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B Corp に惹かれ、何ができるだろう
気になって『B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善』を手に入れました。多くの人は、どうしたらうちの会社もB Corp認証が取れるか、に関心があると思います。その中には、ぼくのように関心を持ちつつも縁遠い人も多いのではないでしょうか。以下は、B Corpに向けた実践というより、ぼくはなぜ気になるのか?ぼくの生活や働き方にどう落とし込むことができそうか?など、つらつら考えたことです。
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B CorpのBはbenefitのBです。お客、社員、地域、環境など誰にとっても利益がある会社を目指している企業に与えられる認証になります。勤めるならこんな会社がいい、こんな会社に変わったらいい、多くの人がそんな望みを抱くのではないでしょうか。そしてなにより、こんな企業の存在を知ることは心の支えにもなります。ブランドがステークホルダーや環境に対してどう考え実践しているか、に関心が集まるなかで、B Corp認証の会社はより魅力的に映ります。
Allbirds、PatagoniaやAesopなどが認証を取得しているB Corp。このハンドブックは第2版[2019]を翻訳したものです。当初から多方面への利益を掲げたこの認証ですが、第1版[2014]から大きくアップデートされた部分があります。それはDEIについてです。DEIとは、Diversity:多様性、Equity:公平性、Incusion:包摂のイニシャルです。第2版の刊行までに、Black Lives Matterやトランプ大統領政権の誕生にしました。その社会的に意識が高まった部分について盛り込まれたのです。本書では「平等と公平の違い」について触れています。例えば、子供たちに一律な金額の教育補助制度があったとします。平均から弾き出された金額であったなら、低収入の世帯にとってはそれで十分な教育の機会が得られないかもしれません。公平というのは誰もが同じレベルで教育を受ける機会をもてることです。
![B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604521/picture_pc_11635bb2721b259691198b0fdbb2bbba.png?width=1200)
そこで思い出されるのがベーシックインカムです。国が一律にお金を分配するというこの仕組みは、リベラルな福祉施策というイメージが強いかもしれません。その一方で、ミルトン・フリードマンのような新自由主義の立場からもベーシックインカムがとなえられています。前者では福祉政策と再分配として、後者は社会福祉の効率化として考えられています。一律な補助の代わりに、個別的な補助を削るという考え方です。平等という言葉を掲げられた時に、背後に公平性が備わっているかは注視しなければなりません。経済合理性と公平性を両立させるのは難しいことですが、そこにこそB Corpが求められる意義だと思います。
![B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604523/picture_pc_9d55424ec20f053577e0982bfedabd23.png?width=1200)
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残念ながら、ぼくにとってB Corpは縁遠い認証制度と感じてしまいます。興味をもったとしても、所属する組織あるいは個人事業主にとって、B Corp的なアクションがとれないように感じてしまいます。ぼくにもできるB Corp的なことなんてあるのだろうか、そう考えてしまいます。この辺りのモヤモヤを整理してくれたのが、編集者・若林恵さんのあとがきでした。
B Corpの企業は、いうまでもなく自分たちが信じる価値に従って「サスティナビリティ」や「DEI」の重要性を訴えているが、そこで語られる価値をただ鵜呑みにして真似してみたところで、私たちをずっと苛んでいる問題の解決にはならない。
ここで重要なのは、見知らぬ仲間に出逢おうとする欲求が、新しいビジネスやこれまでと違ったビジネスを生み出すということなのだ。その順番を間違えると「仕事」は、途端に「意義」や「やりがい」や「何のために働くか」という不毛な問いの答えを求めて、再びさまよいだすことになる。
組織や社会の制度の中で困難さや働きづらさを感じていると、途端に「わたし」が現れ、生きがいや意味を求め出します。その主従は逆なんだよ、そこから出て新しいことをやった方がいいよということです。
![暇と退屈の倫理学](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604633/picture_pc_a90f658963046b37cebd66c3552eb035.png?width=1200)
ぼくが働くことについて考える時、いつも國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を思い出します。人間は収入を得るためでだけに働いているのではありません。リタイア後でも、収入に心配がなくても働きます。そうさせるのは退屈への恐れがあるからです。人間は働いていなければやりきれない生き物です。だから、働くことの根本的なモチベーションの一つは退屈からの逃避といえます。もし適度に生活の糧が稼げ、退屈が逃れられていれば、生きる意味について考えることは減るでしょう。
![暇と退屈の倫理学](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604632/picture_pc_3eed2eed7842ffba2d7eb69157f53204.png?width=1200)
ただ現実は経済の合理性というか企業的な目線での合理性に偏ってきているため、適度な働き方が難しい。時間に拘束され、組織や人間関係による不自由さもあります。働く以上はしがらみは避けられませんし、雇われの身ならなおさらです。ドゥルーズは資本主義の本質的なものとして、欲望を叶えるために欲望を抑制するといいいます。抑制が常態化しており、神経症的な状態はシステム上避けられないと言います。適度に空虚さを逃れることはできないのでしょうか、生きている実感や意味を嘆かずに済ますことはできないのでしょうか。
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仕事が以前と比べてはるかに不安定なものとなっている以上、自分がどうありたいかという自己意識を確立する手段として仕事を当てにするのはなるべく避けた方がよい。だが、そうした態度はしばしば仕事に対する無関心に行きつく。そうなると、仕事が私たちの人生に寄与してくれるものは、収入源という一点を別にすれば、確実に減っていく。私見では、そうなってしまうくらいならむしろ進んで仕事に関わっていくべきだ。それによってこそ、仕事のもつ真の意義を見出す用意も整うというものだ。意義が生まれるためには、そのまえに配慮しなければならない。
![働くことの哲学](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604573/picture_pc_5781cf7801bfda585db4e43c0d8ed1e8.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604571/picture_pc_1a2c72d218e0b7cad2922d7e61ea3ad3.png?width=1200)
平日の無意味さをなんとかやり過ごし、週末に有意義さを回復する。そんな分断を少しでも軽減したい。だからこそB Corp認証制度や認証企業に興味を抱くのだと思います。こういった労働論を読んだところで状況は変わりませんが、いくぶん現状を受け入れやすくなる気がします。多くの人が仕事と依存のような関係を陥り抜け出せない状態にある。だからこそ仕事のなかで自分を今以上の意味を示したいと思ってしまいます。どんな会社でどんな役職でどれくらいの給与かで測ろうとします。そういった表象的な視点で見ている限りは難しいわけです。仕事での表象的なものは与えられるもので、自分ではどうにもなりません。スヴェンセンが「配慮」と言っているのは、若林さんも示していた主従を逆にする起点になると思います。最近でいえば利他とかケアような文脈になるのかもしれませんが、そういった中で仕事の意義を見出していくことの方が当たり前な気がします。
じぶんの「目的」ではなく「限界」にこそ向き合おうとするのが、仕事だということになる。・・・ひととしての「限界」をひしひしと感じながら、それでもひととしてしなければならないことをしているという感覚がもてたとき、わたしたちは働いているという実感に満たされることになるのだろう。
・・・仕事の意味をじぶんの可能性のほうからではなくじぶんの限界の方から考えてみることは、その仕事が関わる他人の方から考えてみることとともに、仕事についての別のイメージを得るためにはとても大切なことである。
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うまくいかない困難な状況にあると、つい自分の側から考えがちです。忙しさの中にいて、リソースも時間もない中では、目標に向かって一直線に進みがちになってしまいます。数値的な結果ばかり求められることも苦しい。そんな時にこそ、周囲を見まわしてたり配慮してみるというのはキレイゴトのようにも聞こえます。でもなにかしらの「限界」に立ち向かっているのなら、意味ある仕事をしていると考えていいのかもしれません。そして限界に向かう時には誰かしら相手への配慮が存在するでしょうし、そういった過程で自分にとっての働く意味や意義が形成されていくのでしょう。規模では比較になりませんが、B Corp認証の行動的な本質はそういったことと同じだと思います。
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経済学者のハイエクは、自分を動かしているメカニズムを説明するにあたって「エコノミー」ではなく「カタラクシー」という言葉を用いたが、ギリシャ語に起源を持つこの語は「交換すること」「コミュニティに入るのを許すこと」「敵から友人へと変えること」を意味するのだという。・・・局所的でマイクロな動きが、結果として総体としての社会にかたちを与えることになるとハイエクは考えた。そして、ハイエクのアイデアの根底には、社会全体を俯瞰して全的に把握した上で、その動きを管理したり計画したりすることが人間にはできないという見方があった。
![B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604558/picture_pc_1d8289d01c39d00d5d2af650c13c86bb.png?width=1200)
![B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85604557/picture_pc_00c77c327d03ce701d39da105e795693.png?width=1200)
ハイエクは新自由主義への思想的土台を築いたといわれます。実際はミルトン・フリードマンのところで随分変わってしまっているので、ハイエクのいう通り経済の自由主義はだいぶ異なると思います。フリードマンは、大企業など一方に有利な状況を容認したため自由と不自由の格差を生み出しました。ハイエクに戻った自由主義なら公平さの可能性があるかもしれません。社会の変化に応じて生成と消滅がおきて、入れ替わりも起きます。
同じく黒鳥社が編集している『ファンダムエコノミー入門』で扱われるファンダムしろ、この『B Corp ハンドブック』にしろ、大企業がこの動きを見せているから新しいのであって、小さな会社や商店を見ていけば普通のことだと思います。小さな組織はコミュニティとの「限界」に向き合い、大きな企業はより大きな社会との「限界」に向き合う。B Corp認証というのはマクロな観点であって、ミクロに考えれば人と人やコミュニティの関係になるのでしょう。そう考えていけば、B Corpを身近に捉えられるかもしれません。
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