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「本」という言葉に感じる日本らしさと本の未来

「本」という字は、中国伝来の漢字のはずなのに、大和ことばのような、翻訳された和製漢語のような、どことなく日本っぽい印象を受ける言葉だなと思っていた。

というのも、日本語と中国語で使い方がだいぶ違うから。
日本語では「本」と「書物」はほぼ同義のように使われるけれど、現代中国語では書物はあくまで「書」であって、「本」という字は使わない。
中国語では「本を読む=看書」「勉強する=読書」。

「本物」「本当」「本音」といった単語も、中国語にはない。
中国語では「真貨」「真実」「真言」のように、「真」の字を使う。


「本」という字の由来を調べてみると、少し謎が解けた。

・「本」の字源は、木の根元につけられた印。樹木の根本。

・古代では文字は木簡や木などに書かれたことから、転じて「文字が書かれたもの」、「文字が書かれたものを数える単位」して使われるようになる。

現代中国語では「本子=ノート」。
「書物」の助数詞は「~冊」ではなくて「~本(1本書)」。助数詞としての「~本」はほぼ書物に対してのみ使われ、日本語のように「細長いもの」に対しては使わない。

もともとの字義は「書=文章・コンテンツ」「本=コンテンツが書かれた媒体」で、現代中国語にはその違いがそのまま残っているということのようだ。


・日本語では、ものごとのおおもと、根本という字義から転じて、手本、模範となるものという意味になり、そこから「書写の手本になるような書物」を「本」というようになった。

・日本に「本」の字が伝来した頃には既に「書」と併用されていた。

日本語で最初に「本」という字が登場する書物は、奈良時代の文献である『日本書紀』とされています。『日本書紀』には、神武天皇が即位した際に、大和国の河上豊(かわかみのゆたか)から「御正体(みしょうたい)の書を献上」という記述があり、この書物が「本」という字で記されています。このように、日本語で「本」という字が初めて登場したのは、7世紀のことでした。

ChatGPT


コンテンツという意味では「書」の字だけでも事足りたはずなのに、なぜ日本では「本」の字が「コンテンツ」の意味も持つようになったんだろう?
そして、どうしてgenuineの意では「真」よりも「本」を好んだんだろう?

勝手な想像だけれど、もともと「本質、おおもと」信仰のようなものがあって、「本」という新しい漢字が到来した時、「書=ものごとの本質が書かれたもの=本」と解釈して気に入ったとか?
あるいは単純に「書よりも本の方が画数が少なくて簡単なのがいい」「ショよりもホンの方が響きがやさしくて好き」と思ったとか?

「真」よりも「本」を好んだ理由はなんとなくわかる。
「真」の字は、「偽・贋」との対義として、どことなく二元論的な強さを感じるけれど、「本」はもっとふんわりしていて、対立関係を内包せず他者を受け入れてくれるようなやさしさを感じるから。自然(木)そのままの字感も気に入ったのかもしれない。

考えてみれば、国の名前につけちゃってるくらいだし、どんだけ「本」好きなんだ。


近年、ネットメディアの台頭で「本が売れない」「町の本屋さんが消えている」と言われる。

けれども、日本での本の歴史を紐解いてみると、紙媒体そのものの所有はあまり一般的ではなかった様子。
本を所有できたのは時の権力者くらいで、一般人にとってそれが可能になったのは、手頃な価格で大量に販売されるようになった恐らくここ100年くらいの話だろう。

経典も平安文学も書き写しに回し読み、江戸時代なら貸本屋。
コンテンツだけが消費される方式の方がずっと長い。

書物としての「本」という言葉に、「媒体」と「コンテンツ」の二つの意味が込められているなら、紙媒体としての「本」は滅んでも、「コンテンツ」としての「本」は残り続けると言えるだろうか。

紙好き人間としては寂しい話だけれど、「本」の本質に時代が立ち返ってきているような気もしてきた。


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