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追記。レビューと考察「米津玄師/馬と鹿」”馬鹿”とは?


先日、「馬と鹿」のレビューと考察(↓)を書いたが、少しばかり追記しておきたい。



馬と鹿。馬鹿の意味は…?

「どんぐりと山ねこ」

宮沢賢治の作品に「どんぐりと山ねこ」という童話があって、これが関係しているのかも?と思った。
簡単なストーリーを紹介すると、
大勢のどんぐりたちが一番偉い者を決める争いをしていて(頭の尖っていることが偉いというどんぐり、丸いことが偉いというどんぐり、大きなことが偉いというどんぐりがいて、それぞれ自分の言い分で争っている)、これに困った判事の山ねこが、一郎(人間の男の子)に何かいい方法はないかと相談する。

一郎はわらってこたえました。
「そんなら、こういいわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくおせっきょうできいたんです。」

そうすると、争いは収まって見事に解決した、という流れ。
「馬鹿」という表現は、通常、罵るような言葉として扱われているが、ここではそうではない。
この真意は賢治が傾倒していた法華経の話になるので詳細は分からないが、宗教の話は横に置いておいても、何か通じるところがあるのではないだろうか。
この楽曲において「馬鹿」とは、「愚直」「ストイック」といった意味ような言葉に置き換えてもいいのかもしれない。
愚直なまでに一つの物事に熱中して取り組む。
その過程で傷を負うことや犠牲を伴うことも承知の上で、それでもやはり何かに狂ったように突き進んでいく、ただただその純粋な気持ちと行動が美しく尊いと考えると、米津さんのインタビューの内容とも合致すると思う。


普遍性の愛=母であり、海

歌詞の最後の「止まない」を歌う部分は、弦楽器が狂気じみたうねりや唸りと音量を上げて結末に入る。
心理的に追い込むような音の響きだ。
また、音の終わり方も奇怪な不自然さが残る。つまり、後味が悪い。
男性に関しても、地獄のようなところで群衆に揉まれる様が、まるで業火に焼かれるようでもあり、アップ画像で目を見開くラストシーンは鬼気迫るものがある。
このシーンの直後に、突然音が切れて海で一人佇むシーンは真逆で、見ているこちらは不意を突かれるような場面転換だ。
業火で焼かれた体を、海の水で沈静化させようとしているとも捉えられる。

そして、ループしていると仮定すると、その流れで冒頭のシーンに入る。
冒頭シーンは坦々としたギターの音で始まる。
大勢の女性が波のような形を作っているのは、海を表現していると思われる。
海=地球上に生命が誕生したところであり、海には母という漢字が含まれている。だから女性が起用されているのかもしれない。
海=母=普遍的な愛をイメージしている。
あるいは、海=源と考えると、原点という意味もあるかもしれない。
そのような母なる海の前で男性は佇んでいる。
傷ついた心を愛によって癒しているのかもしれないし、原点に立ち返ってリスタートを切るということかもしれない。

痛みは消えないままでいい

印象的な歌詞で「痛みは消えないままでいい」というところがある。
痛みは生きている証拠でもあり、頑張ってきた証拠でもある。
この痛みを通じて、また頑張ろうという気持ちにもなる。
また、他者に対する思いやりにもつながるかもしれない。
だから、痛みは消えなくていいという意味なのかな、と思った。



(参考)
どんぐりと山ねこ/宮沢賢治/株式会社岩崎書店




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