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モブな内向型INFJは都会から移住へ逃げることにした

01

実家にいた頃の僕はもうあらゆることに食傷気味で「こうしてこのまま埋もれるようにして一生を終えてゆくのだろう」という確かな自信だけを胸に秘め、日々をただ無為に過ごしていた。

本だけが頼りだった。それはもう手当たり次第に読み漁った。当時よく読んでいたのはスッタニパータ、プラトン、ラマナなど。そして来る日も来る日も瞑想に耽った。今になって思えば、あれは単なる迷走でしかなかった。

とにかく、現状から抜け出すための答えを外側に求め続けていた。でもこれがどうしたことか、求めれば求めるほどますます深みにはまり、現実社会からも離れていった。

なぜ生まれてきたのか?自分とは何か?宇宙とは?時間とは?

そんなわけわかめなことをぐるぐる考え続けているうちに7年が経っていた。え、ちょっとこじらせ過ぎじゃない?と今あなたは思ったかもしれない。僕もまったく同意見だ。正直、長引かせすぎた。

そんな現状を変えるべく自ら動き始めることにした。これが2022年6月頃の話。正直恐怖心しかなかったが、何もしないでいるよりはずっとましだった。

登録以来ずっと放置していたとある移住マッチングサイトを開き、気になる募集記事の「興味ある」ボタンを延々と押し続けた。その中には熊野市の募集もあった。

基本ビビりな僕は、このボタンを押すだけでも裕に1時間を要した。だが押してしまえばこっちのもの。あとは優雅にマスでもかきながら向こうからメッセージが届くのを待つだけ。

見事なまでのテンプレ文を送りつけてくる自治体が多勢の中、熊野市だけは温もりを届けてくれた。

02

ところで、僕は毎年夏前になると陰毛を剃る。卵のようにすっかりツルンツルンとなったたまきんを掌で転がして悦に浸るとき「今年もいよいよ夏がやって来るんだな」と実感する。つまり、あなたにとっての冷やし中華のようなものだ。

そうして僕が鼻歌混じりに陰毛を剃っている頃、そのメッセージはこっそりと僕の元へ届けられていた。これが熊野市の移住担当H氏からのファーストコンタクト、のちのH神示である。僕はきっとこれから先、タイタンズと同じぐらい「2022年6月13日11時49分」のことも忘れないだろう。

右手をたまきんからマウスに持ち替えて、岡本天明のような心持で早速そのメッセージを開封した。そこには興味あるボタンに対するお礼、残念ながらその募集にはマッチしないこと、自己紹介文に対する感想、ぜひ一度熊野へといったことが懇切丁寧にしたためてあった。

その文章が僕という一人の人間に向けて書かれていたことは明らかだった。当時の僕は社会的に見ればもう空気も同然で、だからこそこんな風に一人の人間として扱ってくれたことが何よりも嬉しかった。

それからグーグルマップを開き熊野市と入力した。5分後、僕は画面に釘付けになった。それこそもうムフフな動画のフィニッシュ場面ぐらいの真剣さで。僕をそれほどまでに魅了した風景がこれだ。

あなたの今の心境はさしづめ、ただのジャンプシュートを決めた桜木花道とそれに驚愕する周囲を冷めた目で見つめる岸本といったところだろうか。

ただの海。されども海。その海は僕の記憶の中にあるそれと寸分の狂いもなく見事に一致していた。言ってしまえばただのデジャブ。されども、こうかはばつぐんだった。

クマノ・コーリング。僕の頭の中の東海林のりこがそう語りかけてきた。それから右手でおもむろに髪の毛を掴むと、思いっきり天に向かって引っ張り上げた。僕はそこにジョー・ストラマーを見た。その後ろで別の東海林のり子がベースを床に叩きつけているのが見えた。

師が傍らで「紛れもなく、あれはポール・シムノンである」とそう一言囁いた。その瞬間、僕の視界は暗い闇で覆われた。次に気付いたときには教会の中で、目の前にはドレッドの牧師が立っていた。

おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない。その牧師は、どこかで聞き覚えのあるそんな台詞をそっと僕につぶやいてから、小さな貝殻を一つ手渡した。

03

H神示を受けて以来、僕の日常は大きく変わ・・らなかった。気絶していた方がはるかにましだと思えるぐらいの息詰まり。行き詰まり。どん詰まり。とどのつまり閉塞感に閉口(Hey Yo)性欲萎れて静養(Say Yo)

車は急に止まれないし、人は急に変われない。実家5.5帖のコンフォートゾーンがまさかCUBEになる日が来ようとは夢にも思わなかった。現状を変えようと決心しながら、ただそれに甘んじるしかない現実。呆れ返ってもはや自己嫌悪感さえ抱かなかった。

とはいえ、この時点ではまだ熊野に移住しようなんて3こすり半ほども思っていなかった。あくまで次の旅先候補に過ぎなかった。

僕の行動力の無さからすれば、県内で引っ越すのがやはり妥当だろうとも思い始めていた。間もなく小田原周辺、相模原、沼津あたりの物件を探し始めた。

8月の終わり頃、鴨宮にピンとくる物件を見つけた。すぐに内見を申し込んだ。そのとき「ちょいと足を延ばして熊野まで行っちゃおうか」という良からぬ考えがふいに浮かんだ。ひとまず小田原で一泊し、後は流れに任せることにした。

迎えた内見当日。間取りも周辺環境も完璧で、僕は何の迷いもなく入居申し込みをした。順調にいけば10月からは晴れて小田原市民の仲間入り。それを想像したら遊戯王のカードパックを初めて買ったときぐらいにワクワクした。

意気揚々、不動産屋を出てみると絵に描いたような豪雨だった。ショーシャンクの空にのジャケットのような出で立ちで、その雨を受けようとする気概は残念ながら僕にはなかった。

雨宿りがてら一旦店に戻ると、そんなしょぼくれた僕を見かねたS氏が「小田原駅まで送りますよ」と申し出てくれた。お言葉に甘え、列車の外側に飛び乗るインド人のような軽快さでもって颯爽と車に乗り込んだ。

04

2022年8月30日(火)

チェックアウト後、ひとしきり小田原の街をぶら~りしてから、改札近くのみどりの窓口横の柱にもたれかかり、熊野に行くかどうか思案し始めた。この期に及んでなお僕は迷っていた。

ねえカムパネルラ、歳を取るほど臆病になるのはどうしてだろうね?これまで当たり前にできていたことたちが今じゃもう全部ギネス並みに感じられるんだよ。

思案を始めてから1時間、僕はついに観念して新幹線の改札方面へと歩き始めた。こだま715号に乗り込むと、不幸にも大学生だらけの車両を選んでしまったらしく、控えめに言ってサル山状態だった。

後ろの座席はゆるふわJD3人旅といった風で最初は何やらキャッキャウフフと熱く語り合っていたものの、そのうちすぐにお通夜になった。イギリスの天候でさえこう劇的には変わらないだろう。猫と女の子は永遠の謎。

16時過ぎ、ついにその時は訪れた。

ホームに煌めく「熊野市」の看板。その何の変哲もない看板を、あたかも野生のボルネオヤマネコを撮影するような緊張感でもってカメラに収めようとする一人の男がいた。中山靖王の末裔だと自称するその男は、母のために茶を手に入れようとこの辺境の地まではるばるやって来たという。字は玄徳。のちの蜀漢初代皇帝、その人である(?)

改札を抜けると、オレンジ色の街が出迎えてくれた。夕暮れのせいでも色眼鏡をかけていたせいでもない。それに実際はどんより灰色の曇り空で今すぐにでも雨が降ろうとしていた。

宿の予約はしていなかった。ひとまず第一候補のわがらん家へ向かうことにした。その道中、案の定雨が降り出してきた。しかも結構な勢いで。

うっかり通り過ぎてしまったが何とか到着。引き戸を開けようとしたら鍵がかかっていた。ノックをするも反応はなし。諦めて他の宿を当たろうかと踵を返したその刹那、がらりと扉が開いた。

05

扉の隙間からひょっこりと顔を覗かせたのは、ほんわかとした人の良さそうな同年代ぐらいの男性だった。

「あのー、予約してないんですけど、部屋空いてますかねえ?」とボビー・オロゴン風の出だしから恐る恐るしどろもどろに尋ねると「ええ、空いてますよ」とケロリンと一言。これがY氏との出会いだった。

その刹那、どこからともなくしまっちゃうおじさんが現れて、底知れぬ安らぎの中にひょいっと僕を放り込んだ。このとき僕は生まれて初めてしまわれちゃったことを嬉しく思った。

Y氏は「準備するのでちょっと待っていてください」と駆け足で2階へと消えていった。あたりを見回すと懐かしいものたちが一斉に目の中に飛び込んできた。

ノスタルジーとメランコリーが出会って3秒で合体したような感情に襲われて、僕は一人コダックのように頭を抱え込んだ。写真を撮るのも忘れ、走馬灯のように駆け巡る幾多の思い出たちにしばし浸った。

ここでもし再度しまっちゃうおじさんが現れて「今度はあの世にしまっちゃうからね」と言われても、一切動じることなく「はい喜んで」と庄屋スタイルで明朗快活に答えられる自信が僕にはあった。でも結局しまっちゃうおじさんは2度と僕の前には現れてくれなかった。いけずなこったね。

「準備できました」
代わって僕の前に現れたのはY氏だった。とにかく1秒でも早く思い出話に花を咲かせたかったが、彼は野暮用があるとのことで「すぐに戻ります」と言い残して出掛けていった。いけずなこったね。

もし戸を叩くタイミングが数分でも遅れていたら僕は今ここにいなかっただろう、と彼の背中を見て改めて思った。彼も後で同じようなことを僕に言った。人生とはまさに機運。

改めてあたりを見回した。あの頃夢中になって遊んだゲームソフトたちが、仲間になりたそうにこちらを見ていた。劇場版ドラゴンボールZ龍拳爆発のポスターを見つめていたところへY氏が戻ってきた。

座ることも忘れるほど夢中になって語り続けた。途中、腹が鳴って時計を見ると19時半になっていた。時間はいつだって天邪鬼。退屈な時は鉛のように動かないくせに。僕はまだ話していたくて「夕食一緒にどうですか?」と尋ねた。彼は「いいですよ」とまたもケロリンと一言。

宿に戻ってからも、とめどなく取り留めもなく、映画のカットが変わってゆくようなぶつ切り感で延々と語り続け、深夜2時ごろようやくお開きとなった。

06

翌朝、近くの浜辺を散歩した。ドラえもんをぶちまけたような空と海がどこまでも続いていた。雑念はどこにも見当たらなかった。クラゲ気分でぷかぷか彷徨っていたら隣町まで来ていた。彷徨うのは人生だけで十分さ、などと吐き捨ててパリコレ並みのUターンを決めた。

宿に戻ってきた瞬間、まるでヘルハーブ温泉に浸かったかのように僕はすっかりと腑抜けになってしまった。とにかくもう体が言うことを聞いてくれなかった。このままずっとここでぐうたらしていたいと思った。

1時間後、どうにか重い腰を上げて宿を出た。電車を乗り逃してしまい、結局新宮駅に着いたのは17時近く。気になっていたゲストハウスは見つけられず、おまけに雨まで降ってきた。

やっぱりあのままぐうたらしておくべきだったと強く後悔した。まさかぐうたらしなかったことを後悔する日が来るとは思わなかった。

この後もだらだらと旅は続き、そして9月4日になった。僕はまた実家5.5帖の現実に舞い戻ってきた。クジラのごとくがばっと口を開けて待っていた日常に、僕は成す術なく見事丸ごと飲み込まれていった。これまでの1週間がまるで嘘だったかのように。

でも以前のような閉塞感はなかった。10月からは晴れて一小田原市民。その確かな未来が僕を明るく照らしてくれていた。

07

小田原行きが現実味を帯び始めてきた頃、1つの小さな亀裂が僕の中に生じていることに気付いた。そいつは日増しに大きくなっていって、1週間あまりで僕の決意はそこから全て漏れ出してしまった。ちゃんとジップロックに入れておくべきだったと後悔してももう遅い。

亀裂の原因は要するに「熊野に住みたい」だった。それによって、小田原に引っ越すことは妥協なのではないかと思い始めるようになった。その状況下で僕にできることといえば、小田原の物件に断りを入れることぐらいのものだった。

断ることを決めた日にはY氏から偶然連絡があり、断りを入れた日にはH氏から偶然連絡があった。まるでトゥルーマン・ショーのように完璧なタイミング。僕はただただもう、ラストシーンのあのトゥルーマン同様、両手を広げ空を見つめながら不敵に笑うしかなかった。

熊野市運営のお試し移住施設に空きがあることも分かり、僕はまたすぐにでも家探しのため熊野へ行こうと思っていた。そうでなければ、この高まった熊野熱がどこかへ逃げて行ってしまう気がした。

でもそのときふいに、いつぞやの東海林のり子が僕にこんなことを囁きかけてきた。
「個撮スレンダー系JD中出しモノで抜くのもいいけどね、移住前に親知らずも抜いといた方がいいわよ」

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省略。

09

2022.12.25

親知らず抜歯後の経過はすこぶる良好で、この頃には煎餅なんかも臆せずパリポリできるようになっていた。これでようやくまた動き出せる。お腹の脂肪とは裏腹に、胸には希望が溢れていた。

熊野移住への想いはもちろんまだ消えてはいなかったが、それがもう風前の灯火になりつつあったのも事実だった。

読者諸豚。これこそが冒頭で「胸には希望が溢れていた」などと豪語していた者の真の姿である。言うまでもなく、骨の髄までビビり切っていた。現実味を帯びるにつれて「移住なんてそんな大それたこと、自分なんかにできっこない」という思いもより確かなものとなっていった。

いくらその地に移住したいと強く願っても、住む家がなければそれは叶わぬ恋で終わる。だから、このあと自分がやるべきこともよく分かっていた。それは家を探すこと。そんなことは灯火を見るより明らかだった。

幸い、時間だけはたっぷりとある。ならばいっそ現地に行って探そうと思った。そこで僕は思い切ってお試し移住施設に予約を入れることにした。ここまでは良かった。実行に移すまではいつだって完璧。それが僕という人間のすべて。

そこから僕は朝起きて「よし、今日こそは予約をするぞ」と決意して「よし、明日こそは予約をするぞ」と失意のうちに床に就く肥溜めのような日々を2週間ほど続けた。

とはいえ、まったく何もしなかったわけではない。11月末の時点で一応「来年1月から利用させていただきたく思っております」と軽くジャブは打っておいた。そのときH氏からは「オッケー牧場」という有難いお告げもいただいた。

それで僕もすっかり大船に乗ったつもりになった。その大船のデッキでラウンジチェアに寝そべりながらトロピカルハウスに酔いしれる僕を、あの嫉妬好きな神が放っておいてくれるはずもなかった。

あっけなく年が明けた。

正月気分も足早に過ぎ去り世間がまたいつもの閉塞感を取り戻す頃、僕は満を持して意気揚々とH氏に「例の件、来週からお願いできますでしょうか?」とメッセージを送った。するとこう返ってきた。
「さーせん、もう予約入っちゃいました」

大船は見事に大破した。

10

2023.01.10

公園のベンチに座りぼんやりと空を眺めていた。あの空全部が一気に降りてきて、この世界丸ごとぺっしゃんこにしてくれたらどんなに爽快で愉快だろうなどと思いながら。

希望を失った人間が次に願うこと。それは破滅、ただそれのみである。僕もまたその公理に従って、ちゃおちゅ~るに駆け寄る猫ほどの勢いでものの見事にダークサイドへと堕ちていった。

「いやいや、お試し移住施設の予約が埋まっていたぐらいで何をそんなに大げさな」と今あなたは思ったかもしれない。隣の芝生が青く見えるように、隣人の苦悩もまた小さく思えるものだ。だからその意見は完全に正しい。

行動力のない人間のハートは羽ありのように脆くか弱い。元々ない勇気をどうにかこうにか振り絞り、結果見事に撃沈したときそういう人間は大抵このようなことを考える。すなわち「慣れないことはするもんじゃない」「どうせこんなもんさ」「神なんていない」等々。

読者の中には「おやおや、自己弁護もそこまでにしておかないとポアですよ」とフリーザのような冷静さでもって穏やかに憤っている方もいらっしゃることだろう。もちろん喜び勇んでかつ甘んじて受け入れよう。

もっと早く行動していたらと後悔するのはこれでいったい何度目だろう。うさぎとかめの寓話で例えるならば、スタート前から眠り始めるかめのようなものだ。完璧に自分が悪い。自業自得。だからこそ余計にやり切れなかった。

ダメ元で一通のメールを送ってから早々に眠りについた。

「いいですよ」
Y氏からの返事はいつも通りケロリンとしたものだった。こうして僕は1月16日から1カ月間、わがらん家に宿泊させてもらえることとなった。当時の日記にはこう書かれてあった。

人とのつながりがすべてだ。筋金入りの人嫌いである自分が言うのだから間違いない。とにかく人は一人で生きられない。何かしら他人の世話になっている。試しに食卓を眺めてみるといい。全て誰かの手によって作られている。

ようやく人生が始まる、そんな予感に酔いしれながら来たるべき日をじっと待ちわびた。とはいえ、おっパブのショータイムの如く、瞬く間に日々は過ぎていった。

そして迎えた当日の朝。両親にしばしの別れを告げ、再び僕は聖地・ブッダガヤを目指す心持ちで熊野市駅を目指した。

11

2023.01.16

再び熊野市駅に降り立った僕を、懐かしい風景たちがツンと出迎えてくれた。わけもなく僕を魅了するこの街がどうにもいじらしい。でもだからこそ、僕はこの街に住みたいと思った。

入り口の前に立ち、軽く1度深呼吸をした。それから勢いよく引き戸を開けると、座椅子の背もたれからツンとはみ出たY氏の頭が僕を出迎えてくれた。「ただいま」と僕が言い「おかえり」と彼が言う。他愛のないそんなやり取りが妙に嬉しくて、自然と僕はその場に嬉ションを放っていた。

昼は喫茶店をふらりと巡り、夕方は海沿いを散歩して、夜はスーファミで遊び、夕食はY氏と食べ、その後は深夜まで延々と語り明かし、とやっているうちに気付けば2月になっていた。

家探しの方は全く進んでいなかった。H氏からはいくつか物件を紹介いただいたものの、どれもいまいちピンと来なかった。

正直なところ「こうやってゲストハウスに長期滞在しながら各地を転々とするのも悪くないかも」とも思い始めていた。自分にはそっちの方が合っている気さえした。すると呆れ笑いを浮かべた師が努めて優しく囁きかけてきた。

師「逃げたいだけっしょ?」
師「でも便利なもんだよね。そうやってもっともらしい理由をでっち上げておけば自分が傷つくこともないわけだしね。だけど君が本当に逃げたいのは、そういうズルい自分からではなかったかい?」

当時の日記にはこんなことが記されていた。

本音を言えば、本当に一人で暮らしていけるか不安になった。現地を訪れて日常に忍び込んでみて気付いたことは、場所が変わってもそれほど自分は変わらないということだった。

2023.1.26

快適な場所から抜け出そうと思っていたはずなのに、気付けばまたそういう場所を探し求めてしまっていた。

2023.1.30

閉塞感は都会にいるせいだと思っていた。あの無機質なコンクリートに囲まれた非人間的な暮らしがいけないんだと決め付けていた。ところがどっこい、自然に囲まれてみてもちっとも何にも変わらなかった。

2023.2.1

2月に入ってすぐ、H氏から夕食に誘われた。先輩移住者も一人同席するとのことだった。当日、僕はワクドキしながら肴屋・しんたくへと向かった。

席に着きしばしH氏と歓談していると「遅れてすみません」と背中の方で声がした。振り返ろうとしたその瞬間、僕の視界は深い闇で覆われた。次に気付いたときには教会の中、ではなく普通に肴屋・しんたくで、目の前にはいつかのドレッドの牧師(元)が座していた。

これがSさんとの出会いだった。彼はこれまでのハッピーシュガークマノライフを思う存分に語ってくれた。が、そのスケールのでかさに僕はただただ圧倒され完膚なきまでに打ちのめされてしまった。

1時間も経たないうちに僕は貝になった。頭の中では「今日の日はさようなら」が延々と流れ続けていた。

多くの人にとって、移住はあくまで手段の1つでしかない。でも僕にとってはそれこそが目的だった。だから移住後のことなんて微塵も考えていなかった。

引き続きウェブ制作の仕事をやりつつ、ちまちまと小説を書いて、散歩をして、アニメを見て、ボーっとする。そんな自己完結的な暮らしができればそれで良かった。

数日後、再びH氏から誘いを受けてSさんの家を訪ねることになった。理想的な暮らしがそこにはあった。自ら設置したという薪ストーブで暖を取りながら「あと100回転生しても彼のような人生にはたどり着けないだろう」なんてことを考えた。

12

帰りがけ、H氏がこんなことを言った。
H「そういえば最近同僚が引っ越したんですよ。前の家は借家だったらしいんですが、今もまだ空いているようです。良かったら明日見に行きま」
僕「逝きます」

そんなわけで急きょ最期の内見が決まった。その物件はこれ以上望めないほど完璧なものだった。神はまだ僕を見捨てていなかった。胸の前で十字を切り天を仰ぎ見ながら深く感謝した。それでは当時の日記を以下に引用しよう。

一目見て気に入った。もうここだと思った。でも即決できなかった。
ひとまず猶予をいただくことにした。とはいえその間に本当に決断できるんだろうか。この期に及んでビビるなんて本当に僕らしい。

2023.2.14

え?

H氏同様、あなたも思わずきっとそんな声を漏らしたに違いない。家が見つかったことはもちろん嬉しかった。そのためにここへやって来たのだから。でも僕の心の中は「やばい」でいっぱいだった。

呆れ笑いを浮かべた師が現れる前に白状する。僕は移住がしたかったのではなく、ただ目の前の現実から逃げ出したかっただけだった。

都会のあのきっちりとした感じがもうどうにも合わなかった。苦しみに悶えながらも誰にも吐露できなかった。こんな自分なんかのために時間を割いてもらうのは申し訳ない。いたって真面目にそんな卑屈なことを考えていた。

無論、相手を思いやってのことではない。そうやって耐え忍ぶ自分を眺めてただ自己憐憫に耽りたかっただけ。褒めて欲しい・認められたいという本当の欲求を内に隠したままに。

だからこそ吐露するわけにはいかなかった。それをしたって本当に欲しいものは手に入らないし、同情や共感をどれだけ集めたって金のカンヅメはもらえない。そのことがよく分かっていたから。

低すぎる自尊心と高すぎる理想像。そんな人間の末路が幸福であるはずがない。小難しい本ばかり読んで他人とあまり交流しないとこういうことになる。完全に自業自得。だから自分で何とかしようと思った。その結果、ますます人嫌いになった。

とはいえ我が道を行くほどの勇気もなく、相変わらず他人からの評価を欲していた。そんなわけで、都会が怖くなったので逃げますだなんて言えるわけもなく。だから僕は、

師「移住を隠れ蓑にしたんでしょ?こうすれば実際にはただ逃げ出しただけでも周りからは『すごい』と思ってもらえるもんね。君が思いつきそうなことだ。それで結局どうなった?」

今度は「移住」という目の前の現実から逃げ出したくなった。

僕は一体どうしたいのだろう。物件の外観をぼんやり眺めながらそう自問した。でももう何にも考えたくなかったし考えられなかった。

何より僕を憂鬱にさせたのは、こんなどうしようもないヘタレで哀れな自分とこれから先もずっと付き合っていかなきゃいけないというその事実だった。

この内見の2日後、僕はそっと熊野の地を後にした。

その2日後、僕は小田原駅にいた。最期の悪あがきをするために。でもあの物件以上にピンと来るものはついに見つけられなかった。

その5日後、僕は高円寺のYonchome Cafeにいた。向かいにはAが座っていた。熊野での日々や移住するか悩んでいることなどを話した。「都会が怖くなって」の部分は全編カットした。

僕は話しながら段々と「やっぱり熊野に住みたい」という純然たる欲求が芽生え始めていることに気付いた。

翌日の日記にはこう記されていた。

ようやく決心がついた。自分で勝手に大袈裟にしてしまっていただけだと後になっては思う。見事なまでの一人相撲。それぐらい自信がなかった。

不安は尽きないけどそれさえも楽しんでみようと思った。どんといこう。しくじったらどんまいけるということで。

2023.2.24

僕は意を決してH氏に連絡を入れた。

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