見出し画像

宮本常一 『民間暦』 講談社学術文庫

本書は1985年12月に初版が発行されたが、本書に収載されている論文は戦前に書き記されたものが中心である。宮本の著作はフィールドワークが基礎になっており、日本の津々浦々で宮本自身が採集した話をまとめている。

以前に山梨の農家から野菜の定期便を買っているという話を書いた。いわゆる有機農法で、自然の周期や耕作に伴う地力の変化に合わせて野菜や米を作っている。農家自身が自給自足を目指しているので、様々な種類のものを作っている。販売にはいくつかの選択肢があるのだが、我が家は1週間おきの配送を選択している。昨年の最終便が12月第2週に届いた。今年は6月第1週に最初の便が届いた。約半年の間は販売に足る収穫がないということだ。おそらく、農業に縁の無い人の中には「定期便」と称しているのに1年の半分「しか」届かないのか、と思う人がいるだろう。私は学生時代に畑仕事をするサークルに属し、現在の家人には米作を営む親戚もいるというのに、昨年12月に「今回が年内最終です」という野菜に添えられた近況報告兼請求書に「次回は来年5月頃」とあるのを見たときに「えっ」と思った。しかし、「えっ」と思う方がどうかしている。農作物は「ポチッ」とはできないのである。スーパーなどの小売店では一年中豊富に生鮮食品が並んでいる。それはどういう事情で可能なのかと考えると、少し恐ろしかったりする。つまり、農業とか食糧の生産という視点では、時間の流れは均質均等ではない。作物の生育に応じた「暦」があるはずだ。

暦はなぜ必要なのか。時間に秩序を与えるため、とでも言えばよいのだろうか。今は世界共通の暦があって、たぶん誰もが何の疑いもなく使っている。当然の前提として共通でないといけない。それぞれが勝手な暦を使ったら交渉事ができない。人と人との交渉が成り立たないといことは生活ができないということでもある。少し前にコンピュータの「2000年問題」というものがあったが、暦がバラバラだと特定の年限の問題ではなく「毎日問題」になってしまう。しかし、少し時代を遡れば、地域ごと、職業ごと、その他の集団ごとの暦があった。

やはり、基本になるのは生命を支える食糧の生産や確保に絡むものだろう。農耕なら農作物の生育に合わせた、漁撈狩猟なら獲物の行動に合わせた時間の秩序がある。人間の暮らしはそういうものに合わせて営まれていたはずだ。春になれば花が咲き、夏になれば実を結び、秋になれば実が熟れて、冬は静かに次の春に備える、というようなざっくりとした周期があり、またそういう周期に合わせた種々雑多な生命の営みがあり、そうした大きな流れの中に人間の暮らしもある。その周期に目盛を振ったのが「暦」なのだろう。

当然、周期には振れもあれば、突発的な変化もある。今よりも「科学」が未発達な時代においては、そうした予想外のことは「神」の仕業ということにしてブラックボックスとしないことには「秩序」の説明がつかない。ブラックボックス、つまりそこにいる誰にもわからないことについては、そこにいるみんなの共同責任で決め打ちして前に進まないことには生活が成り立たない。そこに村落共同体の季節の節目の行事が生まれる。節句の祭りは「祀り」、本来は神意を問う行事で、「お祭り騒ぎ」というような単なる羽目外しではなかった。

日本の四季は、二十四節気に細分化され、そこに雑節と呼ばれる補助的な節目が入る。また二十四節気を各3つずつに細分化した七十二候と呼ばれるものもある。今は二十四節気も国立天文台が太陽黄経に基づいて算出した日時を公表しているが、もとは人々が天体や身近な自然の変化を観察して推計していたものだろう。

今、地球の周りをいくつもの気象衛星がぐるぐる回り、地球上にはいくつもの気象観測施設があり、日進月歩で高性能化著しい電子計算機がフル回転して観測データの解析を行う、という具合に人類の叡智を総動員するような体制で天気予報をこしらえているが、それでも直前になって後出しジャンケンのように予報が頻繁に修正される。ましてや、大昔ならば「神」に登場していただかないことには先々の天候や農作物の生育の予想など語ることができなかっただろう。

今、「花見」といえば桜を愛でることで、その桜はソメイヨシノであることが多い。ソメイヨシノは江戸時代に江戸府外の染井地区に集住していた植木職人たちが接木で生み出した品種であることはよく知られている。いわゆるクローンなので、花は咲いても実はならず、接木でしか増殖できない。生物としてはなんとも不気味なものなのだが、それを我々は「サクラはいいねぇ」と愛でるのである。その花見はかつては文字通り「花」の咲き具合からその年の農作物の出来不出来を「予見」する行事だったという。仏教の灌仏会も同じような時期なので、ひょっとしたら何か関連があるのかもしれないが、仏教が農村に浸透する時期は日本の集落形成よりもずっと後のことなので、初めらから関連していたはずはないだろう。ただ、だいぶ古い時期から枝垂れ桜は神降臨の木のひとつとされており、霊地に植えられることが多かったようなので、神意を問うことと桜の花見は何か関係があったのだろう。その民族としての記憶が現在の花見に通じているのかもしれない。たとえ、その花がクローンであるとしても。

今月は京都の祇園祭だ。かつては旧暦6月に行われていた宮座の神事だ。宮座というのはその土地の神社を中心にした集落の単位で、宮座の行事を司るのは構成員の間で選ばれた者であった。神社といっても神職が定められて専門職となったのは近世以降のことらしい。神社は宮座の村民全員の共同責任で管理されていたのである。その際、年齢がものを言うことが多かったようで、やはり経験は尊ばれた一方、若者は実際に労働の中核を担う点で大きな発言力を持っていた。「お祭り騒ぎ」というと今は語感として単に賑やかさが強調されているように思うのだが、宮座というものが機能していた時代には、参加するひとりひとりが当事者意識と緊張感を持った真剣な行事だった。このことは、それだけ宮座というものの共同体としての一体感が強かったということでもあり、それだけ排他的でもあったということを示唆している。「他所者」という言葉が今でもあるが、これは宮座の構成員に対する非構成員を指したもので、その宮座の行事への参加資格がないという意味であった。

しかし、時代が下って人々の往来が活発化し、村落共同体での他所者の割合が大きくなると他所者抜きでの村落経営が困難になる。かといって他所者という扱いを止めると、村落の共同意識が希薄にならざるを得ない。現実に、明治になって「村落共有」という所有権のあり方が認められなくなり、それまでの共有物が構成員個人の所有に分割されると、つまり、個人所有が原則となると、共同体意識そのものが急速に希薄化することになる。文明開花で人々の科学技術の知識が高まるとともに、神仏への信仰は薄れざるを得ない。それまで村落構成員の間で選出していた神職が専業となって職業となり、予言・卜事であった節句の行事は単なる祭りになる。「神」は信任を失い、人々にとっては他人事になる。神事が他人事になるということは、それを維持するにはエンターテインメントである必要が生じる。神事でガチに占いをしていたのでは、占いに来た人の気分を害することにもなりかねないので、神事は寿ぎ専門になる。ここで注目すべきは、食うためには人の気分を害してはいけない、という現実だ。「予言」はあくまで「祝言」でなければ神職が職業として維持できないのである。

今、暦は万国共通のグレゴリオ暦だ。万国共通でなければ現代の生活は維持できない。それは、人間の暮らしが国境を超えてつながり合っているということかもしれないし、自分個人のことにしか関心がないので、暦は暦専門家にお任せ、ということなのかもしれない。

「専門家」にお任せ、というのは暦だけのことではない。物事が細分化されて「専門家」とか「プロ」とやらに任せることばかりになった。それは要するに生活のあれこれを他人任せにして、自分は己の目先のささやかな利害にのみ専心できるようになったということだろう。誰もが幸せになってけっこうなことだ。

読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。