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決勝戦で見た選手たちの心の作法

23日は、オーストラリアへ出発予定の日でしたが、準決勝戦の前にその飛行機をキャンセルし、来たるべき決勝戦への予祝、ということで3日後の26日の便に取り直していました。
まさかは、もしやとなり、絶叫のうちに喜びのうちに慶應義塾高校と仙台育英高校の決勝戦を応援に駆けつけることになりました。私は、自分の「好き」と「やりたい」を大事にすることをクミ員達に伝え続けている鈴鹿塾のクミ長。ここはやっぱり、徹底してやり切る姿を見せないと、ね。(へへ

決勝戦で選手たちがみせてくれた「人としてのあるべき姿」


これは別日の写真です

8月23日、午後2時。甲子園球場の入口は、チケットを手にした人々が長蛇の列をなしていました。決勝戦の両チームにとって、この日は、一歩一歩登り詰めてきた最終決戦の日です。日本中から駆け付けた応援席の観客は、どちらのチーム側も「よくぞここまで来た!」という満足感と、「ここまで来たんだから優勝しかない!」という意気込みとの両方が渦巻いていました。私も、好きで来ているのですから偉そうな風に言うのも気が引けますが、予定を綱渡りに組みなおしたり、観戦チケットの申し込み時間を死守するために、別の出張で乗る予定だった飛行機の時間を変更したり、ここまですごい熱量でやって来ました。場内にいる選手も応援の一人一人も、それぞれにここに至る物語があるのだと感慨深く思っていました。

夢じゃない!決勝戦!



さぁ、いざ、その待ちに待った、望みに望んだ107年ぶりの優勝がかかる試合の始まる時がやってきました。
試合開始のアナウンスと共に、両チームがマウンドに並んだ時、もう私は泣きそうでした。よくぞここまで来ました!あなた方は立派です!(泣

両校の選手たちは、一様に笑顔で、そして見分けるのが難しいくらいのよく似たユニフォーム姿でした。聞くところによると、仙台育英の理事長は慶應大学のご出身だそうで、同校のユニフォームを変更する際に、今のデザインをご提案されたとのこと。だからこんなにそっくりなのですね。不思議なご縁のエピソードに感動したのは、これも決勝戦だったからでしょう。

決勝戦が始まる!


さあ、試合は、慶應の攻撃から始まります。トップバッターは丸山君。笑顔が可愛い!爽やかね!と言っている間に、カッキー―ン!え?!ホームラン?!これには本当に驚きました。決勝戦での先頭打者ホームランは初めてということを後で知りましたが、なんと爽やかな笑顔だったことでしょう。場内は驚きと歓声でいっぱいでした。

感動したのは勝敗を超えた選手たちの小さな行動


試合の内容については、ご存じの方も多いと思いますが、応援席から見つけた、いくつかの小さな感動シーンを忘れることができません。

仙台育英の4番バッター斎藤陽選手の打球が、慶應のベンチを直撃してしまった瞬間がありました。ヒヤッとしたその瞬間、ベンチで控えていた慶應の選手たちは、手で大きく〇をつくり、斎藤選手に笑顔で「大丈夫!大丈夫!」「気にしないで!」とメッセージを送っていました。私は、「バッターは仙台育英よね」一瞬混乱しました。敵を応援しているの?両チームのユニフォームが似ていることもあり、ますますわからなくなります。相手が打った選手に対戦相手のベンチから拍手を送るなど、え?となるシーンはこの他の試合でも見かけました。
たとえば、バッターボックスに入った選手が、捕手が落としたマスクを拾うために、自分のバットをグラウンドに置いてからマスクを手渡したり、自分がアウトになりバッターボックスを去る前に捕手が落としたマスクを拾って渡してからベンチに戻ったり、相手選手の手に当たった死球にスプレーをもって駈け寄ったり。

闘いを超えた、選手たちの行動



マウンドの上で見せてくれたのは、勝つか負けるかの厳しい試合であることは紛れもありません。でも、それ以上に私が感動したのは、野球を精一杯楽しむ選手同士の、温かい笑顔のエネルギーでした。敵味方を超えたこのようなシーンを見つけるたびに、私の中で想像もしたことのない感動が温かく大きく広がっていきました。選手たちの一挙手一投足が、感動となって場内の応援席に広がっていきました。
試合は慶應の勝利で終わりました。「よくやった!」「ありがとう!」「良い試合だったよ!」歓声は、感謝のメッセージとなって、大きな拍手はどちらのチームにも送られていました。

王者たるべき姿はスポーツマンシップに宿る

今回の塾高への応援に関しては、各方面から様々な意見がありました。確かに、100年を超え、さらには大学まである付属校ですから、大学まで併せると卒業生の総数は数十万人となるでしょう。ですから応援席は圧倒的に慶應カラーが多かったのも事実です。これを批判する方々は、不公平だ、仙台育英が可哀そうだなどとの意見が多かったと思います。でも応援席をどのように差配するかは、主催者側が判断すべきことです。これを「慶應の応援が多すぎる」「応援の声が大きすぎる」とし、応援席のチケットを購入して参加している来場者に向けるというのは筋違いです。また、どうせチケットは力とカネで取っているんだろう等という憶測だったり、マスコミが慶應ひいき過ぎるだったりとかもありましたが、チケットはコネで取る方もその枠の中でいろいろあるでしょうが、少なくとも私は真正面から自分のできることで獲得し、参加してきました。また、マスコミが取り上げるかどうかは、視聴率が取れるかどうかにかかっているというのは周知の事実。「107年ぶりの優勝」と「2年連続夏の甲子園優勝」のどちらが話題性が高いか。これは、どのようなニュースでも話題であっても、視聴率最優先の日本のマスコミの問題点として指摘されることで、今回の慶應の応援問題に限ったことではありません。よって、どの批判もその矛先が的を射ていないと思われました。

塾高は挑戦者だった

よくここまで来られました。感動


加えて最も大切なことが、言われていませんでした。
忘れちゃいけません。慶應義塾高校はチャレンジャーでした。春に二回戦で負けた仙台育英に今度こそ勝とうと、塾高は仙台育英を目指し、研究し、この一心で、森林監督の下、日々を費やしてきたのです
後に、結果が出てからこれ見よがしに自分の今の立場を自慢しつつ、塾高の応援に来た人たちを叩く言葉をSNSで目にする度に、私は辟易としました。

私は塾高卒業生ではありませんが(男子校)、気持ちの良い素晴らしい試合を応援させていただき、一生に一度かもしれない(ごめん)優勝の現場を体験させて頂きました。そして何より、決勝戦の両監督の人間力に感銘を受けました。子ども達を人として「育てる立場」として思想が現れるひとつひとつの言葉に、我が身を振り返る機会ともなりました。感動は今も続いています。(更にスッキリ!)

なりふり構わずのお手本と言われました

さ、前書きが長くなりましたが、これでやっとオーストラリアに向かうことになります。
明日からは、やっと行けた、オーストラリアでワーケーション記、です!(長


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