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門井慶喜『銀河鉄道の父』は、宮沢賢治の作品を久しぶりに読んでみようかな…と思わせてくれる一冊。

宮沢賢治の作品を皆さんは覚えているだろうか。『雨ニモマケズ』、『注文の多い料理店』、『銀河鉄道の夜』などは学校の授業で一度は読んだことがあるだろう。独特の世界観に、優しくてちょっと奇妙な語り口。この本を読んだら、不思議と記憶していたあの作品たちにまた会いたくなってきた。

ざっくり本の内容を紹介し、私個人の背景から感想を書いていこうと思う。

<本の内容>親目線で見る宮沢賢治、という新しさ

『銀河鉄道の父』は2017年に発表された門井慶喜の小説。宮沢賢治の父、宮沢政次郎の視点から宮沢賢治の生い立ちと創作の生涯を描いたフィクションだ。21世紀現在の父親像にも通ずる親子の生き様を丹念に書き上げて「宮沢賢治の新しい物語」と評価され、第158回直木賞を受賞した。

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宮沢賢治が題材になっているわけだけど、その生涯を皆さんは知っているだろうか?私はあまり知らなかった。岩手県出身、農業学校を出た、若くしてこの世を去った、その人生の集約が『雨ニモマケズ』という傑作なのだ…そんな風に適当に解釈していた。

でも、よくよく考えてみたら、どうして地方出身で農業に力を入れた人が『注文の多い料理店』や『銀河鉄道の夜』のような想像力に富んだ作品を書けるのだろう?宮沢賢治自身の才能もあるだろうが、その生涯、ひいては日常を見てみないと分からない。そんな一読者の欲求に応えてくれるのがこの『銀河鉄道の父』という小説かもしれない。

ストーリーはというと、宮沢賢治の生涯が淡々と父親目線で進む。江戸時代から続く質屋の長男として生まれた賢治を跡取りとするか、それとも父親自身は叶えられなかった中学校進学をさせるか、…息子のことを考えて悩み、真摯に向き合う様子は読んでいて微笑ましい。息子が創作を始めた時、父親はどう受け止めるのか。作家としての宮沢賢治のイメージが強い私からすれば、その時を待ち遠しく思いながら読み進んでいく。宮沢賢治の生き方が結構奔放に描かれているのが面白い。小学校を優秀な成績で卒業し県下No.1の中学校に進学するも、そこでは輝けないまま卒業。病弱なところがあり度々入院する。実家に戻ってきて働き始めるも身を入れず、日蓮宗にのめり込んで教えを広めんと街を歩き回る。人造宝石を造るといってその資金を父親に頼もうとする始末。今度は、高等農業学校へ進学させてほしいと言ってくる。まったく、困った息子だ…!読んでいてそう感じずにはいられない。

そう、タイトルが『銀河鉄道の父』であるように、父親が主人公であることによって、読者は父親の視点を与えられて宮沢賢治を見ることになる。まったくもって新しい体験だ。大学生の私からしても、門井慶喜さんの軽妙でユーモアを含んだ文章によって父親の愛情の一端を慮って読むことができる。そんな放蕩息子の賢治がいよいよ文章を書き始め、作品が少しずつ世に出ていく…それが私たちが現代で目にするあの数々の作品なのだと思うと、なんだかグッとくるものがあるのだ。


<私の感想>宮沢賢治のイメージの変化と、その感性への畏敬の念

読み終えて最初に思ったのは、(宮沢賢治をこんなに近くに感じたことはなかったな…)ということ。振りかえると、その作品は私の人生の折々で身近なところにあった。『雨ニモマケズ』は小学校のイベントで皆で朗読して覚えた記憶があるし、『なめとこ山の熊』や『オツベルと象』は中高の現代文の授業のテクストとして扱われていた。けれど、正直にいうとあまり好きではなかった。文中に出てくるイーハトーヴ、グスコーブドリなどの独特な単語は聞き慣れない言葉であり、少々気味悪い響きだと感じた。『注文の多い料理店』や『銀河鉄道の夜』のような奇想天外のストーリーも、夢膨らむファンタジーというよりは奇妙でどこかに恐ろしさを感じた。

そのイメージを、この『銀河鉄道の父』という作品で払拭できた気がする。僕が勝手に持っていた、宮沢賢治に対する奇妙で不思議だというイメージが変わっていった。文中で描かれているのは、自分の将来に迷いながら生きて、裕福な家の長男という縛りにも苦しみつつ、ようやく自分の没頭できる世界を見つけていく賢治の姿だ。先に述べたように「父親」の視点で宮沢賢治の足跡を追っていくことになるから、どうしても愛情が移ってしまう。賢治が作品を残すと、(よくぞ書いた…)と抱きしめたくなるほどに。経歴や功績だけで見ていた宮沢賢治の人物像が、急に生身の温かさを持った。

そして、宮沢賢治の作品が文中にいくつか引用されて出てくるのだが、その感性に驚かされる。賢治自身の、田畑で遊んだ幼少期の記憶に加えて中高の教育で得た農学や地質学の知識がベースにあり、その感性が詩的な文体で描かれていくのだ。私が特に感動した作品をここに引用しておきたい。

『童話 やまなし』(の一部)--------------------

小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。一、五月。二疋の蟹の子供らが青白い水の底で話していました。

「クラムボンはわらったよ。」

「クラムボンはかぷかぷわらつたよ。」

「クラムボンは跳てわらったよ。」

「クラムボンはかぷかぷわらつたよ。」

上の方や横の方は、青く暗く鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。

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うーん、大人になってからこんな感覚が残っているものだろうか…!川底で話している蟹の子供の愛らしさ。クラムボンという不思議な存在。川底から水面を通して空を見上げているように思えてくる情景描写。すごいものだ。宮沢賢治の作品にその感性がちりばめられていると思うと、今すぐにでも読みたくなってきてしまう。『銀河鉄道の父』全体を通して、もっと宮沢賢治のことを、もっと彼の作品のことを知りたいと思わせられる。

まとめると、息子の将来を常に気にかけて、時に病気や死という暗い影におびえながらも一貫して宮沢賢治のことを愛情と共に見ることを可能にしており、その物語の帰結は誰もが知る宮沢賢治の作品に対する読者の感性へと託すような傑作だった。

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