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異文化をリスペクトするとは? 尊重と尊敬の違い

異文化をリスペクトしなさいと言う人がいます。

ではリスペクトとはどういう意味なのでしょうか?

辞書によるとリスペクト(respect)には2つの意味があります。

ひとつ目は「尊重する」もうひとつは「尊敬する」です。

尊重することも尊敬することも同じく、相手に敬意を示し重んじることが関係しています。しかし、尊重と尊敬は同じように見えても大きな違いがあります。

尊敬は「相手を優れている」と認めた上で敬意を示します。

ラッパーとかが親に対して「マジ、リスペクト」とか言ってるのは「尊敬」の意味です。

それに対して、尊重は相手のことを優れていると感じているかどうかは関係ありません。

相手の意見、立場、権利、感情を大切にし、軽視せず価値のあるものと認めること。それが尊重です。

そして、異文化をリスペクトしなさいという人は、尊重しなさいと言っているはずなのですが、尊敬することと混同している人がいるように思います。

もし、異文化を尊敬することが正しいのであれば、評価できない多文化を切り捨てることも正しいことになります。

なぜなら、優れていない文化は高く評価される必要がないからです。

これが、尊重となると違います。

相手のしていることが理解できなかったとしても、相手には自分で自分のことを決定できる権利があることを認め、その決定を価値のあるものと重んじるからです。

自分では賢明な決定と思えなくても、相手が正しいと思っているなら、その決定は間違いではないのです。

もちろん、相互に尊重し合うことが大事です。

それで、お互いの文化に関して意見を述べたり、理解を深めるために理由を尋ねたりすることは良いことです。

このようなコミュニケーションも尊重していることの表れです。

なぜなら、尊重には「相手を価値のあるものと認める」ことが関係しているからです。

そして、わたしたちは誰でも価値のあることについて、もっと知りたいと思うので、自ずと相手の文化について知りたいと思うことでしょう。

加えて、相手の文化の優劣を評価する必要はありません。

評価するのはいつも自分です。

異文化と触れて、自分とは違う意見や感じ方、考え方があることがわかったとき、自分はこれからどうするのだろう。どうして、自分は別の思考パターンがあるのだろうと分析します。

この模索の先に、異文化への理解があるように思います。

この尊重は「わたしはわたし、あなたはあなた」のような簡単なものでもありません。

深く考える。その結果、相手の文化を自分の言語で説明できるようになり、その上で、受け入れることが理想だと思います。

その結果、お互いに尊敬できるレベルまで引き上げることができれば良いなと思います。

とはいえ、この社会に他のすべての文化を卓越したひとつの文化というものは存在しないわけですから、どこかの文化を手放しに褒めたり、さげすんだりするのは慎んだほうがよいと思います。

良くわからない理由で手放しに中国最高!とか日本オワコンとか言うのは、異文化尊重の対極にある行動だと思っています。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
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