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スパイス師匠の功罪

まずいカレーは罪深い。カレーなんて、うまみと油脂と糖質のコンボでどうしたってまずく作る方が難しいはず。

だのに、なぜ。

ある日、腹ぺこで倒れそうだった私はカレーください!と前のめりでレジでオーダーした。しかし食べる前の勢いは、カレーをひとくち、またひとくちと食べるうちに萎んでいった。しょうがないから、ちみちみ、シェフを呼んでくれるかね?と妄想劇場をやったり、同じタイミングで同じカレーを頼んだ青年にも邪念を飛ばしてりして気を紛らわす。そんなふうにあれこれをしながらもぐもぐしていたら、いつのまにかお皿は空っぽになっていた。

このスパイスカレー、2年前のわたしなら、こんなふうに辛いジャッジは下さなかったはずだった。

★★★

時刻は14時近く。立て込んでいた用事を終わらせると、わたしは急に空腹を覚えた。ぐるりと周囲を見渡していちばんに視界に入った黒板には、こなれた文字で「スパイスカレー」と書いてある。にんまりしながらカフェの扉を押した。カレーだカレーだわたしが欲しいのはカレーだ。

お店が簡単に見つかってホッとしたのか、入店していらっしゃいませと言われるとカレーだ!カレーだ!の猛る気持ちが少し鎮まった。気持ちはスパイスカレー一択だったはずなのに、食いしんぼうは注文前にとりあえずメニューをすべて把握しないと気が済まない。

なるほど。

ここのカフェ、フードはカレーの他はサンドイッチとケーキのみ。サンドイッチとドリンク、ケーキの充実ぶりから、カレーのランチ提供はオマケみたいなものらしい。

サンドイッチのラインナップにやや心惹かれたものの、しかしこの空腹はごはんじゃないとおさまらない。わたしは元気よく「カレーください!」とレジでオーダーした。スイーツ中心の店ではあるようだけど、レジの横に「◯種のスパイスと桃のチャツネをきかせた自慢のスパイスカレーです」と手描きのかわいらしいポップが飾られていて、カレーをメニューに入れたオーナーやシェフにうふふと期待を寄せた。

スパイスカレーって作るの楽しいもんね。この辺りは「岡山産の桃で作ったチャツネ」で小規模ながら飲食店のカレーで町おこし的な何かをしているらしい。チャツネっていーねッ。

私の後ろに並んでいた青年はカツカレーを注文していた。「今から揚げるので、少しお時間いただきますね」というキッチンからの声を聞き、私は自分の注文でもないのに、「熱々できたてカツ!さいこうネ!」と小さくガッツポーズした。今の私は無敵のカレー星人。カレーは人類を救う。

待つことおそらく3分ほど。
カフェのカレーは配膳が早くてうれしい。作ってあるもんね、カレーはね。

しかしだ。

お待たせしましたと目の前に置かれた皿を見て、ほんの少し、気がつくか気がつかないくらいの、イヤな予感が、ほんの、ほんの一瞬だけ頭の中によぎった。

なんでかというと、さらさらカレーの横にあったのが、ピンクの雑穀米だったからである。


突然ですが、私の持論に「カレーやラーメンにヘルシーみを出すな」というものがあります。えっへん。いいかよく聞け。

雑穀米ごはん。スパイスカレーにおける雑穀米ごはん。白米か雑穀米か選べるならまだしも有無を言わさず雑穀米一択。これはですね、カフェオーナーが、あるいはシェフが、ヘルシーみ思考のある証拠……!

あ、ラーメンも聞きたい?
ラーメンの場合のヘルシーみはね、「全粒粉入り麺」でしょうか。ブツブツザラザラしててなあ!スープは絡むかもしれんがすすりにくくてなあ!パンなら喉の奥に残る小麦の強い香りはウェルカムだけど、ラーメンはいかん。どうしたって強い小麦の香りはスープの出汁とケンカする。いいから!ラーメンに健康とか求めないから!まっ白い小麦粉100パーセントの!麺で!お願い!素直にスープと絡まるように!白い粉の方がクセになるから!な?!みたいな。

カレーな。

雑穀ごはんはもっちりしがち。もっちりしたごはんにはトロトロしたカレーが合うけれど、この日わたしの目の前に置かれたスパイスカレーはサラサラタイプだった。もっちりごはんとサラサラカレーの相性たるや。雑穀ごはんを出したいなら、頼むからそれに合うカレーを作ってほしい。

などどアレコレ考えながら初めのひとくち。やはり。もっちりふんわりしたごはんがサラサラカレーの持ち味を邪魔してしまう。もぐもぐ。もぐもぐ。

もぐ…
ん。
ちょっと待てや?

雑穀ごはんどころの話ではないようだ。

このカレー、どうも味が薄い…?スパイスは、うん、そこそこきいている。万人向けな感じの配合。足りないのは塩気?いや、コク?トマトをもう少し…いや、油かな。ヨーグルト、はそれはまた違う方向になるか。うーん、何かダシ的なものと塩をほんの少し足したら。あ、ニンニクとか生姜も…。個人的にはクミンもう少し強めたいなあ。

て。そこまでしたらそれは別のカレーじゃねぇかと自分に突っ込む。あ、桃のチャツネは?と思ったけど、なんかもうこの際、桃チャツネ以前のアレだ。想像してみてちょうだい。薄い味のさらさらカレーともっちり雑穀ごはん。

余談だけど、料理好きな一条ゆかり先生が子どもの頃に赤缶カレー粉でカレーを作ったというエピソードをひとつ。塩を入れるのを知らなくて、カレー粉を入れても入れても味がしないもんだから、赤缶ひと缶をぶちこんでものすごい辛いカレーになったという話。カレー粉、すなわちスパイスをきかせただけでは味はしないのだ。カレーにするためには、そこに塩やダシ、油脂が必要なのである。

集英社 一条ゆかりの食生活 より 

そして玉ねぎのカットがな。繊維に直角でな。煮込んで崩れているが繊維がほどけきれていなくて、どうもスプーンに、そして口の中にいちいちまとわりつくのである。ここまで煮込むなら玉ねぎのカットは繊維に沿っていただけたら!ら!ら!

ハッ!

へいそこの青年!!キミの注文は「カツカレー」だったな?!?!?!?!?!カツは時間がかかるので、彼の元にはまだカレーは配膳されていなかった。青年よ!心してかかれ!!!とカレーを口に運びながらふたつ向こうの青年に念を送る。もぐもぐ。

このぼやけた味のカレーにカツが乗る…?これはもう放送事故だ。衣の香ばしい匂いと、肉のうまみ、脂。この腰抜けなカレーは!!!!!そんなカツの大きな存在感を!!!!受け止めきれない!!!!!ぞっ!!!!!!心してかかってくれ!!!!!!!!!もぐもぐ。

あ、でも。
個性的なウスターソースでも添えられていたら解決するかもしれないと思い、わたしはちょっとスンッとなった。ボヤけたカレーに、ウスターソースのかかったトンカツが混ざれば、けっこう完成された味になるかもしれない。もぐもぐ。

わたしは、はっきりしない味のさらさらカレーをもちもち雑穀ごはんと共に口に押し込みながら、二つ隣のテーブルにくるであろうカツカレーに思いを馳せる。ついでにご当地ウスターソースなんかも想像する。岡山産桃のチャツネを使うぐらいのシェフだ。このスパイスカレーとトンカツに合うウスターソースの瓶を、きっと出してくるだろう。もぐもぐ。

食事をしながら目の前の料理とは別の料理のことを考えるなんて、食いしんぼうを通り越して意地汚い。でもまあ、口に出すとアレだけど、想像するくらいよいではないか。さ、シェフ、ご当地ウスターソースはどんなものを用意しているのかね?期待大!!!!

パパーン!!!
「お待たせいたしました」

ナーーーーーーーーーイ!
ソースなーーーーーーい!
ウスターソースなーーい!
目の前をはこばれていった皿に目線を送る。わたしのカレーと変わらぬビジュアルに大きなカツがどん!揚げたて!うまそう!けど!けど!きっと!

青年はわたしに背中を向けているので、彼の表情はわからない。せめてこちらを向いていれば、「カレー、どう?」とアイコンタクトを送れたのに。なんてしょうもないことを考えていたら、わたしの皿は空っぽになった。なんだがやいやい考えながら食べたので、中盤からほとんど味がしなかった。

しかし2年前のわたしなら、このスパイスカレーにこんな辛い採点も感想も抱かなかったはずなのである。箱のルウので作ったカレーが定番の味で、「ああ、スパイスカレーってこんな感じね。うん、家で作るルウカレーと違ってフレッシュな感じ。おいしいおいしい」なんて思っていたはずなのである。

これはわたしのスパイス師匠、わたなべますみの功罪だ。

2年ほど前から、わたなべますみさんからオンラインでスパイスカレーを習うようになった。スパイスを順番に炒めていくと、思いのほか簡単にスパイスカレーが作れるのだと知った。とはいえ、ざっくばらんな集まりなので、手に入らないスパイスは「ないならないで大丈夫」と代用品を教えてくれたり、使わずに済む手順に変えてくれたりと、家で作るからこそのスパイスとの付き合い方をますみさんは教えてくれた。

ますみさんのスパイス使いはその適度なゆるさがいい。スパイスカレーと同時に教わる副菜は、いつも皆がつくる小鉢のきんぴらやお浸しみたいなものにスパイスを合わせたもの。こんなに気軽にスパイスって足していいんだね!と目からうろこのものばかりだった。

そのおかげで、普段の自分の料理にもひとふりしてみる習慣がついた。お気に入りになったのはコリアンダーとパプリカ。2年前から何度となく買い足している。もともと日本人好みのスパイスらしく、フライドポテトの味付けや、揚げ物の衣にしのばせると自分の料理が1ランク上になった気がした。これから仲良くなりたいのはクローブとフェンネル、この薬草のような渋みのある香りが使いこなせるようになったら「スパイス?普段から使ってるけど?」と自慢できるかもしれない。

一方で、スパイスカレーを自宅で作るようにならなければ、料理におけるスパイスの効果を知らずに過ごしていれば、一見で入ったカフェのスパイスカレーにこんなにも物申すことはなかったはずとも思う。

この2年で、私のスパイスに対する心持ちはスパイス師匠ますみさんの功罪により、ずいぶんと様変わりしてしまったのである。でも、どう考えても罪過より功績の方が大きくて、有難いことこの上ない。

自宅キッチン棚にスパイスのスペースが増えた。まだまだ小瓶で買い足す生活だけれど、ますみ師匠からは「そろそろミユキちゃんも袋で買うてな」と笑われている。ますみさんのスパイスカレーレッスンは、これからも長く続くであろうわたしの料理生活に、おおきなうねりと彩りをもたらしてくれたのである。

★★★

そんなますみさんが、とうとう!お得意のスパイスで!レシピ本を出版することになったんですって!!!!!

岡山で一緒に料理したときのますみさん。おちゃめなまなざし。

やったーー!出版記念イベントもあるんだって!うれしいなあ。ますみさんのスパイスレシピが、全国の、全世界の台所担当の皆さまの救世主、そしてよきパートナーになりますように!!!!!

全ての写真は水野うたさん撮影
Special thanks!!


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