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「おじさん」へのトラウマ

目上の人・立場が上の人・権威がある人の強い言動を目にすると自分の存在がギュッと握りつぶされるような感覚に陥る。
大声で怒鳴ったり、あからさまに不機嫌になってみせたり、ダメ出しを延々と繰り返したり。

自分が損なわれるような感覚を素直に感じてしまうと保たない。
だから、感覚をマヒさせて、感じないようにする。
その具体的な行動として、「なかったこと」にしてしまう。
怒鳴り声も不機嫌もダメ出しもなかったんだ、と思い込むようにする。

トラウマってやつなんだろうなあと思ってはいたけれど、カウンセリングを受けるようになって、それは子供の頃の自分に戻って守っている耐えている現象なんだと一段深く理解することができた。
大人になっているのにその瞬間、僕の心は子供になっている。
無力だった子供時代、自分を守るためにそうするしかなかったことを大人になった今も繰り返している。

今もこうして書き記すことが困難だったりする。
なかったことにしてしまったことを「あったこと」として振り返ることは自分が損なわれたことを思い出すことでもあるからなのかな。

不快だった、嫌だった、こわかった、つらかった。
その感情を認めて表現することは、これまでやってこなかった自分からしてみると思った以上に酷で孤独な作業だ。
逃げたくなって、というか逃げながらも少しずつ思い出しては書き記す。

***

Aさんの攻撃的・否定的な態度と言動に出くわしたケース

心のゴミ箱に捨てた感情
●こわい、怯え、不安、ショック
いつ危害が加えられるかわからない恐怖感、安全安心が脅かされる
●怒り、軽蔑、嫌悪
その立場でありながらハラスメントの自覚がないなんて!バカかよ!
●うんざり、絶望感、失望、またか
ここでも起きてしまうのか、どこに行っても同じことが繰り返されている
●動揺、打ちのめされる、苦しさ、自分もそうだ
自分につきつけられている感覚、逃げられない、離れられない、縛り

本当はどうありたい?
・お互いが尊重され大切な存在だと認め合いたい
・お互いの心と体が健やかでありたい
・恐怖や沈黙ではなく、思いやりややさしさを分かち合いたい
・自分自身が変わりたい

***

目上の人・立場が上の人・権威がある人の強い言動。
それを受けて一度は心のゴミ箱に捨ててしまった感情を拾い上げてみると、たくさんの感情があって。
その背景にはお互いが尊重されたい、思いやりややさしさを分かち合える関係でありたいっていう願いがある。

そして、ここが一番言葉にすることが難しいのだけれど、、、自分自身も彼らと同じなんだということ。
日本の社会にあるヒエラルキーの伝統。親がこどもに、先輩が後輩に、上司が部下に、おじさんが若者に、教師が生徒に。そういう序列があって、力は上から下に流れていて、簡単に悪用できてしまう。

僕ももれずにその洗礼を受けてきたし、自分が上に立ったとき下の弱い立場の人を傷つけることをした過去もある。
そんな自分が嫌で嫌でたまらない。

だからこそ、自分自身が変わりたい。
変わりたい、変われない、いやもう手遅れ、無理だ、もう逃げられない、でも変わりたい、戻りたい、、、

絶えず目まぐるしく葛藤が渦巻いては消えていく。

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