マニュアル大国NIPPON
ここ最近、梅雨明けしたのにも関わらず、雨が続いていすね。しかも関東・東北を中心に記録的な大雨を記録し、土砂災害の危険性も高まっているそうですので、土砂災害の危険地域に指定されているところに暮らされている方はご注意ください。
IT技術が進歩しても、やはり自然の力にはまだまだ太刀打ちできないって実感する今日この頃です。
さて、元総理大臣の死から早や1週間が経ちましたが、犯人の事件に至った背景や、警護の配置体制の問題がクローズアップされていますが、事件に至った背景は今後二度と同じ事件が起こらないようにすることには必要だと思います。
しかし、警護の配置体制については、一部では元総理大臣の予定が急遽変更になり、この場所この時間に訪れることになったと報道されており、急な予定変更で警備体制が整わなかったことや、日本でテロが起こらないという暗黙の安心が背景にあるのではと思います。
マスコミがやたら主張している、「こうしておけばよかったのに」的な結果論ばかり論争する報道はうんざりしていますが、今回の事件が防げなかった背景には日本特有の「マニュアル」に基づく行動教育をした結果ではないかとも感じられます。
今回はマニュアルに基づいた行動がなぜ、ダメなのかをテーマに書かせていただきます。
▼マニュアル化の功罪
マニュアルを調べましたところ、こう書いていました。
知っている人でも知っていない初心者でも、マニュアルがあれば標準化できるということなんですね。
初心者などの慣れていない人からすると安心できるバイブルみたいなものだし、サービスや接客を受ける側からすると、誰が応対してくれても同じ対応をしてくれるため、一見いいもののような気がしますよね。
しかし
Wikipediaでは、続いてこのように書かれていました。
きめ細かく書いているマニュアルもありますが、今回のような自然に起因する場合や大手通信事業者の長期的な通信障害が発生した場合などのように想定外のケースが起こった場合には、却って、きめ細かく決められたマニュアルが足かせになり、次の対応ができない場合が出てきたりします。
そうなると、何のためにマニュアルを作っているのかということになってしまいます。
マニュアルを作るにしても、最低限のルールを決めるだけにしないと、次の対応行動が判断できないといった弊害も出てきます。
▼マニュアルに頼りすぎる日本人
マニュアルを作成するのもかなり労力のいる作業です。一つの作業工程を紐解き、そのフロー図を作ったり、フローで「この場合はこちら」や「この場合はあちら」といったことも書く必要があったり、想定し得ること全て、書いていかないといけなかったりとまぁまぁ労力が必要です。
それを見てもらって、直接作業に関わらない上司などがチェックをして、どうでもいいような細かいところにクレームを入れてきたりします。
その結果、またその修正に追われたりして、単純な作業工程でも作成に結構な労力を費やすことになります。
ようやく完成したマニュアルを、現場の担当者が見て作業するわけですが、現場にいる担当者などは、それを見て「ここがおかしい」とか言ってチェックしてくれるとまだいいのですが、「マニュアル」という言葉が、「安心のバイブル」を手に入れたかのように「正しいもの」という勝手な思い込みでその通りの行動をしてしまいがちです。
正しいと思い込んでした行動が、間違っていると指摘されたり、クレーム対応の場合、余計に火をつけるようなことになってしまったりということになり、現場で対応できないから本部で対応するなど、余計な時間をかけてしまって、さらに事態は悪化することになったりします。
なぜ、そのようなことが起こるのでしょうか?
▼マニュアルはスキームを確認するためだけの道具
マニュアルは、その作業工程に関わった人が思いつくまま書き出したフロー図であることをまず念頭に置いといてください。
決して、マニュアルで問題が発生した場合の解決に導いてくれるものではないということも併せて覚えといてください。
マニュアルは、ある作業をするに当たってのスキームをフロー図にして作っているものであり、それは作成時点で考えられ得ることを書いているだけに過ぎないのです。
作成時点から年月が経っていれば、なおさら情勢も変わっていたりすることも往々にしてあるわけです。
日々現場に立つ人たちが、マニュアルをグレードアップしてより完成度の高いものにするのもいいでしょう。
ただ、ひとつ言いたいのは、どんなにマニュアルをグレードアップしても、全ての問題には対応できないということです。
あくまでもマニュアルはスキームを確認するだけの道具です。
なぜその作業をする必要があるのか、その作業の目的は何か、そういうことはマニュアルでは普通書いていませんし、書いていても結果だけしか見ない人たちには、そこまで見ないのです
事の本質を理解せず、加えて自分の頭で考えず、マニュアルに書かれている通りのことをしている、それがダメなのです。
▼マニュアルでできることはAIに取って代わられる
マニュアルは作業をフロー図化してまとめたものなので、「YES」「NO」で区分わけできるということになります。
これは、みなさんご存知のコンピュータ処理の根本とも言える「0」か「1」かということにつながります。
コンピュータが、いずれはAI(人工知能)が進歩してきた場合、コンピュータで処理できることは、いずれAIにもとって変わられるわけです。
AIだと初期投資に人を雇うより費用はかかりますが、人件費より固定費が安価に抑えられますし、何より正確に作業してくれます。何年で償却するかで導入が進むかどうかの判断が分かれますが、人でなければできない分野でない限り、いずれその分野の仕事は無くなっていってしまいます。
一般的にAIに取って代わられてると言われている職業としまして、一般事務の仕事や、銀行員、警備員、スパーやコンビニの店員、ホテル・会社などのフロント受付、建設作業員、工場作業員、あとライターの仕事なんかもなくなる可能性があるそうです。
では、どういう分野がAIに取って代わられないのかということですが、例えば、医者や看護師、介護士、保育士、教員、営業・コンサルティングなど、あと研究・開発の分野が残ると言われています。
ここで共通点があるわけですが、どんな共通項があると、みなさんは考えましたか?
一つはコミュニケーション力を有する職業です。以前のnoteでも書かせていただきましたが、コミュニケーションは、データ収集が得意なAIにとって一番苦手な分野なのです。
もう一つは、ないものを創り上げていく力を有する職業です。既存のデータを分析する能力が非常に高いAIですが、何もない状態から創り上げていくことができないのです。
こうした分野のお仕事はまだまだ残っていきますが、これも計算式で解決できるようになると、いずれ無くなっていく仕事になっていってしまいます。
もし知っている方がおられたら懐かしいと思うかもしれませんが、1999年に公開された「マトリックス」という映画がありましたが、この映画は、コンピュータとの戦いを描いたSF作品です。
IT技術が進歩し、AIに心を持つ時代になると、この映画のように、人とコンピュータが争う時代が来るかもしれません。
便利になるということは、それだけ人を怠けさせることにつながり、動物本能を低下させることになっていきます。それだけでなく、冒頭にお話したように、便利な社会が自然破壊につながっている要因の一つでもあることから、自然の脅威をまた味わうことにつながったりするのです。
残念ながら、こういうことは学校では教えてもらえない内容で、IT技術が進歩しても「便利」だけが取り沙汰されて、そのことで自分たちの暮らしにどのように影響するのかは、残念ながら学校教育から教えてもらえないのが現状です。
▼数より価値を選ぶ社会へシフト
インバウンド需要が高かった頃は、薄利多売の観光で、オーバーツーリズムとなり、それが京都市長選の争点にもつながったそうです。
価値があっても価格と見合っていなければ、数にこだわるビジネスに陥ってしまい、数を売るために自分の時間を割いていかなければならないといった悪循環に陥ったりするわけです。
一般社団法人バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)では、非法人の時から、小商いというスモールビジネスをまちづくりのコンセプトの一つに取り入れており、少ない数量でも価値のある商品やサービスを提供することで、提供する人だけでなく、家族や地域にも好影響を与える取組を進めてきました。
今回3回目となる「なりわいテーブル」ですが、今まで違って「楽」して稼ぐのではなく、「楽」しく続けられるだけの稼ぎをもたらす小商いをテーマに開催させていただきます。
なりわいテーブルでは、自分の使える時間で小さく始める「小商い」をテーマにしたワークショップですが、自分の使える時間でやれるからと言って、いわゆるネットで販売するECを進めてはいません。対面販売を基軸と置きながら、お客さんに価値を提供していただき、いずれは実店舗の出店へとつなげていくようサポートするワークショップです。
対面だとマニュアルにない対応も求められますが、そこは「楽しみ」ながら、コミュニケーション能力を高めてもらいたいです。
そのことで、AIに取って代わられない価値あるお仕事になりますので😄
サポートしていただけると、モチベーションをもってnoteに取り組めます!(笑)