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映画『ファーザー』認知症が見せる世界

最近、認知症になった当人視点からの物語が増えてきた。
映画『ファーザー』は認知症の追体験ができる。大切な人であればあるほど、認知症が進行していく過程は地獄であり、容赦なく当人と家族の心を削っていく。映像になるとそのリアルさはより強烈で、どんなホラー映画よりも怖いと私は思う。でも観てほしい。知ってほしい。自分や家族に起こり得るかもしれない未来を。

私は母の介護の経験から、認知症の介護をする前に、当人から見えている世界を知っておくことはとても大切だと思っている(その理由は後述する)。
認知症とは、物忘れが酷くなっていく病だと、介護を始める前の私は思っていた。しかし実際の認知症は想像していたものとは全く違った。
高齢化社会の今、認知症はとても身近な存在。
「認知症になりました」「認知症の家族を介護しています」と聞いたときに、その状況が瞬時に理解できる世界になってほしい。

※ここから先は映画のネタバレを含みます。


◆認知症の追体験

予備知識をあまり入れずに観始めた方は、とまどいの連続だろう。
時間軸はバラバラ、整合性がとれない映像や言動の連続。
ホラー? それともミステリー? と考えながら観ていても、「辻褄が合わない!」と叫んだアンソニーと同じ気持ちになることだろう。この映画はあくまでも認知症を患ったアンソニーの視点で描かれている。最後まで何が真実なのかはわからない。答え合わせなどない。しかし、それがまさしく、アンソニーが生きている世界そのものなのだ。


◆私もかける言葉を間違えていた

冒頭の動画内でアンソニーが「ダンサーだった」と言ったあと、娘のアンが「エンジニアでしょ?」と訂正する。
私なら訂正せず、アンソニーに話を合わせるだろう。しかし、認知症という病気をまだ深く知らない時に、私もアンと同じようなことを母に言ってしまっていた。「忘れないでほしい」「思い出してほしい」という思いから、必死に真実を伝えてしまうのだ。しかしアンソニーにとっては、ダンサーだった過去が真実であり、エンジニアだった自分はこの瞬間には存在しない。認知症とは、その「瞬間」を生きる病であると私は思う。

この映画はアンソニーの視点で描かれてはいるが、娘のアンが介護に苦悩する姿や、変わりゆく父への不安、葛藤を時々挟んで見せてくる。アンにとって、アンソニーは、大好きで尊敬できる父であったことがうかがえる。

ヘルパー達から見たアンソニーは「認知症を患った老人」であるが、アンにとっては長い年月をともに過ごしてきた尊敬する父親なのである。
家族介護の難しさはここにあって、どうしても元気だったころの父の姿を追い求めてしまう。衰えてゆく姿を受け入れ、受け止める覚悟が早々に必要となる。まずはここを乗り越えないと、お互い辛い介護になってしまう。そういった意味でも、認知症が見せる世界、そしてどういう段階を経て認知症が進んでいくのかを事前に知っておくことは、介護者の心の負担を軽くするためにも必要なのではないかと思う。そして認知症を深く知れば、お互いに笑顔でいれる声掛けができるようになってくる。無理に真実を伝えて不安にさせることはないのだ。


◆優しい嘘

前述したように、この映画は何が正解で真実なのかはわからない。
なのでこれは完全に私の想像になるけれど、アンがパリに行くと言ったり行かないと言ったりしていたところは、認知症が作り出す偽の記憶の場合もあるけれど、アンがアンソニーを安心させるためについた嘘だったのかもしれないと、私は思った。
アンが「パリに行く」とアンソニーに告げると「私を見捨てるのか……」とアンソニーは悲しみに暮れてしまう。認知症になると何度も同じ質問をする。そのたびに事実を伝え悲しむ父の姿を見るのが辛くなり、途中から、パリ行きはやめたと嘘をつくようになったのかもしれない。

私の母は夕方になると、なんとかして家に帰ろうとしていた。これは「帰宅願望」といって、認知症によくある症状のひとつだ。
息子が迎えに来ると言っていた。なのになかなか来ない。連絡もない。何かあったんじゃないか。こちらから電話をかけようか。家族は私を他所の家に置き去りにして何をしているのか。私は捨てられたのか。と、思考がどんどん悪い方向へ行ってしまう。一緒に暮らしはじめて数ヶ月経ってもなお、毎日帰ろうとしていた。なので私は真実を告げずに「息子さんはお仕事で遅くなるみたいなので、今日はここに泊まっていってください」と伝えていた。
はじめは、母に嘘をつくことに抵抗があったが、母が穏やかな毎日を過ごすために、少しでも笑顔になってもらうために、私はその場限りの優しい嘘をたくさんついた。
いつまでも母の娘でいたかったけれど、母は私のことをとっくに忘れてしまっていたので、「お母さん」と呼ばずに下の名前で呼ぶようにした。
これも、母にとってはもう娘ではない私から「お母さん」と呼ばれることを気味悪がった経験がきっかけだ。
母から見る私は「知り合いのお姉さん」だったり「近所に住むおばちゃん」だったり「家政婦」だった。その時母に見えている人になりきって、母に接していた。その瞬間、母に見えている世界に寄り添うように努めた。そこが母にとって好ましくない世界だった場合は、散歩をしたり、話を変えて、楽しい世界に連れ出した。もちろん全てがうまくいくわけではないけれど、いずれも母に見えている世界を知っているから、とれる行動だった。


◆願い

この映画を見れば、認知症当人から見えている世界は、不確かで、不安の連続であることがわかるだろう。
私は長い時間母と過ごすことで、この世界が擬似的に見えるようになってきた。その体験を、この映画は1時間36分で教えてくれる。私は自分の失敗や後悔から、認知症の世界を一人でも多くの人に知ってほしいと願い、昔から文章を綴ってきた。このような素晴らしい映画に出会えて本当によかった。
そして認知症を治療できる未来が、一日も早く訪れることを心から願う。


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