「〈アタリマエ〉教脱会に必要なのは、愛!」だと感じるようになった、noter歴2か月弱の私
今回は、〈アタリマエ〉教から自由になるために必要なことは、自分自身を心の底から愛せるようになることなのではないか?、という記事です。
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最初に、私の記事で登場する言葉の意味をご紹介します。
・「〈アタリマエ〉教」
「ヨノナカの『~(す)べき』『~(し)なければならない』を、絶対のものとして信じて疑わない」こと。
※詳しくは、次の記事をお読みください。
https://note.com/kumasaburo21/n/nc9d59d5ec24e
私がはじめてnoteに記事をアップしたのは、2021年5月22日。
あれから2か月近くが経ちましたが、フォロワーさんとのつながりを少しずつ広げていく中で、私がnoteという場でやりたいことが明確になりました。
それは、〈アタリマエ〉教に苦しむ人を救いたい!というものです。
2021年6月、父の命日に、「できるだけ毎日記事をアップしよう!」と思い立ちました。
生活環境を一変して、新しい人生の一歩を踏み出した記念として、noteの中で自分語りをしてみよう、と思ったのです。
その日から、少しずつですが、フォローやスキをとおして、つながりを広げてきました。
自分が感じていること、考えていることに共感してくれる人、いるんだ!
同じような感性のnoterさん、思っていた以上にたくさんいらっしゃるんだ!
毎日、たくさんのワクワクをnoteからもらっています。
おかげさまで、私の思索が洗練され、ハイスピードで展開していくのを感じています。
こんな私とつながってくださっている皆様、いつもありがとうございます!
今の私が、「〈アタリマエ〉教」という言葉を使って表現したいことは、次のとおりです。
・今の日本を取り巻く諸問題の根本的な原因は、〈アタリマエ〉教に対する根強い信仰にあるのではないか?
・知らず知らずのうちに〈アタリマエ〉に縛りつけられて苦しんできた人を助けることこそが、生きやすい社会、愛と思いやりにあふれた社会をつくる方法なのではないか?
・具体的な方法は、その人が「心の底から自分のことを愛すること」に目覚めるのをお手伝いすることなのではないか?
(フォロワーさんからのコメントが、大きなヒントになりました。ありがとうございます!)
「〈アタリマエ〉教に苦しむ」とは次のようなことだと、私は考えています。
頭ではオカシイとわかっていても、周りの目が怖くて「~(す)べき」「~(し)なければならない」に渋々従うこと
たとえば、「例のウイルス」がマスクの網目よりも小さいことを理解していながらも(マスクは感染予防に役立たないのでは?と思いながらも)、周りからの「マスクしなさい!」という同調圧力に負けて、渋々マスクを着用することです。
私はというと…自分の周囲2m以内に人がいる場面や、病院などで「マスク着用を!」と定められている場面以外では、マスクはしていません。
とはいえ、私も、〈アタリマエ〉教に部分的であれ同調してしまっている、弱くて脆い人間です…。
そんなイイカゲンな私ですが、車社会の田舎で暮らすなかで「運転者だけしか乗っていない自家用車の中でマスクを着用している人」を見ると、「この人は自ら望んでマスクをしているのかなぁ?」と疑問に感じます。
マスクに感染予防効果があるとしても、自分1人しか乗っていない車中で着用する必要性はあるのだろうか?と。
もちろん、自発的に着用しているのなら、他人が口出しすることではないと思います。
ですが、ヨノナカの「マスクしなさい!」圧力に屈しているだけなのだとしたら、言い換えれば、〈アタリマエ〉教を強要されているのなら、ご本人も心苦しいでしょうし、私も心が痛むのです。
では、そのような非自発的〈アタリマエ〉教信者の方に対して、たとえ善意であれ、「それはおかしいよ!」と言ってもいいものなのでしょうか?
私は、言わない方がよいと考えます。
なぜなら、そのような発言は「信教の自由」を侵害しているから(大げさな表現ですが…)です。
たとえ非自発的に信じさせられているとしても、その人の信仰を頭ごなしに否定することは失礼だと思います。
以前の記事でも書きましたが、宗教・信仰などを信じること(依存すること)自体は、人間という生き物ならではの特徴でしょうから、「心の拠り所」を全否定することは、その人の人格全体を否定することになると考えるからです。
とはいえ、〈アタリマエ〉教に苦しんでいる人を傍観・無視していてもいいとは思いません。
何とかして、その苦しみを和らげるお手伝いができないものでしょうか?
私が考えているのは、その人が自発的に〈アタリマエ〉教から自由になるためのお手伝いをしよう、ということです。
その具体的な方法は、その人が「心の底から自分のことを愛すること」ができるように、その人の話を聴き、その人の〈ありのまま〉を受け入れ、〈アタリマエ〉に縛られなくても自信を持って生きられることを私が身をもって示すこと、だと考えています。
言い換えれば、「自分を愛し、他人を愛する」ことを、その人の目の前で実践することです。
この手順を踏むことで、その人が自発的に脱会し、「自分軸」で生きることができるようになるのを待つのです。
遠回しな方法ではありますが、お互いに感情を荒立てることは防げるので、有効だと思います。
…この記事を読んでいただくこと自体がその「お手伝い」になることを信じて…
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