近頃の若者は世界征服なんて夢を見ない(7)
第1話はこちら
~前回までのあらすじ~
世界に平和と笑顔を届ける「正義の秘密結社」が日本を統治するようになって50年。
「悪のフリーランサー」であるブラディメアリ、エイトビット、レイヴンの三人は、秘密結社GSMの洋上パーティ会場に乗り込み、要人の娘・チエを誘拐した。
チエの監視にレイヴンを残し、メアリ、エイトビットの二人は治外法権都市横浜に足を踏み入れた。
目的は‘取引先’との会合……のはずだったが、二人は異様な雰囲気の中に囚われていた。
~悪~
ビルの8階、‘取引先’のオフィス。その扉の前にエイトビットは立っていた。
頭上では切れかけた蛍光灯が不規則に明滅している。エレベータから歩いてきた廊下は異様なほど静まり返っていて、ネズミ一匹の気配すらない。
そして少年の隣にもまた、人影はない。
ブラディメアリは、エレベータ内でエイトビットが目を離した一瞬の間に消えていた。声もなく、音もなく。
けれどそんなことは関係ない。
ここに来た目的は、‘取引先’に会うためだ。それが全て。些細な異常のためにそれが覆るようなことは、なかった。
扉を開く。寂れた廊下の内装には不釣り合いな、モダンなデザインの扉だ。鍵はかかっていない。
ギ。
わずかに金具の軋む音がして、やはりモダンなオフィスの内装がエイトビットを出迎えた。
整えられたデスク、ゆったりとしたソファ、無機質に回転を続けるシーリングファン。ともすれば都会のIT企業のオフィスか何かのような雰囲気。とても「悪の組織」の風体ではない。
けれどただ一つ、エイトビットは異常を感じる。
電源の切られていないディスプレイ。緩やかなスイングを流し続けるオーディオ。散らばった書類。飲みかけのペットボトル。
オフィスには異様な生活感が満ちていた。それなのに、
「誰もいないな」
異様な生活感を残しながら、オフィスには人っ子一人見当たらない。ほんの数秒前にはたくさんの人間がそこにいて活動していた、そんな様子であるというのに。
何か痕跡を残すことすらかなわずに消えてしまったかのだろうか。
それともタチの悪いドッキリか?
いずれにせよエイトビットは興味を示さなかった。どうせ末端の社員に要はない。
無人のオフィスを通り抜けて奥の社長室と思しき個室に向かおうとする。
「……?」
少年のスニーカーが何かに触れた。かさり、と乾いた音が鳴った気がした。
ゲーム画面から目を離さないようにしつつ、足元を見る。
花が咲いていた。
薄茶色く枯れた花。
エイトビットは花の名前など知らない。褪せた青、燻んだ赤、萎びた黄色。小さな花、大きな花。それぞれが違う種類の花だということくらいしかわからない。
一つ手に取ってみると、まるで幻の品であったかのように手の中で崩れて消えてしまった。
ぞくり。
唐突に、理由のない悪寒が少年の背を駆け上った。朝、鏡を見たときに自分の姿が映っていなかったかのような奇妙な違和感。
理由はすぐに理解った。
はじめその花は、単なるインテリアが床に落ちたものだとエイトビットは考えていた。
けれど、違う。
デスクの上。
椅子の影。
戸棚の中から少し覗いて。
よく見ればその枯れた花々はオフィス中に咲き誇っていた。まるで枯れた花々だけが芽吹く花園のように。
「……なんなんですか、これは」
しかもその花園は、ただの死した花園ではない。
生きている。エイトビットの直感がそう告げていた。
この花は、生きた花だ。
ぎょろり。
手折られた足元の花がエイトビットの方を視る。青く小さな花びらの密集した姿は、よくよく見ると寄り集まった瞳のよう。
くす。くすくすくす。
笑い声。クチナシの笑い声が少年の耳をくすぐった。
くす、くすくすくすくす。
エイトビットはゲーム機を操作する。奇妙だ。でも、関係ない。見えなくしてしまおう。彼は‘不可視’のタグを周囲の花々につける。タグをつけられた物体は、そのタグに記された属性に上書きされるのだ。それがこの少年の誇れるもの(プライド)「現実と区別する必要なんてない」の効力だった。
「これで静かにーー」
言葉が詰まる。
このときに初めて、エイトビットは手元のゲーム機から顔を上げた。その瞳の捉えた世界には、未だに枯れた花々が笑い、彼を見つめている。確かにタグ付けは完了しているはずなのに。
「バカな子供」
笑い声に混じって何かが囁いた。エイトビットが振り向く。誰もいない。花々がざわめいた。
「不思議そうな顔ね。私たちに何かしているのかしら」
声は右から聞こえているようでもあったし、その真反対から聞こえてくるようでもあった。
花々のざわめきは一層に強くなる。しかも、エイトビットは気がついた。枯れた花園がさっきよりも拡大している。既に足元は花でいっぱいだ。その全てが、ジッと少年を凝視している。
「でも、ダメよ。この世界は私たちの世界。あなたの誇れるもの(プライド)は届かない」
枯れた花園の侵攻はただその面積を増やすにとどまらない。デスクが、書類の束が、その色合いを失っていく。
枯れていっているのだとすぐにわかった。
枯れたものに触れると、やはり砂に還るように消え去ってしまう。
そして、今や花園は彼の足をも飲み込もうとしていた。
「どうしたの? 怯えて声も出ないかしら?」
くすくすくすくす。
花々が笑う。楽しげに笑う。笑っていないのはエイトビットだけだ。その両肩は震えている。
渦巻く笑い声の中、ゲーム画面に表示されるGAME OVERの文字列。
「あなたは一味の中でも最年少で、おまけに先頭には不向きだって聞いているわ。でも大丈夫、死ぬときは一瞬よ」
くすくすくすくすくすくす。
花園は瞬く間に少年の両足を飲み込み、洋服の裾を喰らい、全身に咲き誇った。首筋の色が褪せていく。
そして次の瞬間には、この非力な少年の全身は朽ち果て、砂となるのだろうか。
ぴたり。
少年の肩の震えが消える。
その瞳に怯えの色は、なかった。
「なにか勘違いをしているようですけど、教えておいてあげます」
ピシリとエイトビットの頬に亀裂が入る。
「僕は、イラついているんです。あなたが何者なのか知りませんし興味もないですが、仕事の邪魔をされるのは……本当にイラつくんですよね」
ピシリ、ピシリ。
今や彼の表情は細かなひびに覆われて窺い知れない。
くすくすくすくす。
ピシリ、ピシリピシリ。
そして、彼の肉体は枯れ色に染まった。
エイトビットは、死んだ。
(つづく)
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