している各団体・個人の皆さま、改めてありがとうございますm(_ _)m
「対話型鑑賞」メソッドを応用し自分の仕事に活かす
「対話型鑑賞」=VTC/VTSでの問いかけや、ファリシテーションの技法は、私自身の仕事にも活用することが出来ている。私は、これまでの経験を踏まえて、企画運営PMやビジュアルデザイン制作を得意領域とし、教育や福祉、アート分野の様々なチームと関わり活動をしている個人事業主だ。いろんなチームと関わる中で会議の進行を任されたり、デザイン制作指導やメンターなどを請け負っている。そうした仕事をする中で、私自身が「対話型鑑賞」を始めてから参加者からの意見が拾いやすくなったり、デザイン指導の場面では制作に対する投げかけをし続けることで、担当者の言語化する力が以前よりも上がったように感じている。「対話型鑑賞」ナビゲーターを続けることにより、自分自身の進行能力も少しずつ向上しているように感じているのだ。
また、非常勤先では授業内で「対話型鑑賞」を実践し、クラス全員が参加する状況を生み出すのが一筋ではいかない(教師1人に対してクラス25名に実施するのは関心の有無もあるため、なかなか難しい)ため、「対話型鑑賞」メソッドを拝借したアート鑑賞ゲームに挑戦してみている。1枚の紙に4〜6枚の作品を貼ったものを用意し、それらの「価格」や「作者がつくった年齢」について考えてみよう・チームで話してみよう、というものだ。生徒全員が取り組めるようにチーム用と個人用のシートを用意し、ゲームを始める前の導入で「作品を『みて』『かんがえる』ということに是非挑戦してみてください」と生徒達に声かけをしている。この授業では「鑑賞」に取り組むきっかけを重視しているので、チームでも個人でも作品を『みて』『かんがえる』が出来れば大成功。その先の『はなす』『きく』に進めるように彼らが慣れていけると良いな、と考えながら試している状況だ。講師である私が一方的にレクチャーをするよりも、生徒達自身がクラスメイト同士で話をしたり、教科書やWEB検索を駆使して調べることで、よりその作品が印象に残るのではという仮説がある。年明けの授業以降でもこうした時間は挑戦していこうと思うが、彼らが楽しんで取り組んでもらえるように「対話型鑑賞」での経験を活かした手段を開発しながら実践していこうと考えている。
4ヶ月の実践を通して
[YCAM]での学びを踏まえて9月から実践を開始し、合計30回以上も「対話型鑑賞」を経験すれば、どうしたら良いか分からないヨチヨチ歩きの状態から、しっかり踏ん張って歩いていく準備が出来た!という状態に進化してきているように感じている。やはり回数を重ねたことによって、見えてくる景色が違ってきており、[YCAM]で講師の伊達さんからレクチャーしていただいた全てがボディブローのようにじわじわ効いているように思うのだ。
私がこの4ヶ月での実践を通して、考えていることは以下の通りである。
そのようなことを踏まえて、この場で改めて書き記しておきたいのは、『「対話型鑑賞」はあくまでも手法。目的をしっかり考えて持っておかないと実施しても意味がない。』ということに尽きる。
私が実践としてあげた3つの現場では、
ということが目的だ。それぞれ目的が異なるため、それぞれに合わせた「対話型鑑賞」の進行を意識している。この事実は、回数を重ね、対象者のパターンを経験しないと見えてこないだろう。
もちろん「対話型鑑賞」をやってみたい!という気持ちが先に来ても良いのだが(実際、自分もそうなので)、「前提となる目的は?」「理論的枠組みはある?」とセットで考えておくことが大切だな、と感じる。特に「参加者の年齢」や「参加者に何を持って帰って欲しいか」という目的によって、場の進行は変わるように思うので、今後も実践していく場合は前提条件を自分自身でしっかり設定したり、依頼された場合には認識をすり合わせたりしながら実践していきたい。
また、「対話型鑑賞」=VTC/VTSは「連続のレッスンからなる鑑賞教育プログラム」ということは改めて記しておきたい。実際に連続して「対話型鑑賞」に参加した地域医療学講座や自主練習会の参加者からは「言語化や観察力が向上した」と振り返りの中でコメントをいただくことが多く、県博でのバス招待事業では、昨年度に引き続き連続して参加した子どもたちに対して実施した際、「対話型鑑賞」経験の無い子どもたちと比べて、作品をみる時間や意見の出し方が圧倒的に慣れているように感じた。「対話型鑑賞」という手法を知ってもらうには単発実施でも良いのだが、研究や教育において「対話型鑑賞」の真髄や効果を感じるためには、ある程度の連続レッスンを実施していくのが良いであろうと実践を通して身を持って考えているのだ。最後に、森 功次さん(大妻女子大学 専任講師)が発表している「対話型鑑賞の功罪」について、私の考えを書き記しておきたい。11/19に開催された「第12回関戸地球大学院」での森さんのレクチャーをオンラインで参加させていただき、ごもっともだと思いながら拝聴していた。私自身、美術系大学で勉強してきたこともあり「不適切な鑑賞」や「美術作品を道具として使っていいのか」「「美術」とはどういう文化なのか」という投げかけに対して、胃がキリキリしてしまった。「対話型鑑賞」という場において、作品は参加者同士のコミュニケーションツールであるという状態は否めないし、そこを美術関係者に突っ込まれると、未熟な人間としてはぐうの音も出ないな、と強く感じる。ただ、「対話型鑑賞」=VTC/VTSは連続のレッスンからなる鑑賞教育プログラムである、という観点を踏まえ、美的思考1・2段階のあらゆる世代が「対話型鑑賞」の実践を通して成長する過程を目の当たりにしている身としては、「対話型鑑賞」の目的をしっかり定めた場づくりを行う必要性がある、と考えるのだ。私としては、作品がツールになる状態は望ましくなく、『「対話型鑑賞」を通じて、作品をみて語れる人を増やしたい。作品の受け取り手を育てていきたい。』という思いがあり実施している(詳細は後述)。始めてから4ヶ月の人間が「対話型鑑賞」に関して大したことを言えるわけではないのだが、森さんの指摘も心にピン留めしながら、今の自分は「対話型鑑賞」を通した場の設計や作品選び、目的などをしっかりデザインして実施していきたいと考えている。
鳥取県での動きと今後の展望
鳥取県では、2025年春(令和6年度中)に鳥取県立美術館という新たな美術館が開館する。その中でも美術ラーニングセンター機能は目玉の1つであり、対話型鑑賞ファシリテーターの配置に向け、養成を目的とする研修・講座が来年以降も継続的に行われる予定だ。年明け1/29(土)にはNPO法人芸術資源開発機構の三ツ木氏による講演が予定されており、都市部の情報を得ながら、鳥取という地方ならではの「対話型鑑賞」が生み出されていくのかもしれない。
そうした動きの中で、美術館開館へ向け、対話型鑑賞ファシリテーター養成を進めるために聞き取りをしたい、として問いかけをいただいた。「4ヶ月の実践を通して」という項目で書いたようなことを長文で返答し(全て受け止めていただきありがたかったです)自分自身の振り返りにもなったのだが、私の核になっているのは、『作品をみて語れる人を増やしたい。作品の受け取り手を育てていきたい。』というところであるように考えている。
大学勤務時代や非常勤先の生徒達と触れ合う中で、彼らのデジタルネイティブさを目の当たりにしており、検索能力が上がりスマホやパソコンを使ってつくることが増えた子どもたち、AIによって必要な情報が提供される現代社会やコロナ禍において、「語彙力の低下」が改めて問題視され、「何かを見て感動し、それを伝える」という状況が以前にも増して減っているように感じており、私自身もその1人だと考えている。そんな中で「描けたり作れたりする人は増え続けるかもしれないが、それを受け取ったり語れる人が増えないと、増え続けたものは溢れてしまうんだろうな」「そうして文化が失われていくのではないだろうか」と危惧している。特に私の父がやっている「書」という領域がそうだと考えているし、大学勤務時はそんな考えがあり「ことばの再発明」という講座を実施していた。「対話型鑑賞」が受け取り手を育成する全てとは言えないのだが、せめて自分が進行役で関わってくれる鑑賞者には「みる」ことは大切なこと、ちょっとでも意識すれば世界が変わって見えるかもしれないよ、ということを伝えていきたいから、ファシリテーション(ナビゲーション)をしよう、と考え続けているのかもしれないな、というのが本音だ。
これまでの経験を踏まえて、来年以降もオンライン上で自主企画を継続したり新たな形での場の構築を考えている。また、実践を通して様々な縁が生まれ鳥取県内での対面実施の話が進行している。展覧会や施設でやらせていただく予定だ。ナビゲーター活動を始めてから4ヶ月の人間が「対話型鑑賞」に関して大したことを言えるわけではないのだが、ヨチヨチ歩きでも続けてきたからこそ、自分自身の見えてくる景色がだんだん変わってきた。それこそ解像度がより、上がったように感じている。これがいつまで続くかは分からないが、無理のないペースで続けてみて、来年の今頃の自分はどんなことを考えているのか。そんな妄想を膨らませながら、今後も挑戦していきたいと思う。深い鑑賞や深いファシリテーションに到達し、あらゆる場に対応出来るようになるには、まだまだ時間をかけていくのみである。
おまけ
今後も自分自身で実践の場をつくっていくつもりだが、『うちでも「対話型鑑賞」をして欲しい』『一緒に何かやりませんか』という方がいれば、是非お声がけください。
来年以降は状況が許せば、各地の「対話型鑑賞」実践者を訪ねてインタビューやリサーチを小さく行っていきたいな、という考えがあり、「対話型鑑賞」がそれぞれの場所・土地でどんな根付き方や展開をしているのかを調査しつつ自分の活動にも深みを出したいな、という妄想をしています。