見出し画像

Back to the late 90’s 第1話 はじまり

海の向こうからNOTORIOUS B.I.G.が、2PACに続き射殺されたと言う衝撃的なニュースが、とびこんできた1997年の3月。

地元の高校を卒業し、4月から大阪の大学へ進学が決まったちょうど春休み。梅田の高架下にあったCLUB DOWNへ行ったのが、私のクラブデビューだったと記憶している。

現在のNOONがある場所にあったのがCLUB DOWNで、そこで開催されていた何のイベントに行ったかまでは、定かではないが、恐らく、HIPHOP系だったと思う。

CLUB DOWN

自らの記憶を頼りに書いているので、話が前後したり、事実と異なる部分があるかも知れないが、当時CLUB DOWNは、ROCK系のイベントが盛んでHIPHOPは、ウイークリーや、マンスリーで定期的にあるのではなく、不定期で、それなりのビッグ・パーティーが開催されていた。

はじめてSUGAR SOULのライヴを観たのもCLUB DOWNで、『今すぐ欲しい』を生で聴いて感動したことも凄く懐かしい。そして今なお関西のHIPHOPシーンを牽引してくれているラッパーの茂千代君と初めて出会ったのも、このCLUB DOWNだった。

私と同学年だが、当時すでに音楽活動を始めていた彼は、今でも日本のHIPHOP史に、東京以外から一石を投じた一曲として、刻み込まれている大阪発JAPANESE HIPHOP CLASSICS、 DJ KENSAW『Owl Nite』にも参加していた。

DOWNの階段に座っていた茂千代君に、話しかけたところ、ぶっきらぼうな態度で、手をギューっと斜めにして、突っぱねるかのような敵意丸出しの握手をされた。

「なんやねん!コイツ!しばいたろか!調子にのりあがって!」と思った。けれど自分と同い年で、あのKENSAWさんに認められていたのだから「仕方ない......」と、思いとどまり、殴ろうとして握っていた拳を緩めた。当時まだお互い18~19歳だった。

DOWN時代と同じNOONの階段

後年になって、茂千代君とご一緒する機会があり、上記のDOWN以来、私と話した彼は、まるで別人ぐらい礼儀正しくて謙虚。そして私にも敬語で話してくれた。きっと彼自身も色んな事があり、紆余曲折を経て、名実ともに関西HIPHOP界、いや日本のHIPHOP界を代表するラッパーの一人となったのだ。ライムスターの宇多丸氏も認めたそのスキルと才能に、異論を唱えるものはいないだろう。茂千代君の才能もさることながら、HIPHOPへ対する姿勢も尊敬できる。


「パーティーの火を消しちゃいけない」と、オーガナイザーに対して、高額なギャラを要求しないのだ。彼クラスぐらいになると多額なギャランティは可能だけれど、そうすることによってオーガナイザーやクラブ側を苦しめてしまい、結果パーティーが無くなってしまうことが、HIPHOP衰退へと繋がると言う考えの持ち主なのだ!「素晴らしい」のひと言に尽きる。

DOWNの思い出と言えば、SUGAR SOULと茂千代君が、今でもパッと思いつく。それに以外にも、90年代後半に関西HIPHOPシーンで活躍した知る人ぞ知るラップ集団『LAST EMPEROR』が、『Child Play』と言うビッグ・パーティーに出演していたことかな?また『LAST EMPEROR』については回を改めて書きたいと思う。

つづく……

茂千代君と真ん中に筆者を挟み、右はレゲエ・サウンドJAHJAH ROCKのROCKさん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?