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変わって欲しいという願い

昔の私は生きづらそうに見えたのだろう。

何人もの人が私を変えようとアプローチしてくれた。

けれど残念なことにその親切心からのアプローチは、私をただ苦しめただけだった。

一番変わりたいと願っていたのは、他ならぬ私自身だったから。

変われないはずだった私が変われたのは、そのままでいいと受け止めてくれた人の存在が大きい。

怖い怖いと縮こまって固くなった心に、ゆるゆると温かなものが流れ込み、時間をかけてふやけていった。

自分は変われるのかもしれないと、芽吹きの予感にワクワクしたことを今でも鮮明に覚えている。

あの感動は忘れられない。

だからこそ、誰かを変えたいと思った時には、どうか一度立ち止まって欲しい。

変わって欲しいというのはエゴで、そのためのアプローチはどこまでいってもきっと、ただの自己満足だ。

こんなにしてあげているのに、相手のためなのにと、如何にもその行為が正しく聞こえるよう、無意識に言い換えてはいないだろうか。

変わる変わらないの選択権は当人だけのものであり、横から奪ってはいけない大切なもののはず。

相手のためという如何にもな大義名分を前に、ついわからなくなってしまうのだけど。

だからこれは、未来のお節介な私に向けての置き手紙。

自分の体験を基に、誰かを変えてあげようなんて思い上がりだけはしないで欲しい。

選択の先で待つものに、外野はどうしたって責任を持てない。

その人が苦しそうに見えるなら、安心できる居場所を作ることだけに専念してはどうだろう。

頼むぞ、いつかの私。




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