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わたしの病気と呼びたい体調不良のお話

ご挨拶

初めましての人は、初めまして、よろしくね。

また会ったねの人は、来てくれてありがとう。

クラカノコです。

簡単な自己紹介は…2021年11月からNFTの2つのコレクションを1人で運営しております。一つはゆるゆるとしてペタンコなキャラクター、もう一つは美少女画です。気になる方はこちらからどうぞ。

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本題

さてさて本題。いきなりですが私は現在ニートです。身も蓋もないですね。

何故か?従業員として働けなかったからです。

理由は体調不良、具体的には偏頭痛。

全国、女性の方が多いらしいのですが、その数は1000万人以上なんだとか。多い。今調べてびっくりしちゃった。ここで、「働けないなんて嘘じゃん」と思った方、多分正解です。偏頭痛でも頑張って両立して上手く付き合って働いている方はたくさんいます。わかってます。尊敬しかないです。でも、私には無理なんです。

「頭痛は我慢できるけど腹痛は我慢できないよね」

この言葉、何気なく言われた言葉ですが、大体の人が当てはまるんじゃないかな。急な腹痛、本当に怖いし力抜けちゃう痛みだよね、シクシクと。私も無理。この感覚、偏頭痛持ちの人も、当てはまる人は多いかも。でも私の場合は、どっちも我慢できない。

頭痛が一番ひどい時は痛みで床をのたうち回り、じわっとまとわりつく脂汗と胃液しか出ない嘔吐。布団の端を握り、寝室にいたのに洗面所で丸まって寝るなんて一度や二度じゃない。これが、毎日。

いや地獄かよ、いや地獄なんですよ、本当。

予防薬も痛み止めも専門薬も、毎日痛いから毎日飲んで、飲んだら信じられないくらい効くから、気がついたら薬物乱用頭痛になるんですよね。薬物乱用頭痛は薬の飲み過ぎで起こる慢性頭痛なんですけど、本当にエブリタイム痛い、気持ちが悪い、辛い、笑えないくらい。断ち切るには1ヶ月とかの断薬が必要で。その期間、どうなるか、説明しなくてもわかりますよね、ひどいんですよ。

痛みで終わる日もあれば、うっすらとした痛みがある日もあれば、痛すぎてて寝付けない日もあったり毎日様々…光がだめ、音がだめ、匂いがだめ…もう、こうなると日常が廃人なんです。

段々と体内時計が後ろに倒れて、昼夜逆転。

頭の中がパンパンに腫れるような痛みと、鼓動に合わせて脈打つ痛みと、肩まで痺れる痛み。おまけに胃までムカムカ。人により症状も様々だけど、私は本当にひどかった。

で、症状が始まって10年近いんですけど、おかげでかなり人生が狂っちゃったんですよ。

JKと言われる夢のような高校生活は、毎年留年ギリギリの出席日数。全く授業を受けたことないテストを受けて、赤点で、補習して、みたいな。この時点で心はズタボロで、友達にノートを借りるのが申し訳なくて。同級生に頼み込む自分が情けなくて。痛みより精神的苦痛が上回ってしまって。どこか冷静に、精神が狂っていく実感がありました。思春期ってただでさえ多感で不安定な時期なのにね。

でも、休日の日は薬をたくさん飲んで、たまに友達と遊んで、”私はまだ大丈夫だ”と自分自身に虚勢を張っていました。体調不良で何度かドタキャンもしちゃったけれど、苦しい中で、それが支えだった。

学校に行くのが怖くて眠れず、午後に起きて…まぁ、むくむく太りました。それでも、なんとか出席日数をキープしストレートで卒業した私は偉いのか、執念深いのか、友達が優しいからか、先生が頑張ってくれたのか。当時の私の心は荒み荒れ果て、毎日泣いて、泣いて泣き疲れて起きては頭痛。ダブルパンチ。最悪な状態で本当に逃げ場がなかった。制服可愛かったし、もうちょっと着たかった、欲張りかな。なんてね。

で、無事に卒業した私は東京の服飾専門学校へ行くため、上京しました。

精神も身体もギリギリでしたが、日常生活、頑張ればできたんです。外で吐かなきゃセーフって考えです。それに、”ここまで我慢してストレートで卒業出来たんだから大丈夫だ”という自信と”ここで止まったら足元から私の人生が崩れる”という恐怖がありました。周りに溶け込み、擬態して、一生懸命でした。

で、この専門学校がわたし、結構相性良くて。忙しくて精神がやられつつも、精神的にめちゃくちゃ救われたんですよね。

元々、デザインや洋服や絵を描くのが好きで、Perfumeさんの衣装デザインがやりたいという大きい夢を持って入ったんですが、とにかくクラスメイトや先生の考え方が新鮮で。私が田舎育ちで東京という場所だからかも知れないけれど。多種多様な自信を持っていて、キラキラしていた。もちろん授業も課題も多くて大変だったけれど、それでも楽しくて。絵を描くのは得意だし、みんなおしゃれで上昇志向で頑張り屋さんで。華やかで活気があって、自分の限界を超えていく楽しさと、ミシンの音と綺麗に並ぶトルソーと賑やかな作業室。わたしの好きなことで溢れていました。出席日数に厳しかったので、精勤賞とるくらい薬のんで遊んで勉強して頑張りました。(1日だけ覚ましかけ忘れちゃったので寝坊したのが悔しい)

ただ、無理して頑張ってるので、結局ガタが来るんですよね。シンプルに精神が深刻なレベルで崩壊しました。1年休学して夜間に編入したり。この辺あんまり記憶がないんですけど、相当辛かったんだと思う。

結局、不安障害を発症してしまって心療内科に通ったりもしました。

それが生きるのに追い討ちをかけてきて。鍵を閉めたか、ヘアアイロンは電源を切ったか、色々確認して家を出るのに3時間かかったりね。せっかくメイクもヘアセットも頑張ったのに、汗だく。余計に凹むんです。

わかる人にはわかると思う。ゲートがついていない新宿駅ホームが超怖かったり(通学で毎日使ってた)、空いている電車がくるまで1時間ホームにいたり、怖くてトイレの個室に逃げ込んだり…何度パニックを起こしたことか。それでも一人暮らししてました。今思い返すと、ただの狂気ですね。

頭痛の頻度も強度も相変わらずで大変だったけれど、まだ大丈夫だと言い聞かせて。精神が限界で行くのが辛いのに、それでもなんとか専門学校を卒業しました。人前で泣かないようにしていたけれど、卒業式、先生の「頑張ったね」って言葉で抱きついて泣いちゃった。その時、私は頑張れたのか、って少し肩の荷がおりた記憶があります。

で、大好きな学校を卒業して、自宅で、個人で色々な仕事を頑張りました。

でも足を引っ張ってくる体調不良たち。ここまで、ずっと頭痛はよくならず、精神薬を服用する日々。社会に属していないから、全てが降りかかってくる、悪い意味で自己責任。当たり前なんだけど、わたしだけ寝込んでいる時間ばかりで働けないことが悔しかった。私の実力はこんなもんじゃないのにな、って。

就活は、する余裕もなかった気がします。頭の中がぐちゃぐちゃで、人ともまともに話せないし、長年痛みと付き合ってきているのでその場で取り繕う事も、試験も…専門学校で成績がほとんど全て一番だったので自信はあったけれど、こんなんで就職される会社はたまったもんじゃないし、遅かれ早かれすぐやめなきゃいけない事もわかっていました。人の迷惑になるし、自信を失くす事になりかねないと。

そもそも精神薬を飲んでも毎日頭が痛いので、病んでいるものが治らない。病院を転々としたり、薬を変えてもこれなので、まぁ、お察しの通りです。

冒頭で話した高校時代から、何度も死にたいと思ってしまいました。10代の頃は、”20までに死のう、だから今は耐えないと。”って短期目標を決めて我慢したり。それを頼りにしていたら20歳過ぎたらなんで痛み抱えながら生きているのか訳わからなくて。本当に、苦しくて。自分じゃどうする事も出来ないから、誰か助けて欲しくて。どれだけ楽しくても、取り繕っても、その染み付いてしまった根底って中々変わらなくて。死にたいなんて思っている自分が親のお金でご飯を食べていることが申し訳なくて。自分で、生きるという選択ができなくなっていました。


自分を創るもの

わたしの人生は、青春は、ここ10年は、世間一般的に”頑張る”という土俵にすら立てなくてボロボロでした。

薬を変えたり病院を変えても”日常生活に支障がない”と呼べるレベルまで到達しない。心療内科も毎回縋るような気持ちで通っていました。

悔しいとも呼べない虚無が付き纏う。楽しい事も体調が良ければもっと楽しめたんだろうな、といつも後ろ向き。そんな思考だめだ、とわかっていても常にいつ痛みが酷くなるのか、吐いてしまうのか、外に居ればそんな思考に嫌でも傾いちゃうんです。だからTwitterやインスタも学生時代はやらなかった。きっと、もっと気持ちが辛くなってしまうから。

そんな中でも10年間、私の支えになってくれたものがありました。

それが絵です。

小さい頃から絵を描くのが大好きで、広告の裏の白い用紙に目一杯絵を描いていました。そして中学生の頃、自分のノートパソコンを手に入れてからは9000円のペンタブを買ってもらってそこからずっとデジタルで絵を描いてきました。

他人に見せる為とか、承認欲求とか、みんなと盛り上がりたいとか、一切なくて、ただただ自分の為に絵を描いていました。独りよがりで自己満足の世界。それが誰にも侵されることのない、”わたしの世界”そのものでした。

ずっとそのまま、まるで【ヘンリー・ダーガー】ように、自分の世界を部屋の中で完結させるものだと思っていました。


転機

で、体調のお話に戻るんですが、結構、肩の痛みも深刻で、首と肩に週2回注射をしたり(注射苦手な人は絶叫ものだよね笑)痛み専門のクリニックに通ったり…病院を転々としていたある日、たまたま頭痛専門の素敵な先生と巡り会えて、薬物乱用頭痛の本格的な治療がスタートしました。もう何度目かの薬物乱用頭痛の治療でした。

断薬期間の1ヶ月は地獄みたいな日々で…それが今年の9月。

痛みや回数は減ってはいるけれど、日常生活にはまだ遠いなと思っていた頃、今年春から認可された皮下注射の新薬を紹介されました。1回打つと1ヶ月持つそうで、かなーりお高いのですが、これで日常生活が手に入れば安いもの、と思い治療を決めました。

結論として、その新薬がとっても身体に合っていて、ほぼ毎日が痛かったのが今は週2回程度。多いと感じるかもしれませんが、私からすると”ほぼない”くらいなんです。2日は無駄にするかもしれませんが、1週間ってこんなに色々なことできるんだ!という驚きが私の中では大きかったです。

それが、今年10月の話。で、体調がよくなって、気持ちも上向きになってきて、ちょっと何か自分の武器で人生を本気で戦ってみたいなという思いが芽生えてきたんです。痛みを我慢し乗り越えて、せっかく生きているのだから、と。治る事はないけれど”これなら大丈夫だ”と、自分自身の中で確信がありました。そんな時にNFTに出会ったんです。今書いていて思ったんですけど、ちょっと運命っぽくないですか?NFTって、わたしの運命かも。

そこから早かったです。自分の動けるスピードに一番自分が引いていました。常に諦めがあったから、いつもはここまで本気に舵を切れなかった。

で、今に至ります。

SNSをほとんどやって来なかったので、ガチで人脈がゼロで。

それでも2週間で200人近いフォロワーさんと出会うことができました。こんなにたくさんの方に見てもらえるなんて、感謝です。そして暖かい言葉に触れて、私の考え方が少しずつ”融解していく”感覚を味わいました。


つまり、わたしは

絵を、もっと見てほしい、もっと知って欲しい、もっと共有したい、過去の私を救ってあげたい、誰かを救いたい、と思うようになりました。ちょっと烏滸がましいですかね。

NFTに挑戦することは、これら全てを兼ね備えていると思います。

芸術は、私を救ってくれた。

芸術という観点でも、投資という観点でも、人を魅了するという観点でも、NFTには可能性があると信じています。

だからこそ、本気です。私は”最近元気になったニート”なので時間がたっぷりあります。なので、人生をNFTに全振りします。これからの、人生の大逆転劇を、一緒にしませんか。見ていてくれませんか。人間が本気で魂を削る様を。側で、一緒に。


どうか、どうか。





2021.11.15 クラカノコ/KURAKANOCO


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