問3.恋愛教育は必要か。

≪他者を健全に愛する力は文化資本か、人格の問題か。≫

タイトルの問いを考えてみようと思ったのは、昨夜、ふとこんな問いが浮かんだからです。

時代の変化とともに価値観は多様化しました。
すなわち「~をしていれさえすれば正解だった」時代の終わりを意味します。
これは、恋愛や結婚でも例外ではありません
多様なパートナーシップのかたちが認められつつあります。

この社会には、生まれた時代・地域が、自分が持っている価値観にたまたまあっていなかったばかりに、「生きにくさ」を感じている人がいます

例えば、同性愛は制度の不寛容や、差別に長年苦しめられてきました。
しかし、時代や地域が変われば当たり前のように許されていたかもしれません

不合理な社会通念としての『だめ』が減っていくことは、今まで「生きにくさ」を抱えていた人を救える可能性があります。

一方で、新たな価値観の流布が、新たに「生きにくさ」を抱える人を増やす可能性もあります

≪具体例:オープンリレーションシップを例に。≫

例えば、複数人と同時に恋愛関係を持つオープンリレーションシップ。
ひと昔前は「浮気は悪である」という価値観が常識とされていましたが、ここ数年でオープンリレーションシップを公言する人も増えました。
オープンリレーションシップは1on1と比べパートナーを大切にできていない、というのは単なる色眼鏡であり、当事者全員を大切に生きている人もいます。

しかし、例えば、今までオープンリレーションシップが当たり前だったAさんが、モノガミー趣向のBさんと付き合った際も同じことをしてしまったとき、思いもよらずBさんを傷つけてしまう可能性もあります。価値観の衝突です。

ひと昔前であれば、Aさんの価値観であり糾弾されるべきもAさん、となっていたでしょう。

では、AさんはBさんの価値観に合わせるべきなのでしょうか。
多様な価値観の一つと考えた時、Aさんが問答無用でBさんに合わせなければならない根拠がありません。たしかに、なにもしなければBさんだけが一方的に傷つき続ける可能性はあります。
しかし、Aさん自身が元来の恋愛は1on1ですべきという価値観にとらわれ、それが気づかぬうちに生きにくさの根源になっている可能性もゼロではなく、その場合、誰も幸せになりません。

社会通念としての悪がなくなっていく中で、私たちはなにを基準に自分たちなりの正しさを決めていけばいいのでしょうか

≪何が健全なかたちか。≫

パートナーシップの在り方も多様化する中、何が良くて悪いかは人それぞれかもしれませんが、ここに一つの指針をご紹介します。

予期せぬ妊娠を防ぐための活動を行う「Power to Decide」のマネージャー、マッケンジー・パイパーさんは、“不健全な恋愛”とは、「基本的には片方が相手の主張する力を奪い、奪われた方が自分自身の価値を感じられなくなるような関係性を指します。」と説明します。

つまり、多様な価値観が混在する現代社会では、「価値観が異なっていること」自体が問題なのではなく、そこに対し、適切な『対話』がなされず、どちらかが迎合せざるを得ない関係性が問題という考えです。
私自身もこの定義を支持します。

私は、パートナーシップの方針に関わる重要な意思決定は、対話によって双方の合意のもとなされるべきと考えます。

しかし、これには、問題もあります。
実は対話する力は、「聞く力」「考える力」「表現する力」など、様々な力が要求されるのです

≪愛する人を大切にする力。≫

親友が恋人に浮気されたことを聞いたり、大切な人が恋人関係において理不尽に深く傷つけられたことを知ったりした際、得も言われぬショックを受けてしまうことがあります。

一方で、大切な人なのに衝動的に不健全な行動を取ってしまった経験や、これから取ってしまうリスクというのは、誰しもにあります

私自身も、恋愛に限らずとも、相手を傷つけると自覚しながらその行動をとってしまった、という経験はあって、そんなときは、自分の性格に自信がなくなり、深く自己嫌悪に陥ります

恋愛のこととなると、そこで巻き起こる諸悪の根源は当事者の「人格の問題」に片づけられがちですが、本当にそうなのでしょうか

実は「健全に人を愛する」ために必要な様々な要素が、そもそも重大な文化資本であり、教育により育まれていくものなのではないでしょうか。
*ここでの教育は家庭教育、地域社会での教育を含めた「教え授けること」すべてを指す広い概念で使っています。公教育だけを指してはいません。

≪貧困の社会的決定要因。≫

貧困問題の話をすると、「どうしてギャンブルになんかにお金を使うんだ」「あいつが貧困に陥っているのは自己責任だ」という話があがります。

しかし、人格の問題よりも、貧困には、政治、経済、災害、外交、等、個人にはどうすることもできない様々な環境的、社会的要因が複雑に絡み合っていることが、近年の研究で明らかにされています。

世代間連鎖も問題です。

特に、経済格差が教育格差を生み、教育格差が次の世代の経済格差を生むという負のループが存在します。

「ギャンブルに大金をつぎ込まない」「お金に余裕のないときは節約をする」といった、ある特定のコミュニティに所属する人からすると、至極当たり前のように感じることは、実は「教育」によって身につく「文化資本」であることは紛れもない事実です。

皮肉なことに、ある問題を抱えている人を見た時に、その背景に心を巡らせられる力も、教育を通して獲得できるものというのがあります。

「貧困はその人が怠けているからではないかもしれない」という考えは、素朴理論(成長・発達していく過程で、身の回りの観察を通して、自然に獲得する知識体系。)として習得しにくい理論なのです。

One Love FoundationのCEOケイティー・フッド(Katie Hood)氏は
関係が不健全になる理由の1つは、我々が愛し方をはっきりと教えられていないことにあると述べています。One Love Foundationは若者に健全な愛とはなにかを広めることで、虐待を減らす活動をしています。

恋愛のこととなると、つい短絡的に人格否定に走ってしまうというのは、日頃からSDH(社会的決定要因)などに興味があり、学んでいる身としては、大反省でした。

健康の社会的決定要因とは、健康格差を生み出す政治的、社会的、経済的要因のことです。これらの要因によって、私たちのライフスタイルや生活環境には差が生じ、その結果として人々の健康状態の差が生じます。
https://www.healthliteracy.jp/senmon/post_29.html

ここで、パートナーシップの話に戻ります。
実は、他者と対等かつ健全なかたちで深い関係を築く、というのは、様々な能力が必要とされるのではないかということです。
しかし、日本には学生が恋愛をすることをよく思わない風土もあり、校則で禁止されている学校もあります。そもそも勉強や課外活動に忙しく、十分に人を愛することについて考える時間を持っていない学生も多くいるでしょう。

学校、地域、家庭、どこでやるかに関してはまだ私自身まったく考えがありませんが、いずれにしても愛の教育というのは実はとても大切で、あらゆることが目まぐるしく変わり、価値観も多様化していくVUCA時代において、幸せに生きる人を増やすために、より一層必要性が増していくのではないでしょうか。
そんなことを考えた一日でした。

≪(おまけの問い)文化資本の『文化』っていったい何?。≫

文化資本の『文化』ってなに?気になったので調べてみました。

文化は,(1)人間が人間らしく生きるために極めて重要であり,(2)人間相互の連帯感を生み出し,共に生きる社会の基盤を形成するものです。また,(3)より質の高い経済活動を実現するとともに,(4)科学技術や情報化の進展が,人類の真の発展に貢献するものとなるよう支えるものです。さらに,(5)世界の多様性を維持し,世界平和の礎となります。
このような文化の果たす機能や役割にかんがみ,社会のあらゆる分野や人々の日常生活において,その行動規範や判断基準として「文化」を念頭に置いて振る舞うような社会,言わば「文化を大切にする社会」を構築することが必要です。
そのためには,一人一人が文化を大切にする心を持つとともに,国や地方公共団体などの行政機関においては,文化を機軸にして施策が展開される必要があり,また,企業も社会の一員として,文化の価値を追求して行動することが求められます。

文化庁HP
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_2/shakaikochiku_toshin/


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