毎日連載する小説「青のかなた」 第20回
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トミオの言ったような「描き手の心をキャンバスに映し出す」という作業は、すなわち光が自分自身の心と向き合うことだ。
いやだ。絶対にそんなことしたくない。自分の内側から、そんな声が聞こえるような気がした。
――お願いだから、そっとしておいてほしいの……!
光の体の奥に、ずっと小さな光がいて、その子が叫んでいるような、そんな感じだった。まだ触れられたくない、隠しておきたいの……と。
「光? 大丈夫?」
顔を上げると、トミオがこちらを見つめていた。心配そうな顔だ。
「ごめんなさい。なんでもないんです。絵のことは……ゆっくり考えます」
「それがいい。まだ時間はあるからね」
トミオはそう言って、やさしく微笑んでくれた。本当の孫に向けるようなその眼差しを見ていると、ふっと、祖父の声が頭の奥で響いた。
――光。じいちゃんは死んだあとも、光のこと守ってやるからな。しあわせに暮らすんだぞ。
光の手を強く握りしめて、祖父はそう言った。亡くなる前日のことだ。うっすらと濡れたあの瞳、孫娘の行く末を案じるような眼差しは、十年以上経った今でも光の脳裏にこびりついている。
あのとき、確かに祖父の深い愛を感じた。ただ、「しあわせに暮らす」というのがどういうことなのか、光はいまだわからずにいる。
「光、うちでごはんを食べていってね」
話していたら夕方になってしまい、トミオにそう誘われてしまった。どうしようと思っていると、
「これが、パラオのゴハンね!」
ロシタがくせのある日本語で言い、テーブルの上に何かをドンと置いた。大皿に魚の干物が山盛りになっている。他にもマグロの刺身、カニの身と生野菜を和えたサラダ、あと思南が焼いたというローストビーフやつけ合わせのマッシュポテトもある。一番大きな皿にはタロイモやタピオカなどの芋類を蒸したものが山盛りになっていた。
「毎日、こんなにたくさん料理を用意するんですか?」
トミオに尋ねると、彼は首を横に振った。
「光が来ると聞いて、ロシタがはりきって用意してくれたよ。パラオ人は、ごはんで歓迎の気持ちを伝えるんだ」
そんなことを言われてしまったら、食べないわけにはいかない。おずおずと席につき、どれから手をつけようか悩んでいると、思南が「光、これ食べてみてー」と何かを勧めてきた。何か白く半透明なものが薄くスライスされて皿に乗っている。イカの刺身によく似ているけど、それよりはもっと水っぽい。
「わさびと醤油につけるんだよ」と思南が言うので、光はその半透明のものを箸で取り、小皿のわさび醤油に浸して食べてみた。