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昔話が小説になるための橋掛け(柳田国男『日本の昔話』)

書籍情報

『聞耳頭巾』や『藁しべ長者』など、広く世に知られた話から『猿の尾はなぜ短い』や『海の水はなぜ鹹い』など、古くから語り伝えられた形をそのまま残したものまで。私たちを育んできた昔話のかずかずを、民俗学の先達であが各地からあつめて美しい日本語で後世に残そうとした名著。人間と動物たちとの騙しくらべや、長者ばなしのなかに、日本人の素朴な原型を見ることができるだろう。(カバーあらすじより)

 どちらかというと『遠野物語』のほうが有名じゃないかと思う柳田国男の伝承収集録。ただ、改訂版が出されるたびに書かれた柳田の序文を読んでみると、出版当時からかなりの人気があったことが窺えます。
 今回はそのうちの一篇、「狐女房」を取り上げます。
 使用テキストは1983年6月25日発行版新潮文庫 柳田国男『日本の昔話』

「狐女房」の構成

 狐女房の発生はいつ頃なんでしょうか。異類婚姻譚の代表格としてかなり多くの類型を有しているでしょうから、その特定は難しいと思います。『日本霊異記』に載っているのは知っているんですけど、たぶんそれより古くからありますね。
 柳田国男『日本の昔話』では、以下のような内容です。短いので全文載せます。

 むかし能登国の万行の三郎兵衛という人は、或晩便所に行って帰って来て見ると、部屋に自分の女房が二人おりました。どちらか一人は化け物に相違ないのですが、姿から言うことまでも寸分の違いがなく、色々難題をかけて見ましたが、双方共にすらすらと答えるので、どうすればよいのかに困ってしまいました。そのうち一人の方に、ほんの僅かな疑いがあったので、それを追い出してしまって今一人の方を家に置きました。それから家が繁昌して二人まで男の子が生まれました。その二人の子が少し大きくなって家で隠れんぼをして遊んでいて、ふと母親に尻尾のあることを見つけました。正体を見られたからにはもうおることが出来ない。実は私は狐であったと言って、二人の子を残して泣いて帰って行きました。それから毎年稲のみのる頃になると、その狐の女房は三郎兵衛の田のまわりを、「穂に出いでつっぱらめ」と唱えながらあるいたそうであります。そうしてこの家の稲だけは、いつも少しも実が入らぬ為に、毛見の役人が見に来て必ず年貢を許してくれました。それが刈り取って家に運んで来ると、後から穂を抽き出してどこの家よりもよく実ったので、この家の暮しはますます豊かになったということです。(能登鹿島郡)

 テクストの構成を大きく分けると以下のようになります。

①男が二人の妻のうち一人を追い出す。
②男の家が繁昌し、子が生まれる。
③妻の正体が狐だと露見し、妻がいなくなる。
④男の家は狐によって今後も繁昌する。

追い出された女の行方

 私はこの昔話で一番の不明点は、追い出されたほうの女はどうなったのか、かと思います。
 しかし、残念ながら、テクストからそれを読み取ることはできません。そこで今回は創造力を豊かにして、追い出された女がどうなったかの案をいくつか出してみたいと思います。

①親元、親類、ほかの村人を頼った
 ほかの人を頼って匿ってもらう、夫を説得してもらうという可能性です。
 ただ確実に、再び家庭内で問題が起こるはずです。テクスト中にそのような記述はありませんし、子供を授かるほど家庭は円満のようですから、第三者を頼るといったことはなかったと考えるのが自然でしょう。

②ほかの村に辿り着いてそこで受け入れられた
 完全に家を諦めてほかの村に逃げるという可能性です。不勉強なのです が、当時村の外部から移住者を受け入れることは稀かと思われますが、なかった話ではないと思います。その場合は、その村でも新たな訪人譚が生まれそうですね。

③その晩中に自死した、数日生き延びたが結局野垂死した
 第三者を頼らず家を諦めきれなかった場合は、追い出されたことに絶望して自死してしまうかもしれません。当時、家を追い出されることは生命線を断たれるということではないでしょうか。多くの人はそこ以外で生きる術を知らないのですから。
 また、運悪く動物に襲われる、滑落して死ぬ、なども考えられます。

④付近の山野で自力で生き延びた
 野性的な可能性です。自らを奮い立たせて山野で生き延びていく力強さがあれば、自ら食料を集め、洞窟を寝床にすることもあるでしょう。そのうち山人として崇められることもあったかもしれません。

⑤狐の女房となった
 イチオシの可能性です。「狐女房」は狐の女と人間の男が番う話ですが、ならば人間の女と狐の男が番う話があってもいいはずです。つまり、妻は夫に追い出されたのち、途方に暮れている道中で狐に化かされてそのまま嫁いでしまうという話です。
 ずばり『狐の女房』。
 いかがでしょう?

可能性としての古典

 今回は追い出された女房はどうなったということを想像しました。
 ほとんどの昔話は、その物語に多くの隙をはらんでいます。「狐女房」ですと、私ならほかに「狐が女房に成り代わった理由」や、「男は狐とまぐわった自身をどう反省するのか」、「母が狐と知った子供たちはどのように成長するのか」といったことが気になります。まあ、大体が過剰に語られない「その後」の部分ですね。
 こういった古典を題材に近代小説を仕立てている作家はたくさんいます。有名どころだと芥川龍之介『地獄変』『羅城門』『藪の中』とか、太宰治『御伽草子』あたりです。こうした作品は物語がはらむ隙に近代的問題を挟み込んでいるんですね。

 そういえば黒澤明『羅城門』も芥川龍之介『羅城門』『藪の中』という古典を掛け合わせた作品でした。迫力のある立ち回り、不安を呼び起こさせる演出。未鑑賞の方はこの機会にぜひどうぞ。

おわりに 昔話のぼやけた輪郭

 昔話でディティールが語られることは中々ないと思います。近代小説はそこに発展性を見出しましたし、絵本作家なんかはそこに絵の需要を発見しました。ぼやけた輪郭をやすりで研ぎあげて明確にする。昔話はそういう風に形を変えて現代でも生き延びているようです。二次創作的な面もありますし、昔話を下敷きに創作するのも楽しいかもしれません。
 以前、「狐女房」を下敷きに小説を書いたことがあります。よろしければぜひお読みください。

追記 民俗学的な「狐女房」へのリンク

 民俗学的視点からの「狐」「異類婚姻譚」について書いている記事がありました。せっかくですので共有させてください。興味のある方はぜひお読みください。

 読んでいただきありがとうございました。

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