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嘘ってなんでついちゃいけないの


素直で正直なことが取り柄だった。

白か黒かのはっきりした色と世界を好んできた。


それなのに、嘘も必要だなんて誰に教わったんだろう。


いつの間にか嘘をつくことの何が悪いのかもわからなかった。


いい嘘、優しい嘘、そんなものあるんだろうか


わからないけど、大学生のときはホステスさんとして働いて、現在は入れ替わりの激しい業界の営業として、本音と建前の社会を生きていくうちによくわからなくなってしまった。


へんてこに生真面目な性格のくせに、

そういう世界を選んできたのはどうしてなんだろう。


うまく生きる方法を知らないから、

本当にメンタルが参ってしまったときも

上司に『熱を出してしまい、お休みをいただきます』と仮の言葉を言えなかった。


『申し訳ございません。本当に会社に行きたくないです。数日休めば気が晴れると思います。お休みいただきます。』


そうやって、会社に有給休暇をもらった新人時代が眩しい。


取り柄だったはずの素直さは黒色に馴染んできて、ようやく最近わかったことがある。



嘘をつくことの代償は、

自分の本当の気持ち、本音、どうしたいか、どう感じるか

がわからなくなってしまうことだった。


自分の気持ちがわからない

自分がその人をどう思っているかもわからない

気づけば、自分がどうしたいのかもわからないなんて自分がないことと同じだった。


痛みにも鈍くなり、感情にも鈍くなった。


1年前の失恋は、最近ようやく痛みを伴って涙を流した。


好きだと言う前に、自分が相手を好きなのかを信じれなかった。

付き合いたいと言う前に、自分の気持ちを疑った。


だめならだめでいいはずが、

強がりと嘘を言ったとき、相手を疑った。


自分が本音ではないと、相手も本音ではないと疑ってしまうことが嘘の代償らしい。


疑い、疑いを繰り返した日々は、

自分を守ろうと必死になって、傷つくことを恐れたかっこよくない大人だった。


一瞬の大きな傷より、傷つかまいとじりじりとつけた傷の方が立ち直りが遅い。


何事も経験だと思えば、この経験も必要だったのかもしれない。


だけどそうだな、真っ直ぐな自分の方が好きだった。


いまだに信じすぎたり疑いすぎたり、つくづく生きづらい性格だと思う。


もっと上手く生きれたら楽なのに。


過去は変えられない、今と未來なら変えられる。


自分に嘘を付いてはいけないよ。


その痛みを知った。






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