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文章を書きながら思うこと

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文章を書く中で湧いてきた〈文章を書くこと〉にまつわる疑問や悩み、気づいたことやわからないこと、個人的なこだわりなどを、ここに集めています。
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「けれど」「が」「でも」「しかし」など、逆接の接続詞に偏りが出ないように気をつけています。おなじ段落の中ではなるべく違う接続詞を使って、繰り返しを避けたい。文章全体を見れば反復があってもしかたないとは思いますが、できるだけ配置をバラけさせ、見た目とリズムを整えられるとなおよし。

現行の自分ルールでいうと、「いろいろ」はひらがなに開く一方、「諸々」は漢字のままで開きません。カジュアルさの度合いを視覚的に表現したくて、この判断になっているんだと思います。「諸々」も「もろもろ」と表記するべきか、一瞬迷いが生じたので、ちょっと立ち止まって考えてみました。

詩作は、日本語のフレームをゆるめる作業。普段使っている言語では捉えきれない、フレーム外部の領域を内部に引き入れ、揺さぶりをかけようとする試みでもあります。人間の耳の可聴域外にも音は流れているし、人間の目には決して見えない光もある。この社会の現在のあり方だって、必然ではない。

「〜している」なのか、「〜してる」なのか。テキスト全体の流れの中で、厳密に決めています。どっちでもいい、と思って書くことはありません。作品のリズムをつくる、とても大切な要素です。
https://note.com/kunotakashi/n/nf8cbd2fc8ba8

イラストを描くモードに入ると、文章を読んだり書いたりすることがまた遠くなっていく気がします。思考の方法がまるで異なる(と感じる)ので、同時に熱心に、というのはなかなか難しいです。しかし、そんな中でも映像作品はするりと入ってくるのが不思議。個人的な傾向か、メディアの持つ特性か…?

noteの運営の方におすすめアカウントに選んでいただいていた期間があったからか、フォロワー数は異様に多いのですが、おそらくほんとうの読者は5〜10人くらいだと思います(体感です)。「ウケる」ように書くつもりはない。でも、やっぱり反応は気にしてしまう。ダサい葛藤と闘っています。

「ただのお絵描きだよね」とか「暇なんだね」とか、実際に言われている時期があって、その声を適度に無視してこられたから、いまできることができています。文章やほかのことだってそうだろうと思う。その時期の孤独は、なにかにチャレンジしようとするたびに、セットでついてくる。こつこつやろう。

しばらくまえに書いた文章を読み返していると、「いまだったらこの漢字は、ひらがなに開くのに」とか「ここにも読点(、)を入れたほうが、リズムが出るのに」とか、瑣末な部分に目がいって、そのすべて現在の基準で直したくなってしまいます。でも、実際にそれをすると、新しいものが全然書けない…!

改行は、映画でいう演出や編集のよう。言葉の強弱、画面のどこに誰が立つのか、寄りか引きか、カットの切り替わるタイミング、スローモーション…。読むたびに少しずつ修整したくなってしまいます。

「人生って意外とシンプルなんだ」と「なにもかも混沌の中…」を行き来する、その往復の一部を切り取った〈ゆらぎの断片〉を僕は書こうとしているんだと思います。連帯できず無力で、ポピュラリティも得られないかもしれない。しかし、そういう愚図なりの創作を、いまはひとまずつづけていきます。

〈わたしという誰かの演劇〉も、ほんとうは改行したいんですよね。そのほうが読みやすいし、流れも伝わりやすいのはわかっているんですが、いかんせんブラウザはサイズが可変、それぞれの環境によって半端な折り返しができてしまうのがどうしても気持ち悪く思えて、無改行のスタイルをつづけています。

映画や美術展を見に行ったあとの気持ちを、感想や批評やレポートとは違うかたちで表現したいとずっと思っていました。ある作品を前にしたとき、作品と自分とのあいだに生まれた関係それ自体を言葉に置き換えたい。〈わたしという誰かの演劇〉には、そうした試みも徐々に含まれてきたように思います。

再開についての、短いイントロ

再開についての、短いイントロ

最後に自分たちで劇場公演をしたのが、2013年。そのときの反省がたくさんあって、いまどうにかイラストレーターの仕事ができています。

あれから6年経ち、演劇とも、文章を書くこととも、ずいぶん距離ができてしまいました。過去の活動でまわりのひとたちを追いつめてしまったことから、自分にはその資格がないのだと、再開することには大きなためらいがありました。

ですが、またはじめました。リブートです。イラスト

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「下りる」と「降りる」、「上る」と「登る」と「昇る」の使い分けって難しいですね。「降りる」は乗り物からおりるイメージでしょうか。単純に「登る/昇る」の反対が「降りる」というわけではないようです。「登山」というけど、「降山」ではなく「下山」ですよね。出てくるたびに迷ってしまいます。