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愛なんか、知らない。 第8章③さよならの連続

 心が去って一週間後、井島さんが家を訪ねて来た。
 今後のことで、会って相談したいって言われて。

「心さん、千葉に行っちゃったんだ」
「そうなんです」
「じゃあ、葵さん、今はこの家に一人きり?」
「ハイ」
「そっか。こんなに広い家に一人じゃ、心細いでしょ」
「ええ、まあ」

 お茶を出すと、井島さんは「これ、よかったら食べて」と手土産の焼き菓子をくれた。さっそく、二人で食べることにする。
 オンラインじゃなく、リアルに戻したいってことかな。どうしよう。オンラインなら大丈夫だったけど。みんなのミニチュア、見ても平気でいられるかな。
 そんなことを考えていたら。

「その、圭君とのことは、ホントに大変だったと思う」
「あ……やっぱり、知ってたんですか?」
「うん、その、ネットで圭君が盗作したって騒がれてて、あの作品は、どう見ても葵さんの作品だし」
「ごめんなさい……教室もできなくなっちゃって」
「ううん、それはいいの。みんなで話し合って、葵さんを支えて行こうってことになって。だから、教室をオンラインで再開してほしいってお願いしたんだ」
「そうだったんですね」
 ああ。こうやって、心配してくれる人たちがいる。それだけで、ちょっとはツラい気持ちが薄れるよ。

「それで、葵さんが大変な状態の時に、こんなことを言うのはツラいんだけど」
 井島さんは目を伏せた。あ、なんか、ヤな予感。
「私、来月で教室をやめようって思ってるんだ」
 ひゅうって音が、口から洩れた。

「うちの実家は静岡にあるんだけど、父は何年か前に亡くなって、母が一人暮らししてるのね。で、母がこの間転んで骨折して入院しちゃって……退院したら一人暮らしさせるのは危なっかしいから、このタイミングで実家に帰ろうかって思って。仕事も辞めて……うちは田舎だから仕事が見つかるかどうか分からないけど、畑があるから、最悪自分たちが食べる分ぐらいなら何とかなるかもって思ってて」
「そう……ですか」

「それでね、私の他にも、そろそろ教室を卒業したいって人がいて」
 私は思わず目を閉じた。
「ごめんね……こんなことが重なっちゃって。ただ、全員辞めるってわけじゃなくて、美園っちとかりっちゃんとか、何人かはそのまま続けたいって。だから、5、6人ぐらいは残るかもしれない」
「……」
「葵さんも生活が大変になるかもしれないけど」
「あ、いえ、それは」

「で、残る人たちは、オンラインじゃなくて、教室を再開してほしいって言ってて」
「そうですよね……」
「今月か来月、最後にみんなで集まるのはどうかなって思って。続ける人は、その後も続けるってことで」
「ハイ、分かりました」
「ホント、ごめんね。みんなには、私がいなくなっても葵さんを支えてほしかったんだけど。みんなを引き留められなくて、ごめんなさい」
「いえ、そんな。オンラインで続けてもらえただけで、ホントに……。ちゃんと教えられなくてごめんなさい」

「ううん。葵さんは悪くないよ。悪いのは圭君」
「でも、プロなのに」
「プロだって、人間なんだから。トラブルに巻き込まれて、自分じゃどうしようもない時だってあるでしょ。そういう時は、遠慮なく周りの人を頼っていいと思う。私達だって、葵さんよりはるかに年上だから、少しは役に立てると思うよ」

 前、純子さんも、そんなこと言ってたな。
 どうやって頼ればいいのか分からないけど。
 そう言ってくれる人が近くにいてくれるだけで、私はずいぶん救われてる。

「ま、私はいなくなっちゃうから、偉そうなこと言えないんだけど。でも、何かあったら、電話くれてもいいし、メールでもいいし。それに、半年に一回ぐらいみんなでここに集まって、1日ワークショップで何かを作るのもアリかなって。私もまだ、ミニチュアを作りたいって気持ちはあるし。東京にも来たいし」
「ハイ、ありがとうございます。後、結局、グループ展をできなくて……」
「それはいいよ。今じゃなくても、いつかみんなでやろうって話になるかもしれないし」
「そうですね」

 今後のことを話していると、ふいに井島さんは「葵さん、よかったら、うちの実家に来ない?」と言った。
「え?」
「急にこんなこと言って、何なんだって感じかもしれないけど。ずっと住むって話じゃなくて、気分転換にしばらくうちの実家に来ない? 田舎の家だから、古いけど結構広くて、空いてる部屋がたくさんあるんだ」
「そうですか……」
「心さんもいなくなったら、一人でここにいるのは寂しいんじゃないかなって思って」
「そうなんですけど……今すぐには、ちょっと」

「うん、すぐには決められないと思うから、ゆっくり考えて。私が実家に帰るのは来月だから、それまでに考えてくれればいいから」
「ハイ」
 私は深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます。いろいろ、心配してくれて」
「いやいや、葵さんにはホント、いろんなことを教えてもらったから。私が作ってるミニチュア、うちの実家だって言ったでしょ?」
「ハイ」

「ホントは、実家は大嫌いで、帰るたびに親とケンカしてたから、いい想い出なんて何もないんだけどね。それでも、あの家を作ってるうちに、『子供のころは家の中でかくれんぼしたっけ。お母さんがオニになってくれたこともあったな』とか、『お父さんに鉄棒を教えてもらったな』とか、いろいろと思い出してきて。親への気持ちが、ちょっと変わったっていうのかな」
「そうですか」

「葵さん、そういうの向いてるかも」
「え?」
「私、何回も居残りして、葵さんと一対一で話しながら作ったことあったじゃない? あの時間が心地よかったんだよね。いろんなグチをこぼしちゃったけど、イヤな顔しないでちゃんと話を聞いてくれたし。みんなでワイワイと作る教室もいいけど、一対一で悩みを話しながらミニチュアを作る時間も尊かった」
「そんな、私、たいしたことしてないですよ」

「そんなことないよ。葵さんはどんな話でも受け止めてくれるから、話しやすいんだよね。だから、一日一組限定の悩みを相談できるミニチュアハウス教室とか、いいかもね」
「悩みを相談……」
「その代わり、料金は高めにして。そういうのも面白そうかなって」
「はあ」
「ま、よかったら、参考にして」

 外に出て見送ると、井島さんは何度も振り返りながら手を振って去っていった。
 これで、井島さんもいなくなる。
 みんなみんな、私の周りから、いなくなる。いなくなる。

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