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エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んで

人生のバイブルシリーズの1つで、最後に読んだのは5年も前のことだった。これ、新訳版とあるけど、さらに更新されたようなので、入手困難で高くなっている。最新版も読んでみようと思う。(大筋同じとは思う)


今後は、こういう、人生を大きく変えてくれた本を再読したり、読んだ時点で「これは!」と思ったものを記事にしていこうと思う。

以前は、内容の要約を中心に考えを書いていたけれど、基本は一部引用をしながら、つらつらと思うところを書いて、今現時点での自分の気持ちの記録としたいと思う。


愛は技術で、瞬間瞬間の積み重ねで作り上げるもの

この著者は本の中で、

「恋に落ちる」に対して「愛の中にとどまっている」という表現を使う。要は、一方的にもらうものや、ラッキーに恩恵を受けるものではなくて、努力の元に、ある一定の状態、相手への態度、関係性をキープしていくことだと言っている。

そのために、日々修練が必要だし、手を抜いて怠慢になれば、たちまち”愛の中にとどまっている”ことはできない。流されたり、依存の沼に落ちたりする。

関係が深まったり、月日を重ねていくと「(何でも)許される」という感覚に、自然となってしまったりする。自分の弱いところ、直すべき悪癖に、目が向かなくなる。謙虚さを謙虚さを持ちづづけることが、今の自分に足りていなかったよな〜と、心から思った。いて当たり前、みたいな態度でいたと思う。

なんなら、その態度について指摘をされると、「こんなに大事にしているのに、なんで!」とむしろ自分を正当化していたと思う。このスタンスも、愛情を、交換可能な資源(お金やモノなど)に近いものとして扱ってしまっていた証拠なんじゃないかと思った。

読めば読むほど、「あれやこれや、できてなかったことだらけだぞ。。。」と、気づかされて辛くもあり、同時に、改善すべき方向性が見えるという意味で希望も感じるので、不思議な感覚になる。是非失恋したとき、孤独を感じたときに読んでみてほしい。


自分を愛せない人は...という原則

「汝(なんじ=自分自身)を愛するように、他人を愛せよ」

というキリストのありがたい言葉があるが、これが愛に関する原則を見事に表している。

自分を愛せない人は、人を愛することができない。残念ながら、これが事実。なぜかと言えば、愛するということに関して、希望も、経験も、信念と言えるくらいまでの成功体験もないから。

なんならみんなまず自分が大事で、その次に他人がくる。自分に余裕のないときに、他人に構うということが物理的にも、精神的にも難しい。人に構う、誰かを助けるということは、すでに助かっている人(少なくとも遭難していない人)にしかできない。

愛する力というものが仮にあったとして、それを持っているとしたら、まず最初に自分を愛することができるはず。

今もしそれができていないのであれば、愛する力、技術を伸ばすことに集中しないと、先がない。共依存関係しか人と作れない。


自分を愛する技術の磨き方

あんまり具体的にゴールは書かないぜ?と前置きしておきながら、結構具体的に気をつけるべきポイントや何をしたらいいか、ということは書いてくれた。一方で、それをどのくらいの期間やって、どういう状態に達したらOK!みたいな組み立ては、話がなかった。

方向性が知りたいのであって、答えは自分で見つけるしかないと思っていたので、自分的には十分に納得だった。

人がなんらかの技術をつける(愛に限らず)ときに大事なのは、
・規律(継続的に、規則正しく行い、気分に流されない)
・集中(今目の前にある題材に集中する。片手間にテキトーにこなさない)
・忍耐(伸びるまで時間がかかるから、焦らず続ける)
・関心(特に、最高の関心。その技術をつけることが最優先という気持ち)
・謙虚さ(人は誰しも色眼鏡をかけて世界を見ているので、理性が必要)
・信じる(根拠を持って希望を見出し、可能性に懸ける)
・能動性(自ら動き、与える。愛することにチャレンジする。)

理性の発動条件として、謙虚さを挙げているのは、ありがたいなと思った。「理性で考えろ」はあり方として難しいし、どうやんの?となるけど、謙虚であれば、理性が動く、ということなら、比較的イメージしやすい。感謝と尊敬を改めて感じながら生きていけば良さそうだ。

信じるとか、能動性とかは、フワッとしている感じがあるかもしれないけれど、信頼や、愛を考えるときには必要な要素だろうなと思う。

どれを考えても、今までそれやってきましたか?→No としか言えないなぁと反省した。5年前に読んで、「これで人生が変わった!」と思ったはずだったんだけど、5年間継続した修練はできていなかった。これは、極めて大事なことを忘れてしまっていた、ということであり、その極めて大事なことが身に付いていない、ということでもある。

もちろん、今まで上記を意識した1年とかがあって、それによって得られたものももちろんあったとは思うけれど、自分に一番近しい人に対してできない、ということがあれば、それはそれは機能しているとは言い難い。

もっと言えば、上に書いた通り、”自分に対してできていないこと”を自分のパートナーにできるはずもなく。

自分のもっとも内側にいるのは、自分自身なので、まずは自分が自分を大事にすること、規律、集中、忍耐などなどにおいて、修練を積むことを楽しむことをやっていかなければ、と思う。


実践も是非記録していこうと思うので、頑張って書いていきます。

あと、そのほかの書評も〜。

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