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消雲堂綺談

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私は怪談奇談が好きで、身近な怪異を稚拙な文章にまとめております。
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#会津藩

土方と亀姫 挿話「翁島」

土方と亀姫 挿話「翁島」

47年前…父が購入したモーターボートに乗って猪苗代湖にある翁島の周辺を旋回していたら、水深の浅いところに沈んでいる神社の鳥居や道祖神のようなものがたくさん見えた。

「翁島辺りには昔の村が沈んでっから、ボートのスクリュー引っかけだりして危ねぇがら行ぐなよ」と従兄が言った言葉で、好奇心が湧いて島まで来てみたのだった。実際に見てみると、それらは湖底に沈んだ村人たちの死臭のようなものが感じられてかなり不

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土方と亀姫 拾壱

土方と亀姫 拾壱

深夜…板垣退助と伊地知正治が率いる東征軍が母成峠を制圧した後、翌日の猪苗代攻撃のために母成峠の防塁から沼尻にかけて兵を休めて駐屯しているところに、森林をかき分けて偵察に来た新撰組の島田魁は、磐梯山と吾妻山の2方向から大きな炎がもの凄い速さで筋状に進んで来るのを目撃した。よく見ると炎は、三丈(約9m)ほどもある燃える車輪だった。正体は妖怪「火車」だった。
「業火だ…」島田が呟いたように、火車の炎は、

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土方と亀姫 拾

土方と亀姫 拾

「私たちを助けるとはどういうことですか」照姫が大多喜丸に言った。
竹子は照姫がさざえ堂の突き出し屋根に向って独り言を言っているように思えた。
「照姫、にしゃは会津のさだめを知らぬであろう」オンボノヤスが言った。
「会津のさだめ…」
「もう終いじゃ」
「薩長は峠を越えて猪苗代に入ろうとしておる。それをわがらが猪苗代でとめてやろうと言うておるのじゃ」大多喜丸が笑った。
「照姫様、会津のさだめとは何でご

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土方と亀姫 玖

土方と亀姫 玖

「坂本だけではない。西郷も悪魔に魂を売ったゆえ、月照と海中に身を投げた際に助かったのじゃ」
「西郷も…悪魔に魂を売った奴は他にもおるのですか」
「おる。それが誰かはわからぬが、この先、そなたがこの戦いで生き残ってみれば、それが誰かはわかるであろう」
「人は死ぬのが怖い。怖いゆえに魂を売って悪魔の僕になろうとも生き残りたいものじゃ」
「魂がなくなるということは死ぬということではないのですか」
「表向

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土方と亀姫 捌

土方と亀姫 捌

「あやつが長崎の海軍伝習所に入門した際(安政2年)に悪魔に魂を売ったと姉から聞いた」
「まことでございますか」
「まことじゃ。あやつは安政以降に起きた事変の大半に関わっておる。桜田門の外で彦根の井伊が水戸や薩摩の者に斬られた(安政7年)のもあやつが裏で糸を引いていたのじゃ。そのときあやつは知らぬ顔をして咸臨丸でメリケンに渡っておる。他にもいろいろあやつによって起きた事変は数えきれぬほどじゃ」
「海

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土方と亀姫 柒

土方と亀姫 柒

朱の盆もまた亀姫と同じく、猪苗代氏から藩祖の保科正之を経て、今の藩主である松平容保まで代々仕えてきた妖怪なのだった。

保科正之とは二代将軍徳川秀忠の庶子(御落胤)である。正之の母・静は、秀忠の乳母に仕えたが、その際に秀忠に見そめられて関係を結び、慶長16年(1611)に正之を産んだ。将軍職を継げる庶子ゆえに命を狙われる可能性が高いため、秘匿されて江戸城北の丸に邸を与えられていた武田信玄の娘・見性

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土方と亀姫 陸

土方と亀姫 陸

*プロットもなしに感覚だけでテキトーに書いているので辻褄が合わないこともあると思われます。真面目に読むのはおやめ下さい(笑)。

「朱の盆…」

「んだっぺ」

「変な名前の化け物だな」斉藤が笑った。

すると、朱の盆が斉藤を睨んだように見えた。朱の盆の目は大山椒魚の目のように小さいからわからない。ただ彼の紅い身体は怒りに満ちて、さらに朱の色を増した。

「食ってやる」朱の盆は畳を這うように亀姫の

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土方と亀姫 伍

土方と亀姫 伍

照はさざえ堂の中に異様な雰囲気を感じた。

「どうかなさいましたか」竹子が照の様子に気がついた。

「物の怪がおりますね」照は表情を変えずにこたえた。竹子は一瞬驚いたが、先ほどの話から続いて照が冗談を言っているのだと思った。

「照姫様、お戯れを…」

「誠でございます。竹子さんには見えませぬか」照はさざえ堂の入り口の突き出した屋根の上を指さした。そこには照が言うように大きな尾のある腹の2匹の大き

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土方と亀姫 肆

土方と亀姫 肆

照は目の前の異様な建物に驚いていた。同行していた中野竹子が「姫、これがさざえ堂でございます」と言うと「ほぉ、これが…。気味の悪い格好をしていますね」と不気味な建物の屋根を見上げた。

さざえ堂は、寛政8年(1796)に飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角形三層構造の建造物である。正式には「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」と言う。当時の飯盛山には正宗寺という寺があり、その住職であった僧郁堂(

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土方と亀姫 参

土方と亀姫 参

「ふふふ、情けないのう。そなたらは京での戦いに負け、江戸に逃げ帰ったと思うや、甲州でも負けた。近藤を見殺しにし、その後も負け続け、この会津でも負け戦か。ほんに情けないのう」
土方は落ち着いていた。もしかすると猪苗代城の高橋権大夫の姫君かもしれないからだ。高橋は会津藩士で猪苗代城代をつとめていた。
「これは手厳しい。確かに負け戦続きで誠に情けのうござる。して、失礼とは思いまするが、高橋権大夫様の娘御

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土方と亀姫 壱

土方と亀姫 壱

東征軍に制圧された母成峠を脱出した斉藤一は猪苗代城に辿り着いた。城には先に土方歳三が着いていた。土方は母成峠に向う途中で東征軍の一部に攻撃され、そのまま猪苗代城まで逃げてきたのだった。斉藤は土方の表情をうかがいながら「これからどうされますか?」と聞いた。返事はなかった。土方は敗走の悔しさからか目が虚ろで呆けた表情をしていた。

「奴らは思いもしなかったところから来やがった」土方は斉藤の顔を見ずに呟

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新撰組覚書「明保野亭事件」

新撰組覚書「明保野亭事件」

写真は土佐藩士の田中光顕。彼の自伝「維新風雲回顧録」には明保野亭事件に関する記録はありません。

元治元年(1864)6月10日、池田屋事件のあと幕府は、諸藩へ池田屋事件残党の捕縛を命じた。会津藩士の柴司は、京都東山にある料亭明保野亭に長州系不逞浪士が潜んでいるとの情報を受けて、会津藩士4名と新撰組の武田観柳斎ら15名の隊士と出動した。その際に会津藩士の柴司が誤って土佐藩士の麻田時太郎を槍で突き負

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「御霊櫃峠」

「御霊櫃峠」

写真は20年前の猪苗代湖翁沢地区。僕はここで溺れそうになったことがあります。

2.

綾瀬五平新田(東京都足立区綾瀬)で隊士を募り、総数227名となった新撰組は、松戸経由で流山に転陣を行った。その頃、宇都宮城の占拠を目標としていた会津・桑名の兵力に対抗するため、彦根藩、旧幕臣岡田将監隊、信濃岩村田藩その他を援軍に加え、大軍監に総督の香川敬三が就任した西軍は、板橋宿を出発して粕壁(春日部)に達した

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「御霊櫃峠」

「御霊櫃峠」

ピンボケですが、写真は父の実家付近(翁沢)から見た磐梯山。猪苗代湖は右側にあります。薩長土肥の西軍(新政府軍)は、この街道を、写真前方から写真後方にある鶴ヶ城に向けて進軍してきました。

1.

現代の福島県は大きく三つの地方で構成されている。江戸時代の旧藩の名残だ。茨城県と宮城県を結ぶ海岸沿いの「浜通り」、奥羽山脈沿いに栃木県と宮城県を結ぶ平野部「中通り」、そして奥羽山脈を越えた再深部にあるのが

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