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若い頃の苦労と通訳は買ってでもしよう【元外交官のグローバルキャリア】

社会人生活で、語学が多少なりともできると通訳に駆り出されることがあります。若い頃にはそれを素直に受け止められない時期がありました。でも五十路も過ぎてみると、若かりし頃の通訳経験はなんと貴重な経験だっただろう、と振り返ります。年齢不相応な重要な会議に出席し、時には頼りにされます。その若さでは普通はなかなかいけない料亭や高級レストランに同行し、雲の上の人々に通訳として語りかけます。

企業のCEOの通訳をしていた時の企業のトップ同士のビジネスのやりとり、アメリカ大使館では米政府高官来日時お日米政府の交渉、華やかなところでは、パウエル国務長官の通訳として総理大臣主催レセプションに同行したり、ブッシュ大統領の朝食会で錚々たる企業のCEOとのやりとりを目の当たりにする機会がありました。外務省では、皇居での某国国王訪日宮廷晩餐会やアナン国連事務総長との会談、キッシンジャー元国務長官やシンガポール独立の父リークワンユー元首相も出席するレセプションに身を置くことができました。30代前半までにこんな大物たちと至近距離にいてその会話の内容を垣間見られる経験は、通訳以外ではなかなかありません。

通訳には向き不向きがあると思います。語学がとても得意でも通訳があまり得意でない人もいるし、それどころか苦痛を感じる人もいます。私は瞬発力が求められて多少大雑把でも時間が勝手に流れていく通訳が、コツコツと積み上げなくてはいけない翻訳よりも好きです。

企業内通訳になったのは、普通の総合職就職に失敗したから

海外で育ち、習い事の一環として大学1年生で通訳学校の1年コースの入学試験を受けました。同時通訳の第一人者の大先生に「日経新聞を音読して下さいね。」と言われるくらいに一般常識と国語力が不足していた頃です。入ったは良いけれども、優秀な社会人に混ざっての通訳コースは半年で早々と辞め、かわりにその学校の英語専修コースのサブ講師のアルバイトを開始しました。人の話を訳すよりも自分が語りたいと嘯いて、通訳には向いていないと決めつけました。就職先は製造業の総合職で海外営業と考えていました。

ところが氷河期に入って就職活動がうまく進ま見ません。拾ってもらった就職先は、流通のカリスマ会長アシスタント兼通訳として出向することが前提でした。就職活動中にばったり再会した通訳学校の英語専修コースの生徒さんの紹介でした。

会社の制服を着て毎朝朝礼を唱え、出向とはいえ社員の一員として企業内で専属通訳となってみると、仕事の内容や業界のことを理解して訳すことを面白いと思う様になりました。当時はビジネススクールのケーススタディとして注目されていた会社の経営戦略です。カリスマの考え方や、会社の業務内容を理解するために、管理職の会議にも参加させてもらっていました。買収したアメリカの元親会社の幹部会に年に4回出席し、社外取締役の大御所が会議を通訳するのを聞いていました。自分は店舗視察や個別の会談などその他の通訳場面を受け持っていました。発言者に待ってもらって逐次に通訳していく手法から、徐々に話している最中から被せる通訳技量も身につけていきました。ヘッドフォンとマイクをつけて同時通訳をすることもありました。

会長のご加護を受けた無邪気で天真爛漫な新人でした。プロフェッショナルとして「こうあるべき」を頑なに無視した若造は親よりも年の離れた偉い男性たちに逆に面白がられたのかもしれません。

最初の海外出張でカリスマ会長は、ホテルのロビーで皆が集まるのを待つ間にこう言いました。「僕は英語ができない。それだから英語のできる君にこうして来てもらっている。そういう意味では僕と君は対等なんだ。そう思って仕事をしてほしい。・・・ もちろん、あまり外の人の前で対等な関係を見せるとおかしくなっちゃうけど(笑)。」

こうして不均衡な対等関係から発展していった三つ子の魂は百まで、社会人生活についてまわりました。その一つとして、どんなに社会的に格上の人の前に出ても萎縮しない自信がついたのかもしれません。通訳というスキルのおかげです。

出張中の最初の通訳場面は、会長が現場の店舗周り中に担当を叱責するところでした。怯みましたが、会長のニュアンスとトーンに合わせて「どうしてここに生鮮が並んでいるんだ!」と英語に訳しました。今から考えるとお手並み拝見と教育的指導だったのかもしれません。ストイックに会長のマウスピースになるべき立場を身体で覚えました。その頃自分が現場で覚えたのはこんなことです。

  • 常に一人称で、話者になりきって大きな声で自信を持って話す。

  • 話者の話が訳すのに長くなったら遠慮せずに遮ってでも訳す。

  • 話者の呼吸のリズムを大切にして、話の流れが途切れないように訳す。

  • 「すみません、もう一度」と遠慮なく言う。「こう言うことですか?」と自分から要約や確認はしない。

  • 業界に関する本をたくさん読む。

  • 年長者の語彙に近づくために、四字熟語や故事成語の日本語力を磨く。

  • 現場で学びながら業界用語の単語帳を作っておく。

  • 冗談が伝わらなそうな時には「冗談を言います」と言ってから訳すと聞いている方が笑うタイミングを理解する。

  • 数字の桁の一覧表を持っておく。

     10 thousand - 1万
      100 thousand - 10万
         1 million  -  100万
           10 million    - 1000万
    100 million  -  1億          ・・・

アメリカ大使館で困った通訳場面

その後二度の転職で、アメリカ大使館の政治部に入りました。業務内容に通訳は特に入っていなかったかと思います。転職してちょっとして、大使公邸で来日中の国防長官と衆議院の防衛ガイドライン委員会の会談が行われることになりました。日米双方で30人は超えている1時間ほどの会議でした。その会議の通訳を上司の配偶者でプロの通訳が一人で日英双方向を担当すると言うのです。上司も日本語に堪能なアメリカの外交官なので、たくさんの人の発言を一人で両言語をさばくことがどれくらい大変なのかは分かっているはずです。
自分はまだ転職したばかりで議題の内容も背景もあまり理解していない頃ですが、自分も通訳をすると名乗りあげました。大事な場面だけに、上司は「できるのか?」と半信半疑でした。まだ私を通訳として使った経験はなかった頃です。「できることをやります。内容も詳しくは分からないので間違えるとも思います。訂正してもらいながらやれば、奥様の負担は軽減して会議が進められるはずです。」
この時も、間違ったら直してもらえるように声が隅々まで届くように通訳をしました。事前の打合せ通りに、私の誤訳はメインの通訳と上司で手短に訂正をいれながら進めていきました。誤訳の訂正は了解のもとに挿入したり気をつけて直さないと通訳の集中力が途切れたり、ペースが乱されてパニックになることがあります。
この時、ある日本の政治家がオルブライト国務長官がアウンサンスーチーに肩入れし過ぎれているとして「まるでレズビアンだ!」と挑発的に発言する場面がありました。訳すのか、訳さないのか?困って上司を見ると、呆れた顔をして天を見上げています。普通ならば訳しますが、米側の通訳なのでその判断ができません。発言者と別の元防衛庁長官の方向に目を向けると平手を下に向けて左右にふり、「訳さなくていい」と伏目がちに合図してくれたので口をつぐみました。

連邦議員や経済案件のしどろもどろの通訳

初期に事前準備なしで突然に外務大臣とダニエル・イノウエ上院議員との会談に連れて行かれたことがありました。外務大臣の後ろから颯爽と現れて、流れるように通訳をした外務省の通訳官の姿が目に焼き付いています。米議会の運びやイノウエ議員の問題意識を知らない私は、独特の議会用語や言葉遣いにしどろもどろでした。今なら法案を廃案にした、と言っていることが分かりますが、"A draft was put on the floor, I killed it." が何のドラフトかも分からず「殺しました」とぶつぶつと訳しました。「プリンセス」をそのままカタカナにすると、憮然とした外務省の局長から「紀宮!」と訂正が入りました。

経済部に駆り出された通訳で製鉄業界の話になり、知らない単語が飛び交ったこともあります。二度目は製鉄に関する用語を調べて挑みましたが、発言者が円滑な通訳のために最初からカタカナで言ってくれて拍子抜けしました。
あえて故事成語や独特の言い回しを使って「これ訳せるかなー」と言われたり、なかなか訳す間を置かない発言者、逆に文末で切らずに断片的に話すことで文脈がわからなくなり「続けて下さい」と促さざるを得ない発言者、と色々います。

アメリカ大使館でも内部の通訳だったので、大手に所属したフリーランスの人とはまたやり方が違うでしょう。ここで追加的に覚えたのはこんなことです。

  • 事前に両発言者の略歴をよく予習しておく。

  • 会談内容に関連した新聞記事を事前に読んでおく。

  • 閣僚や政府高官の正しい肩書きを日英でリストアップしておく。

  • 中国の要人は日本語と英語で発音や呼び方が違うので気を付け、リストアップしておく。 

  • 空気を読みながら通訳する必要があることもある。

  • 口が乾くので水を用意する。

外務省の通訳は要求されるレベルも与えられる環境も違う

外務省で通訳になるにはプロセスを踏みます。語学研修で一定の成績を収めた人がさらに通訳研修を受け、その中からふるいにかけられていく様です。私は中途で経験者採用だったので、入った当初はいくら通訳をやりたいですと言ってみてもそのレールに乗れませんでした。ところがある日、たまたま前職での通訳ぶりを知っていた課長が人事課に話を通してくださって外務省でも通訳業務を担当することになりました。

外務省の通訳は、皆通常の業務があった上でその合間を縫って他部署のお手伝いをします。人事課から上司に依頼があり、自分の業務をやりくりをして通訳の準備をして現場に出向きます。さすがは外務省で、通訳を依頼する心得なるものも公開されていまいした。通訳の事前準備のために依頼元が充分前に関連資料を渡しブリーフィングを怠らない様に徹底されていました。どんなに語彙が豊かでネイティブ並に言葉を操る通訳でもどれだけ話の内容を理解しているかによって精度が全く変わります。

外務省に入って右も左もわからなかった時に支えられたのが通訳の仕事です。普段の仕事で接することのない部署とやりとりをし、あっという間に顔が広がりました。たった一度の通訳で友達になった人もいるくらいです。

華やかで社交的な通訳ばかりではなく、手に汗する重厚な通訳もあります。通訳に慣れれば慣れるほど事前準備をしっかりとする様になり、総理官邸での通訳で事前に原稿をもらっている場合は全訳して挑みました。官邸の部屋に轟いている声が自分の声だけ、とはたと気がついた時は身が引き締りました。 

外務省の通訳、特に英語通訳が鍛えられるのは、会議同席者に一人や二人総理通訳経験者が同席していることです。「お時間のある時に部屋に寄って下さい」と、幹部から貴重なアドバイスをいただいたこともありました。下の世代を育てようという大先輩の叱咤激励が得られる機会は、他ではなかなかありません。

黒子だけど通訳は物理的に前へ前へ

アメリカ大使館でも無邪気でお気楽な通訳だったので、その傍若無人ぶりは外務省の通訳官のプロフェッショナリズムとはかけ離れているかもしれません。少なくとも外務省で通訳をするまでは、食事の場での通訳では、双方向の通訳をしながらでも食事を平らげていました。
通訳の席が会議出席者の同列でなくてちょっと後ろにあっても、ぐいぐいと椅子ごと身体を前に出して、音を聞き漏らさない位置に陣取りました。
ウィスパリングと呼ばれる、一人の人のための同時通訳として耳に内容を囁く場合もあるので、席の位置は遠慮せずにその場その場で聞き手や発言者にとって一番良い場所を考えて行動します。
レセプションでは発言者に歩調を合わせて、感情豊かに朗らかに通訳をして話を盛り上げました。皆さんそれぞれのやり方やスタイルがあると思いますが、自分自身に言い聞かせてきたのはこんなことです。

  • 通訳は声が大きいことが大切。間違えも恐れずお腹から声を出すこと。

  • 黒子に徹して、言語のギアをニュートラルの位置においたまま無心で話すこと。

  • 遠慮せずに一歩前に出て通訳業に徹すること。

  • 「えっと」などのノンワードを飲み込む。自分が繰り返す口癖を捉えて雑音をなるべく含まないこと。

  • 略語は予め対訳表を作って、現場でチラ見できる様にする。国連関係は特に略語が多い。

  • 口語ではなく、なるべく文語体で話すこと。

  • 首脳会談級で分らない内容は意訳せずに落とすこと。

  • 社交の逐次通訳では必要に応じて意訳すること。

  • 通訳をしている相手と物理的に呼吸を合わせること。できれば相手が話し終えて息を吸う間のタイミングに訳し終わっていること。

企業、米政府、日本政府の一員として通訳をしてきましたが、幸い有り難がられたり面白がられたり、褒められたりしたことこそあれ、態度が悪いと叱られることなく乗り切りました。ある程度の年次になると組織内で仕事で通訳する機会は少なくなります。緊張感からゾーンに入ったフロー状態で、普段では出てこないであろう言葉が日英でスラスラと出てくるあの感覚を懐かしく思い返します。

若い人には、組織内で通訳をする機会があればぜひ買ってでもしてほしい。若い頃だからこそ許される失敗もしながら、普段見ることのない世界に触れて将来の糧にしてほしいなと思います。


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