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仙の道 9

第四章・散(2)


結局、戸枝は渋々礼司の同行を認めてくれた。取り立てに行く先は市内の小さな建設会社ということだが、実際の相手は、浅川組に台頭する成和会という武闘派の暴力団だという。

「で、回収額は幾らなんですか?」
「現金でちょうど、6億だ…」
「6億…ですか?そんな大金、何で貸したんですか?」
「そんなことは、礼司くんは知らなくていいよ。どうせ、興味ないだろ?」
「まあ、そうですけど…それじゃ、戸枝さん1人で乗り込んだって、どうせ駄目じゃないですか。やっぱり僕が一緒に行かなきゃ…」
「え?なんで?」
「だって…現金6億円も…重くて1人じゃ持てないでしょ?」
「あははは……そりゃ、そうだ!うっかりしてた。ははは……」


戸枝は貸付先に電話を入れ、全額回収しに行く旨を伝えた。勿論相手は不承知だったが、戸枝は一方的にこれから出向くことを伝えて電話を切った。戸枝と礼司は組の車ではなく、会社の営業車に乗って先方を目指した。運転も社員に任せ、組員は一切関わらせなかった。どうやら、戸枝にはそれが余程大切なことらしいが、礼司にとっても、守るべき人は少なければ少ないほど都合が良かった。

目指す建築会社は市内の目抜き通りから一本裏通りに入った通り沿い、3階建ての小さなビルだった。入口の古びた看板には『飯田建設』と大きく記されていた。ビルの前には既に黒塗りの大きな乗用車が2台停められていた。車内には誰も乗っていないようだった。

「成和の奴ら、結構集まって来てるようだな…おい、この辺でいいや、お前は俺たち降ろしたら、どっか離れてろ。必要な時は携帯で呼ぶから…」
「はい。分かりました」
「あの…僕、この荷物置いてっていいですか?邪魔だから…」礼司は自分のリュックを示した。
「はい。どうぞ」
「よしっ…行くか…」2人は車を降りてビルに入っていった。一階の受付ロビーには誰もいなかった。戸枝は慣れた様子で受付横の階段を上り始めた。
「戸枝さん…なるべく僕から離れないようにしてて下さいね」
「おう、分かった…」

階段を上がると、二階は広いオープンな事務所スペースだった。並んだデスクに着いている者は誰もいなかったが、奥の打合せエリアに7人がたむろしていた。何れも明らかにデスクワークをする人種ではなさそうだった。二階に上がって来た礼司たちを見ると、その内の3人が近付いてきた。

「何でしょうか?」3人の内の1人が一歩前に歩み出て訊ねた。

「飯田社長はいらっしゃるかな?」戸枝は腹を据えた平坦な口調で訊ねた。
「どちらさんですか?」相手が思った以上に少人数な事に安心したのか、男は余裕の表情だった。
「サンキの戸枝だ。社長さんはいるんだろ?」
「ちょっと、待ってくださいね…」男はそう言うと後の男を促して、社内電話を掛けさせた。
「社長宛にお客さんですけど…サンキの方です…お2人だけですけど…はい、そう伝えます」後の男が電話を切ってこちらに伝えた。
「おりますけど、会えないっていうことですけど…」
「会わないって、言ってますんで…」目の前の男はにやりと笑みを浮かべて、少し頭を下げた。

「そういう訳には、いかねえんだよ…どきな、下っ端」戸枝が凄んだ。
「どうぞ…お引き取りを…」男は一瞬緊張しながらも、態度を変えなかった。すかさず礼司が間に割って入った。
「あのお…社長さんに会いに行くんで、そこ退いて貰えません?」
「なんだ、小僧…」そう言って男が礼司を腕で払おうとした途端、男は吹き飛ばされ、通路脇のスチールロッカーに激突した。後の2人が身構え、奥から様子を見ていた数人が慌てて飛び出してきた。
男は何が起こったのか分からずに通路に座り込んだままキョトンとしていた。

「野郎…」礼司よりも二回り程も大きい坊主頭の大男が礼司の胸ぐらに掴みかかった。その太い腕が奇妙な形に捩れた…腕からパキパキと小さな音が聞こえた。「うはああああ…」坊主は激痛に床を転げ回っていた。

「お前えたちには用はねえんだよ。邪魔すっと怪我あするぞ…」
「さ、どいて下さい。僕、喧嘩は嫌いなんで…」

身構えて行く手を遮っていた数人の内の一人が慌てて匕首あいくちを出して抜いた。
「なんだ?お前えら、ここの社員じゃねえな?ドスなんか出してよ。こっちは丸腰だぞっ!ははあ…お前えら全員、成和のもんだな?」
「うるせえっ!だったら何だっ!」男はそう言いながら戸枝に突進してきた。戸枝が身をかわす前に、礼司が素早く2人の間に移動した。「うっ」男の腹に匕首の柄の部分がめり込んでいた。
「ふぐううう…」男は苦しさに悶絶した。
礼司のすぐ脇の電話機に1人が飛びつき、慌ててどこかに連絡をしようとした。
受話器は『バチンッ』と音を立ててショートし、社内電話は全て不通となった。受話器を取った男は手の平にひどい火傷を負っていた。

「さあ、もういいでしょう?退いて下さいよ」礼司がさらに階段への通路を進むと、残った3人は表情を引きつらせて後方に飛び退いた。
「お前えら、上に行かせんじゃねえ、ぐっ…」スチールロッカーの脇に座り込んでいた最初の男の腹に戸枝の踵が食い込んだ。礼司に同時に飛びかかった2人は、通路の天井に激突し、床に落ちて動かなくなった。残った1人は、階段の上り口に尻餅をついた状態で呆然としていた。ズボンの股間がぐっしょり濡れていた。

「戸枝さん、こっちでいいんですよね?」
「おう、階段上がって一番奥の部屋だ」

3階に上がると、『会議室』と書かれた手前の部屋のドアから、屈強そうな男が2人飛び出してきた。
「こらあ…お前えら、誰に断って上がってきたんだっ!」と目の前にいた礼司の腹に一人が前蹴りを飛ばした。瞬間、男の膝が逆側に折れ曲がった。
「ぐげえっ!てめえっ」男は床に転がったまま礼司の足首を掴もうとしたおかげで、指の五指全ての骨を砕くことになってしまった。
もう一人は戸枝に逆手を取られ、押え込まれていた。
「おい、社長はいるんだろう?」
「畜生…は、離せっ!」もがく男の頭に礼司がそっと手を乗せると、男はそのまま眠ってしまった。
「行けば分かりますよ、戸枝さん。さ、行きましょう」
「そうか…そうだな…」

奥の社長室に先に辿り着いたのは礼司だった。
「失礼しまーす!」とドアノブを回して中に入ろうとすると、いきなり部屋の中から身体の大きな若い男が跳び掛かってきた。

「ちょ、ちょっと…」驚いた礼司が咄嗟に片手を前に突き出すと、男はドアの向こう側の壁まで吹き飛び、背中と後頭部をしたたかに打ちつけて、そのまま床にうつ伏せに倒れると動かなくなった。
礼司が部屋の中に足を踏み入ると、ドアの影に潜んでいた太めの中年の男が背後から日本刀を振り降ろした。「危ねえっ!」戸枝がドアから叫んだ時には、既に刀の刃先が礼司の肩口に到達し掛かっていた…『キンッ』…高い金属音を発して真っ二つに折れた刀身の刃先が貫いたのは男の方の肩口だった。両手に握ったつかが男の両親指とともにバラバラに砕け散っていた。
「お、お、お、おお…」男は親指を失った両手を見つめてその場にへたり込んでいた。

部屋の奥にはその様子を呆然と見つめる2人の男が立っていた。1人は30絡みの細身で派手なストライプのスーツ姿に派手な眼鏡を掛けていた。もう一人は白髪の小さな初老の男だった。

「飯田さん…ちょっとお約束が違うんで、貸した金、全額返して貰いに来ました…」部屋に入った戸枝が、上着の裏ポケットから借用書を出して、初老の男に広げて見せた。
「て…手前えら…ふざけんじゃねえぞ…」隣の細身の男が手に持った拳銃を戸枝に向けた。礼司が戸枝を守るように、男の前に立ちはだかった。

「それは、やめた方がいいですよ」礼司は静かに男を諌めた。
「うるせえっ!」構わず男が引き金を引く…『ズボムッ』…拳銃は鈍い音を発して破裂し、男の右手と一緒に吹き飛んだ。男は消えてしまった自分の右手を暫く見つめていたが、ゆっくりと視線を礼司に戻し「お、お前え…なにもんだ…」そう一言呟くと気を失ってしまった。

戸枝がゆっくりと飯田に近付いた。
「す、す、すいません…戸枝さん…私は…私は…あの…勘弁してください…」
「いいんですよ。どうせこいつらに脅されてたんでしょ?金はまだ、そこに置いてあんだろ?」
「あ、は、はい…ちょ、ちょっと…待って下さい…今…」飯田は慌ててすぐ脇のデスクの引き出しから鍵束を取りだし、震える手先でもどかしそうに1つの鍵を選ぶと、デスク後の鉄製の棚の鍵穴に差し込んで扉を開いた。下段の棚に四つのジュラルミンケースが置かれていた。

「ちゃんと中身を見せてくれよ…」戸枝がそう言うと、飯田は4つの重いケースを懸命に棚から出して、床に並べ、順に開いていった。中にはそれぞれ現金がぎっしり詰まっていた。

「手は付けてねえだろうな?」
「は、はい…届けて頂いた時のままです…」
「じゃ、閉めて、全部下に運んで頂けるかな?」
「わ、分かった…」飯田は、慌てて2つのケースを運ぼうとしたが、その重さに足をとられ、尻餅をついた。そこに右手の火傷をハンカチで押さえた男と、ズボンの股間を濡らした男が、恐る恐る社長室の様子を窺いに来た。

「おう、お前えら、丁度良かった。お前えらもこれ下に降ろすの、ちょっと手伝え!」
「た…頼む…」飯田が今にも泣き出しそうな表情で2人を見上げた。男達は黙って指示に従った。戸枝は一緒に階下に降りる間に、携帯で車を呼び戻した。

男達が全てのケースを到着した車に積み終わると、飯田が戸枝に話しかけた。
「あ、あの…戸枝さん…わたしは…これから、どうなるんでしょう?」
「あんたは、俺にも叔父貴にも、成和の連中にも泥掛けたんだからよ、どっかに消えるしかねえだろ…ま、見付からねえように頑張るんだな」
「そ、そんな…」
「じゃな、悪かったな、手伝って貰っちゃってよ。お前えらも、仕置きされる前に、どっかトンズラした方がいいぞ。じゃ、俺たちゃ行くからよ」
「どうも、お邪魔しました」礼司が飯田と男達に頭を下げた。


取り戻した現金は、組の事務所からすぐに然るべき場所に移され、事態は事無きを得たようだった。戸枝には浅川から、暫くの間姿を隠すようにまとまった金が渡された。勿論、顔を覚えられている礼司にも身の危険が迫ることは明らかで、戸枝と同行することになった。
二人のこれまでの住まいや家具は、浅川の伝手ですぐに処分されるということだった。礼司は勤め先に連絡を入れ、店長の早川に勤務を続けられなくなってしまったことを告げた。勿論、詳しい事情は話せなかったが、早川は残念がりながらも、多くの説明は求めなかった。戸枝の要求で用意された中古の乗用車に乗り込み、2人はその日の内に街から姿を消した。


「これから、どこに行くんですか?」礼司は助手席から運転中の戸枝に話しかけた。
「まずは、静岡だ」
「母の病院ですか?」
「ああ、あそこの事務長とは顔見知りだからさ、少し金渡して、お袋さんのこと頼んでおかないとな」
「大丈夫なんですか?」
「ああ、口の堅い奴だし、いろいろややこしい連中も世話になってるからよ。うちらは、ほら、コレも多いだろ?」戸枝はそう言いながら左腕に注射を打つ仕草を見せた。
「向こうにとっちゃ、いいお得意さんなんだよ。治療はきっちりしてくれるし…それにしても、礼司くんのお陰で、すんなり片付いちゃったな」
「やっぱり、一緒に行って良かった!あれじゃ戸枝さん、危なかったじゃないですか」
「正直な話、俺は殺られに行くつもりだったんだ。ま、請求書みてえなもんだ。ちゃんと踏み倒して貰わねえと、喧嘩売るにも筋が通らねえだろ?」
「何だか良く分かんないな…そういうの。だけど…お金は、取り返せたけど、これからどうなるんですか?」
「成和の連中にしてみりゃ赤っ恥だな。むこうが汚え真似したんだけどさ、こうなるとそういうことはもう関係ねえんだ。ただやられたからやり返すって…まあ、子供の喧嘩だな」
「じゃあ、浅川さんや中川さんは?」
「真っ先にやり玉に挙げられるのは、親父だな。街金が2人で乗り込んできて、十何人もやられちゃったんだからよ。で、親父の兄貴分は叔父貴だろ?落とし前付けさせろって、そういう話だよ。ま、叔父貴は突っぱねるだろ?で、そっから先は成和と組の戦争ってことだな。親父はもう今晩中に香港に飛ぶって言ってたけどよ、多分駄目だろうな」
「駄目って?」
「香港辺りじゃ、すぐ足がついて殺られちゃうよ」
「いいんですか?」
「俺は、これで充分恩義は返したつもりだ。もういい加減、親父の尻拭いも卒業させて貰わねえとな…それに、俺はまだ組と杯交わした訳じゃねえから、もし無事に戻れたら、この際こんな稼業から足洗おうと思ってたんだ。どうせ会社も無くなるだろうしよ…」
「本当?…それ、俺、賛成だな…」
「そうだ…暫くして、ほとぼりが冷めたらよ、どっか遠くで商売でも一緒にやんないか?叔父貴から貰った金元手にさ…食堂…お袋さんの手料理出すんだよ。な、きっと大流行はやりだぜ」
「いいですね…それ…」

第10話につづく…

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連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家のカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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