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望まない言語を勉強することになってふてくされたり、乗り越えたりしたお話。


大学1・2年生が履修する第二外国語、というものがある。第一外国語はご存じ英語である。英語はほとんどの大学で必修である。第二外国語は英語のほかにもう一つ学ぶもので、これも多くの大学で理系文系問わず必修だと思う。言語は大学によるがだいたいフランス語、ドイツ語、中国語、あたりからひとつ自分で選ぶ。私の大学(当時)ではあとロシア語があった。私のいた学部ではさらにもう一つ希望によりスペイン語、韓国語(当時は朝鮮語と言っていた)、ラテン語(今思えばまじでラテン語やってみたい)から第三外国語(選択外国語、と言っていた)を学ぶことができたが、ほかの学校であまり聞いたことがないので普通は第二外国語までだと思う。というわけで、大学生は入学時に、多くの場合ほとんど聞く機会もなく、全くなじみのない言語から一つ「これから2年間どれを学ぶか」を決定しなければならない。私は入学当時、環境問題に多大な関心を寄せており大学で勉強をしようと思っていたので、環境先進国と名高いドイツが誇るゲルマン系言語、ドイツ語を選択した。なんならドイツに留学したいとさえ思っていたのだ。

しかし、それは叶わなかった。私は後期試験の入学で合格から履修登録まで時間がなくドタバタしていたし(国立大は前期試験と後期試験と2回ある。後期試験合格者は合格発表から入学まで10日程度しか時間がない。なお余談だが、私のいた大阪大学は今では後期試験は廃止されたらしい。私のようなちゃらんぽらん後期入学生がいたせいではないといいが…)、遠方への進学で同じ大学に進む友人がおらず情報を共有できる友人がいなかったし、以上は言い訳で何より私が合格発表後遊びまくってシラバスを読むのを怠っており、履修登録が正常にできていなかったのだ。入学後スカスカの私の時間割をみたクラスメートが、「第二外国語、とれてないよ。授業が少なすぎる」と指摘してくれたことでそれを知り、時間をみつけて学生課に駆け込んだ。

事情を説明してドイツ語の履修登録をお願いしたが、全く愛想のない事務員から、「ドイツ語はもう定員を満たしているので入れない」という絶望的な回答が返ってきた。そんなことがあるのか。苦労して難しい入学試験をパスして正常に入学し授業料を払っているのに、国からの税金も入っている大学なのに、生徒が好きな授業をとれない、やりたい勉強ができないなんてことがあるのか。これから2年間に関わるんだぞ。たった一人教室に増えることが本当に不可能なのだろうか。自分の不手際を棚に上げて掛け合ってみたが無理ということで、しかたないので中国語を選択することにした。中国には修学旅行で行ったことがあるし、中国語ペラペラの高校の先生に教えてもらった「いくらですか」「安くなりますか?」(発音できるが漢字がわからない)は完全にマスターしていて値切り交渉も出来るし、中学生の時に中国人の後輩に教えてもらった「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ごめんなさい」「おやすみ」も言える。文字は漢字だから意味も取れやすそうだし、4種類あるという母音の発音も学んでみたい。

しかしその無気力な事務員はまた「中国語にも空きがない」と無慈悲な言葉を冷徹に言い放った。中国語もダメなのか。大学には学ぶ自由がないのか。大学では好きな授業を自分で選べると言っていたのは誰だ。憲法に記された学問の自由は虚構なのか。日本は法治国家ではないのか。憤慨し落胆したがしかたないので、残りのフランス語とロシア語からひとつ選ぶことになった。ロシアに行く予定はないしドイツにも近いしと、フランス語を選択した。

そんな風に消極的に選択したフランス語、まったくやる気が起きなかった。一般的にはフランス語は巻き舌のイメージがあるらしいが、実際にはフランス語にそんな発音はない。それはスペイン語のことだろう。フランス語の「R」は喉の奥で発音する。「ボンジュール」は、「ボンジューグフッ」と言わんばかりの発音になる(カタカナで書き表せない)。そしてあまり抑揚がなく、全体的にパスパスしている。くぐもった低い声で「じゅむぱびあんどゅーじゅぱ?」みたいな感じなのだ(反論は受けつけません)。なんか気だるい。とにかく気だるい。スペイン語やイタリア語にあるラテンで陽気なノリはない。

そんでもって活用が多い。これはドイツ語もスペイン語も多くのヨーロッパ言語はそうなのだけれど、フランス語も例外でなく、例えば英語の「have」に当たる「avoir」という動詞は、主語が私、あなた、彼・彼女、私たち、あなたたち、彼・彼女らでそれぞれ ai, as, a, avons, aves, ont、と活用する。なんだontって。語頭のaはどこへ行ったのか。活用のバリエーションも数も、三単現のsどころの話じゃない。6パターンもある。これをhaveだけでなくbe動詞に当たるêtre、またgo、do、read、leave、finish…、新しい単語が出てくるたびに6パターンずつ覚える。似たように活用する単語もあるので世の中にあるすべての動詞について覚えるわけではないのだが、なかなか大変である。さらに未来形とか過去形(半過去という)などでもまたかわり、それぞれ主語によって6パターンに変わる。ひとつの動詞が何十種類に活用する。教科書の巻末の10数ページくらいは、これらの動詞の活用表がごっそりあったと記憶している。これらをひたすら覚える。暗記というか、ひたすら例文を発音して体に覚えこませる。動詞の活用が、1セメスター(前期)のカリキュラムのほとんどだったんじゃないかと思う。ひたすら発音して覚えるのでえる。

他にも英語と違って名詞に女性名詞と男性名詞があってそれぞれつく冠詞やかかる形容詞が変わったりとか、語尾の子音は発音しないが次に母音が来るとやっぱり発音される(リエゾンという)とか、覚えることがたくさんある。フランス語を勉強すると、いかに英語が単純で非母国語者にやさしい言語か痛感する。そら世界中で話されるわ。

私は授業を受けながら、「あードイツ語だったら『シュレディンガー』『アインシュタイン』みたいに発音がかっこいいのに。中国語もマー↑?マー!とか発音してなんか面白そうなのに。フランス語ピンとこない。活用覚えるのもしんどい。中国語には活用ないんじゃないかなあ」などと、もともと希望したわけでなかったのもあって、秒で退屈していた。しかも、私のいた学部は文学部と共同でフランス語を受けていた。フランス語の先生は文学系の研究科の先生だ。これが何を意味するかというと、先生から学生への期待がやたらめったら高い。「君たちは文学部だし、人間科学部(私の学部)も文系だろう。フランス語のこれくらいは理解してほしい」とか平気で言い放ち難しい内容をぼんぼん放り込んでくる。いや先生はフランス語ペラペラかもしれませんが私たちには厳しいです。しかも言語のスペシャリストの文学部はまだしも、私たち人間科学部はほかに必修で数学も統計学も実験もあるんです。文系とは言え実際は半分理系なんです。フランス語ばかりに力を注げないんです…。ある授業では、1年の前期の授業で、自分でフランス語の1分間スピーチ原稿を作成してみんなの前で発表しなければならなかった。Google翻訳も発達していない時代にである。なかなかの期待度だ。しんどい。そうこうしているうちに私は、他記事でも書いた五月病を発症して学校に行かなくなり、前期のフランス語の授業は2つあったところ、どちらも単位を落としてしまった。

そのまま私は順調にひきこもりとなり、後期もすべてのフランス語を落とし、2年の前期でも再履修も含めすべて落としてしまった。これはなかなかやばい。フランス語の授業は1・2年の間に必修で、それぞれ前期と後期に2つずつある。つまり、合計2年×2つ×2期=8つの授業を履修する必要がある。なのに2年の半ばの時点で単位0。なかなかの崖っぷちぶりである。他の授業は、例えば専門の哲学とか人類学とか社会学とか、その他必修の数学とか体育とかは、なんとかその半期の単元さえ理解すれば単位をとれそうだ。英語は受験でやっててわかるからなんとでもなるし、冒頭で述べた選択外国語もわざわざ新しい言語を選ばず英語を取ればいい。しかしフランス語は現時点で知識ほぼ0の上に積み上げ型の授業だ。後期は前期の内容を理解している前提で行われるし、2年の授業は1年の内容を理解している前提で行われる。どんどん状況は追い詰められている。3年、4年になるとゼミとかで忙しくなるというし、早いところ1年の授業の単位くらいは回収せねば。

焦りだけが空回るものの、外に出るのが怖くて授業を休んでばかりの2年の冬、年の瀬も近いある日。フランス語の全学共通テストがあるという情報が入ってきた。フランス語を履修する生徒は全員受けねばならず、受けないと単位がこないというものらしい。受けたくないなあ。0点かもしれない。行きたくない。世間怖い。でも、これ以上怠けられない。なんとかこれだけは受けておこう。自分を叱咤激励し、多少教科書を読み返して、なんとかかんとか家を出てテストを受けに行った。テストは数百人を収容できる大講義室で行われた。問題は3択だか4択だかの選択式だった。ほとんど授業を受けてない私も「これじゃね?」とわかるところがわりとあり、適当に埋めた。

後日結果が出た。50点満点中36点。7割である。ん?悪くないんじゃなかろうか。

成績上位者が5位まで張り出されていたので、見に行った。文学部はさすがにみなハイレベルな点数だったが、私の学部では約130人中、5位が38点であった。
ん???私もあと1問合ってたら載ってたぞこれ。私のフランス語は壊滅的というわけでもないのかもしれない。ちょっとだけ、自信を持った。

この自信をお守りにして、年明けの1月だったと思う。今期始まって以来一度もでていないフランス語の授業にノコノコと出席した。再履修の授業で、周りは1年生ばかりだ。授業の後、40代くらいで眼鏡をかけ、やや神経質そうなその日本人の女性の先生は、ほかの男子生徒と話していた。この生徒も再履修生で、先日の共通テストを受けたらしい。「せんせー、俺頑張ったから32点やった」「へえ、よかったですね。なかなか頑張ったじゃない」。32点で頑張ったと言えるのか。私も別に悪くはないかもしれない。

ちょっと安心しつつ、でもおずおずと、先生に話しかけた。「先生。私、ずっとこの授業休んでて今日初めて出たんですが、単位が欲しいです。今から頑張って間に合いますか」。先生は今まで緩んでいた頬を突如引き締め、厳しい表情で言った。「あなた、○○さんね。このままでは出席が足りませんね。これから頑張って勉強して下さい。3週間後に期末テストがあるので、よく勉強していい点数をとってください」くどくどと言われた。見るからに怒っている。そりゃそうだ。自分の授業に1度も出てないくせに単位が欲しいなどとぬかす生徒を好意的に受け入れるわけがない。

「先日の共通テストは受けましたか?」「はい。36点でした」。先生はひそめていた眉を上げて、素っ頓狂な声を上げた。「36点?悪くありませんよ?!」。そしてやはり再度眉をひそめて「とにかく、これから期末テストに向けて頑張ってください」と言った。なぜ32点は「よい」で36点は「悪くない」になるのかわからないが、先生のメンツとかいうものもあるのだろう。「わかりました。頑張ります」そう返事して、その場を離れた。

それからは勉強計画である。試験範囲はなかなか広い。教科書一冊、1年生の前期と後期すべての学習範囲だ。私たちが使っているのは、大学オリジナルの教科書である。目次を開き、それぞれの章に期末試験までの3週間をそのままふりわけた。1、2日目で1章を終わらせる。3,4日目で2章。5,6日目で3章。7日目休み。細かい数字は適当だが、こんな具合である。ちょっとだけ休みの日を作って余裕を持たせ、あとは機械的に振り分けた。

それからはガリ勉である。大丈夫、たった3週間のガリ勉だ。高校3年間、現代文、古文・漢文、数ⅠⅡAB、英語、生物、世界史、日本史をひたすら勉強した大学受験に比べたら全く大したことない。勉強の感覚も忘れていない。毎日朝と夜、そして空き時間、電車の中の時間も徹底的にフランス語につぎ込んだ。読んで、単語を調べて、理解して、ノートにまとめて、発音して、覚えて、練習問題を解く。この大学の教科書は実によくできていて、「 Je t'aime. 愛してるよ。」「Moi aussi. 私も。」みたいな実に実用的でこなれた、そしてシンプルな文法の例文がたくさんあって、とてもわかりやすい。練習問題もよく考えられていてかつ豊富にあるので、ほかに問題集を買う必要はなかった。

ひたすらガリガリと勉強したが、残念ながら最後のほうの章はテストの日に間に合わなかった。条件法とか接続法だったと思う。なかなか高度な内容だ。ガリ勉に疲れて終盤失速したのもあるし、後半の内容が濃くてスケジュール通り進まなかったのもある。でも仕方ない。そのままテストに臨んだ。幸い条件法・接続法の問題はほとんどなかったのでほ多くの問題を解くことができ、手ごたえを感じた。

翌週、テストが返ってきた。94点。ただし、満点は110点(なぜかは不明)。つまり、85%程度は得点できたことになる。基本的に大学の単位は60%以上で単位が来るので、出席できなかった分を加味しても(ほんとは足りてない気がするが)もちろん合格である。先生も手放しには褒めてくれたわけではなかったが、「まあ、よく頑張りましたね」と言った感じで声をかけてくれた。

そして私はいつの間にかフランス語が大好きになっていた。そのあとはおおむね順調に単位を回収し、卒業前にはきちんと揃えることができた。次のセメスターでは、時間割の関係で工学部のフランス語を再履修でとってみたら、理数系の学生たちは語学を「めんどくさい」としか捉えておらず、先生から生徒に求めるレベルもとても低かったので、文学部との共通授業ではポンコツだった私も「とてもよくできる文系再履修生」という扱いを受けた。暇なときにはさらにNHKのラジオ講座でも勉強した。夏休みには1か月、フランスのボランティアプログラムに参加したし、卒業後はフランス語検定も取った(試しに4級と3級を受けてみたらいずれも楽勝でパスして、拍子抜けしてしまいそれ以上取らなかった。よく覚えているうちに2級くらいとればよかったなあと、今も少し悔やんでいる)。今は使う機会もないので活用や細かい文法、単語などはほとんど忘れてしまったが、今も自己紹介はできるし簡単な文章なら読んで意味を推測できるし、ごく基本の文法も覚えている。フランス語にとても似た言語であるスペイン語も、読んで意味を推測できたりする。仕事で使う機会もまずないが、英語を学ぶ上で間接的に活かされるし、何より好きな言葉と国が増えたので、フランス語をとってよかったなあと、今では心から思う。

私にとってこの経験はとても大きくて、学ぶことはたくさんあった。

まずひとつは、表面的な印象で毛嫌いしていても、真摯に取り組んでいくうちに好きになることがあるということ。最初はフランス語に対して全くいい印象がなかった。「ドイツ語取りたかった、中国語取ればよかった、ロシア語でもよかった」としょっちゅうぼやいていた。好きになんてなれるわけがないと思ってたし、全くピンとこなかった。でも今は、日本語、英語の次に親しみのある言語だし、フランス語のささやくような発音もとても心地よく感じる。サン=テグジュペリやサガン、カミュなどフランス文学もいくつか読んだし、「アメリ」や「太陽がいっぱい」などフランス映画も見たが、ロジカルでいてロマンティックな言語であるフランス語の知識があることで、深く味わえたのではないかと思う。

次は、どうせだめだできないと思っていてもわりとできる場合があるということ。共通テストを受けるのも、出ていない授業に顔を出すのも、当時は本当に本当に足が重かった。いやでいやでしょうがなかった。自信がなくて怖くて、恥をかくのが恐ろしかった。でも、無理に頑張ってみてやっぱりできないことも時にはあるけれど、今回のように単なる杞憂だった、ということもあるのだ。テストは、仮に0点でも欠席と比べて失うものもあまりないし、頑張って受けて本当によかった。また、無理だろうと思うものでも、計画的に一生懸命頑張って乗り越えられることもあるのだ。

そして最後は、1つ目の裏返しだが、やりたいことを諦めなければなくても、別の道を進んでいくうちに後悔がなくなることがあるということだ。ドイツ語が取れないと知ったとき、かなりショックだった。環境問題について勉強したくてこの学部を選んだのに。環境先進国のドイツについて勉強したかったのに。すべて自分の責任とは言え、大学生活の初っ端からその計画が狂ってしまったのは、とてもつらいことであった。でも今は、別にそれでも全然問題なかったなあと思う。ドイツの環境問題についてはある授業で勉強したが、ドイツの情報は英語や日本語などでもたくさん手に入れることができた。その後も、詳細は省くがゼミでは環境問題について別の角度から(マレーシア)学ぶことになったので、ドイツ語は必要ではなかった。このゼミで私は、それなりに充実して環境問題について学ぶことができた。

今仕事をしていて、また趣味などで、「こんなの無理、できない」と思うことはたくさんある。やりたいことを諦めて、好きでもないことをやらなければならないこともあるし、やりたいことを我慢しなければならないこともある。そこで初志貫徹で、やりたくないことは徹底的に断る、意地でもやりたいことをやる、そういう努力も必要だとは思う。そもそも、私が履修登録できなかったように、自分の不手際で事前準備に失敗することも、ないのが一番いい。でもどうしても叶わないときは、いちいち抗わずに、力を抜いて流れに身を任せて泳いでいけばいい。それはそれで別の道が見つかるのだ。絶望する必要なんて全くない。

まあひょっとして、私が最初からきちんと履修登録をしてドイツ語を学んでいたら、今頃天才環境学者として鳴らしていたかもしれない(突っ込み歓迎)が、もしもと比べて嘆いてもしょうがない。ドイツ語を勉強したら勉強したで、どのみち必ず別の課題にぶつかっていただろう。いろんな経緯でどんな道を通ることになっても、きっとミエナイチカラ、神様のようなものがちゃんと導いてくれて、自分に相応しい方向に向かわせてくれるのだ。C'est la vie.(それが人生。)とか言って、受け入れるだけで良い。

この経験から、今与えられたものを大事に受け取って、大切に過ごしてゆきたいなと、日々思うのである。

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