「信じる」かどうかは、自分の〈魂〉が決めることだと思う
「信じる」という言葉。
日常的に接する言葉だけに、使う人によって意味が微妙にずれることもあるでしょう。
まずは「信ずる」の辞書的意味を確認すると、
1 そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。「神の存在を―・ずる」「成功するものと―・じている」
2 信用する。信頼する。「だれも―・じられない」「―・ずべき筋によれば」
3 信仰する。「キリスト教を―・ずる」
(小学館『デジタル大辞泉』)
…となっています。
この記事では〈そのことを本当だと思う〉という意味で「信じる」という言葉を使います。
現在、「新型コロナワクチン」について、政府や大手マスコミなどの接種推進に異議を唱える意見が見られます。
推進派、反対派とも、根拠をもって主張しているように見えます。
その是非はともかく、私が気になっているのは、その「根拠」は正しいのか?ということです。
もっと言えば、その「正しさ」とは何物なのか?ということです。
暴論であることを覚悟して言いますが、〈根拠の正しさ〉を決めるのは、客観(特定の立場にとらわれない見方や感じ方)ではなく、あくまで情報発信者の主観(自分ひとりのものの見方や感じ方)だと思います(そう言っている私も、自分の主観に基づいています)。
言い換えれば、〈根拠の正しさ〉を裏付けているのは〈情報発信者が信じている「正しさ」〉だと思うのです。
この「正しさ」について筋道立てて考えると、
①Aは正しい。なぜならば、Bが正しいからだ。
②Bは正しい。なぜならば、Cが正しいからだ。
③Cは正しい。なぜならば、Dが正しいからだ。
…のように、①→②→③→④…と無限に続く「数珠つなぎ」に陥ってしまう可能性があります。
しかし、現実には、「正しさ」の根拠探しはある程度のところで止まるものでしょう。
たとえば、次のように分析することができます。
・「ワクチンは安全だ。なぜならば、政府が安全だと言っているからだ。」という主張の場合、「政府が安全だと言っている」ことが「正しさ」の根拠になっている
・「ワクチンは危険だ。なぜならば、ワクチン接種は人口削減の陰謀によって推進されているからだ。」という主張の場合、「人口削減の陰謀が存在する」ことが「正しさ」の根拠になっている
このように、究極的にはどちらの主張も〈情報発信者が信じている「正しさ」〉が最終的な根拠になっていると考えられます。
政府の言うことが「正しい」と言い切れる根拠は?
陰謀が存在するという根拠は?
結局、情報発信者が「正しい」と思っていることが〈根拠の正しさ〉だ、とは言えないでしょうか?
ここまで「主観」という言葉を使ってきましたが、この「主観」とは、結局のところ、各人の〈魂〉なのだと、私は思います。
何とも非科学的かつイカガワシイ表現かもしれませんが。
人が何を信じるかは、結局のところ、理屈では片付けられない問題なのでは?
…と言ってみたかっただけの私です。
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