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宮本常一 『女の民俗誌』 岩波現代文庫

やっぱり宮本常一はおもしろい。丹念に人に会い、信頼関係を築いて相手の経験とその先にあるものを聞き出して記録してゆく。字面としては個人のなんでもない経験なのだが、そこにその人の生きた社会や時代の習俗が反映されており、それらを集めて俯瞰することで人というものの何事かが見え隠れするようになる。なかなか容易なことではない。そもそもそんなことで暮らしが立つとは思えないし、それで生きていこうとは誰も思わないのではないか。しかし宮本は久しく在野の民俗研究者として暮らし、57歳で大学に職を得たが

教授時代、「おい、月給というのは怖いぜ。ありゃ寝とっても入る金じゃからな。人を堕落させるぜ」とよく言っていたという。

平凡社 Standard Booksシリーズ『宮本常一 伝書鳩のように』220頁

私なんぞは社会人としては賃労働でしか生きたことがないので堕落の極みにあるということになる。ま、確かに、その通りではある。以前、企業再生の仕事に携わったことがあった。破綻した企業に投資をして、事業資源として活用できそうなものを種にして企業として何とかサマになるようにしてから、その投資先企業を売却して差益を得るのである。そういう投資先に乗り込んで支援者面してナニするわけだが、いわゆるさむらい稼業ならまだしも、何の専門性もなしに経験したことのない事業を営む会社に乗り込んで、自分にできることなど何もなかった。己の無能無力を嫌というほど思い知らされた。だからといって改心して何事か努力するようなことなどせず、ただ漫然と現在に至るまで8回転職したが、単に所属企業が変わっただけで何が変わったわけでもない。60年以上も生きて、ただ堕落しただけなのである。

それで本書だが、表題の通り社会における女性というものの話だ。民俗誌なので、今世間で喧しく言われているような「女性の活躍」の類とは違う。ナマの生活のなかで、性差や女性がどのように扱われ、それがどのように変遷したか、についての示唆的な見聞がまとめられている。

最近はあまり使われなくなったが主婦を指して「おかみさん」という言葉がある。今でも飲食店や宿泊施設の経営者や現場監督者を「女将おかみ」と呼ぶことがあるが、「かみ」が「神」に通じるものであることはなんとなく想像できる。また、古い俗称では主婦を「山神やまのかみ」と呼ぶこともある。今の世間で問題とされている或る種の差別の対象としての「女性」と違って、この国では古来女性はエライものだった。今でも女性がしっかりしている家庭や家業は比較的安泰なところが多いのではないか。

家庭や家業というのは社会の構成単位でもある。その家庭において、殊に生命維持に関わる食事を司るのが多くの場合女性であることは何事かを示唆している。家事というと、無報酬で経済的価値を生まない、なるべくなら避けたい労働と捉えられている風を感じる。実際、身の回りの家電製品は家事の代行や効率化を目指して開発されたものばかりである。しかし、家庭やそこでの家事は家庭内の人々の健康や生命を左右する一大事であったはずだ。今は栄養や保健衛生、ちょっとした医学について広く様々な知見が共有されているが、古来からそうであったはずはない。やはり、生活の実際を通じての経験として家事を仕切る立場の者が今とは比べものにならない重責を担ったと考えるべきであろう。そのかつての家事を司る一家の主婦に人々が神業的なものを見たとしても不思議はない気がする。

「おかみ」については本書でも信仰との関わりを指摘している。

もう一つ家の大切なる仕事であった食物の調理の今日まで女性の手に委ねられて来ていることも女性信仰には関係がある。神にそなうべき食物の調理の女の手によってなされたことはすでに柳田先生のしばしばとかれたことで酒は女性の口によって米をかみくだき唾液とともにこれを酒桶にはき発酵させて酒をつくる。主婦をオカミというのはここから来たかと柳田先生はいわれ、家の老女を刀自とじといい、酒造りをも杜氏とじというのはともに一つの語りであろうともいっておられるが、酒の管理は女の仕事で酒盛りの席に女はまた重要な役目を持った。巫女の遊女をかねた理由も恐らくはこのあたりにあったのではあるまいか。

21頁「女性と信仰」

家事の調理からサプライチェーンを遡ってみれば、農作業においても女性が主体になっていたものがいくらもある。例えば米作の起点とも言える田植えはもとは神事であり、それを担ったのが「さおとめ」と呼ばれる女性たちだった。種を蒔き、あるいは苗を植えて、それが育つと食べることのできるものがたわわに実るというのは科学が未発達であった時代にはやはり神業と見られていただろう。海の仕事でも、素潜りで貝や昆布を採るのは「海女・海士・海人(あま)」と呼ばれる女性が主に担った。農業での収穫や漁業での水揚げと自分たちの実生活との橋渡しを担うのが女性であったのは何故なのか。同時に、それが今日のようなことになっているのは何故なのか、とも素朴に思う。

血縁因の神の祭祀に女性が選ばれる前に地縁因の祭祀が女によってなされたのではあるまいか。地縁因の神はすなわち海の彼方から来り、また山の上に降臨する神であった。これはその土地土地を守るための来臨で用がなくなればまたはるかな彼方へかえりいかれたのであるが、そうした神の姿が多くの場合女性であったことは研究に値することであり、また祭祀者の女性なりしと結びつけて考えられると思うのである。例えば富士の祭神が木花開耶姫このはなのさくやひめであり、白山の祭神が白山比咩命しらやまひめのみことであり、いまは山上の神ではなくなっているが、大和山上岳の麓、天ノ川の弁才天社などももとは山上岳の神体であったのではないかと思う。女人禁制である高野の守護神が美しい丹生都比売命にゅうつひめのみことであることも考えてみなければならぬ。

7頁「女性と信仰」

古い時代の書物を読むと、人というものはそれほど変化していないといつも思う。だからこそ古典とされるものが数多くの版を重ねながら今なお手軽に読むことができるのであろう。よく遺跡から出土した文字記録を解読してみたら「近ごろの若い者は、、、」とその時代の世相批判のようなことが書かれていた、という話を耳にする。その時々の限界的な変化もまた、昔も今も変わらないものであるようだ。本書に以下の記述がある。

 近ごろ逢う人たちはどこかセカセカとしておちつきがないのです。
 自給が中心であった昔の生活は一から十まで自分たちで生活品をつくり出さねばならなかったので、忙しいことはたしかでした。仕事は今日よりも多かったのです。麻をつくり、その茎をむし、皮をはいで川にさらし、糸をつむいで、染め、機で織るというような作業だけでもたいへんなことです。稲をつくり、籾をとり、それを各家ですって米にし、さらに臼でついて白米にし、飯にたくまで、曾ては動力の利用はなかったのです。そして家庭内の作業になると、そのすべては女が負担したのです。それらを上手に処理してゆくのが立派な主婦だったのですが、そうした仕事に追いまくられながらも昔の人たちはどことなくのどかであり、かつ明るさがあったと思います。けっして昔の生活がいまよりゆたかであったというのではありませんが、どこかのどかなものがありました。それは何故だったでしょうか。それにはそのなかに二つの重要な生活を明るくする要素を持っていました。一つは時間にとらわれないこと、いま一つは労作業のなかに歌を持っていたことだと思うのです。

223頁「女の寿命」

この前段に宮本はそれ以前はそれぞれの地域の暮らしをよく知る老人に取材していたが、そういう人々が亡くなってしまい取材源が乏しくなったと書いている。「近ごろ逢う人たちはどこかセカセカとしておちつきがない」と感じるのは昭和28年の宮本だけではなく、現代の我々も同じではないか。次の文章は時代が下って昭和56年に書かれたものだが、ここまで来れば「現代」の内だ。

 新聞も雑誌もテレビもラジオもすべて事件を逢うている。事件だけが話題になる。そしてそこにあらわれたものが世相だと思っているが、実は新聞記事やテレビのニュースにならないところに本当の生活があり、文化があるのではないだろうか。その平凡だが英知にみちた生活のたて方がもっと掘りおこされて良いように思う。当節はすべてに演出が多く、芝居がかっていすぎる。

229頁「文化の基礎としての平常なるもの」

いわゆる進歩とか発展とか、人は暗黙のうちに明るい未来を思い描くものであるようだが、皮膚感覚というかナマの感覚として人がその時々の世間に対して抱く感情というのは時代が変わっても然程変わらない気がする。同時に異なる時代を生きることはできないのであくまで空想でしかないのだが、時間の経過とともに未知が既知になるという変化の蓄積は当然にあるものの、生き物としてのナマの感覚というものはそうした知識の変化ほどには変わらないのではないか。個別具体的な職業や慣習を見れば、確かに性差の影響はあるだろう。しかし、そうした表層ではなしに、生き物としての自他の別においては性差は一つの要素でしかなく、もっと他に見るべきものがありそうな気がする。

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