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経済的な豊かさについて中国人と話して思ったこと

経済的な豊かさって何なんでしょう?

中国人と生活の質や金銭に対する見方について話していると、自分とはズレを感じることがよくあります。

例えば、わたしはお金がなくて困ったことはあっても、命の危険を感じるほどの状況に陥ったことがありません。

いつでも欲しいものが買えるわけでもないし、食べたいものが食べられるわけでもありません。

でも、それなりに楽しく暮らしています。

ですから、自分は経済的に豊かだと思うのですが、中国の友人たちの中には、わたしの状況を説明すると首をかしげる人もいます。

中国で車も買わないし、家も持たないのに、どうして経済的に豊かだと思っているのだと彼らは言います。

さらに、お金を道具として考えられず、ステータスとして考える人も大勢います。

先日、中国のSNSに自分の電子マネーの残高をアップしている人がいました。3万元程度の残高だったので、今の日本円で考えると63万円くらいになります。

ちょっとした財産です。

そして、コメント欄にここまでチャージできるようになった自分が誇らしいというようなことが書いてありました。

その人の背景や生い立ちがわからないので、どういう理由で誇らしい気持ちになったのかはわかりません。

ただ、中国では自分の預金残高を見せるという行為がステータスになるのだろうなと感じました。

この人、何かのことで3万元ほど出費することになったら、どのように気持ちが変化するのか心配してしまいました。

プライドの理由が残高、つまり数値であるなら、残高が減ると自尊心が保てなくなるのではないかと。

むしろ、突発的なことで出費が必要になったときに、自分でどうにかできるという経済的自立を持てていることを喜ぶべきではないのかなと感じます。

ちょっと話がずれてしまいましたが、中国の皆さんと話していると豊かさの尺度が数値で測られているように感じるのです。

よりたくさんのお金、そして所有物をもつことこそが豊かさの象徴だと信じているのかもしれないです。

もちろん、わたしだって昔は良い車に乗りたいと思っていましたし、リッターバイクを乗り回したいと思っていました。

できれば素敵なお部屋でくつろぎたいですし、仕立ての良いスーツを着るのは今でも好きです。

でも、それって豊かさなんだろうかと中国に来て疑問に思うようになりました。

毎日、暮らせる。

そして、友人と飲みたいときに気兼ねなく一緒に時を過ごせる。たまに友人に奢りたいと思うときにご馳走できちゃう。そういうことができているなら、十分に豊かだと思うのですが、どうなのでしょう。

大都市での暮らしをキープするため、そして中国の成長と今後の経済的危機に対応するために努力して、ストレスを感じている人を見ていると、そんなに無理しなくても大丈夫だよと声をかけてあげたくなります。

でも、すべては個人の自由ですし、どんな暮らしを豊かだと思うかも人それぞれなので、ここまで書いてきてなんですが、別にどうでもいいかと思ったりしちゃいました。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜

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