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宮本常一 『庶民の発見』 講談社学術文庫

「民主主義」というものが錦の御旗のようになっていて、絶対的な善であると考えられているようである。先日、著名な政治家が暗殺された折にもメディアに流れた記事の中にこの言葉が頻繁に使われていた。事件から1週間近く経った時期にたまたま学生時代のゼミの仲間二人と私の3人で代々木の飲み屋でビールのジョッキを傾けながら話していた。その中で、あの事件は政治に象徴される世の中のカネの濁流の中で身包みを剥がされてしまった階層の逆襲であって、個人の話ではないよね、というような会話があった。そこでの「カネ」はいわゆる金銭だけを指すのではなく、金銭が象徴する諸々だ。少なくとも私はそのつもりで「カネ」というものを捉えていたし、それで会話をしていて話は通じている感じだった。

それで、事件についてのメディアの記事を読んだ時の違和感の筆頭は「民主主義」という言葉なのである。「主」となる「民」って何だろう?例えば学校教育の歴史で語られるのは社会の系譜であり、それは権力の系譜で代替されている、と私は思っている。各時代において圧倒的大多数を占めるフツーの人々こと、民俗に焦点が当てられることはまずない。信頼に足る史料がないので語りようがないということもあるだろうが、おそらくオカミの側からすれば語るに値しないということなのだろう。

今我々は「国家」という権力機構の中で生きている。国家に法規はあるが、現実の生活の秩序を律しているのは「社会通念」などと呼ばれる空気に毛の生えたようなものだ。組成を科学的に表記することはできるが、はっきりと意識することはできず、かといってそれなしに生きることはできない「空気」のようなもの。「国民」とか「人民」とか「民主的、民主主義」というときの「民」を律しているのはそういうものだ。もちろん、特定の信条をはっきりと意識して生きている人は大勢いるだろうが、それにしても社会の「空気」の中のことである。

おそらく圧倒的大多数の人々はその空気の中でその時々の権力や権威を感じながら暮らしている。どのように認識しているかは各人各様なのだが、その多様性にしても「空気」の圏内に収まる程度のものでないといけない。大気圏からはみ出すと社会的に窒息する。

このところその圏内圏外を意識させる出来事が続いている。感染症の世界的な流行を巡るドタバタであるとか、地政学上の大きな異変であるとか、今回の権力者の暗殺であるとか。幸か不幸か、今は世界中の人々が個人の意思見解を世界に向けて発信することができる社会だ。しかし、おそらく空気は意思表示の道具だけでは変わらないだろう。意思表示だけでは食べることはできない。

食べるためには、食べるものを生産しないといけない。食べるものを得るには漁猟採取や強奪という手はあるが、継続的に食糧を確保するには手ずから生産することが最も確実な方法だ。勢い、人々の暮らしは食糧生産を軸に組み立てられることになる。人一人の食い扶持を個人で生産することは至難だ。今日蒔いた種が今日実って収穫できるわけではないし、蒔いた種が勝手に収穫できる状態になるわけでもない。主食となるようなものは米であれ麦であれかなりの労働を投下しないと暮らしを支えるほどの収量にはならない。当然、集団で事に当たる。その集団には生産を軸に秩序が生まれる。そういう基本は圧倒的大多数が直接的な生産活動から遠く離れて断片化してしまった現代の社会秩序を考える上でも忘れてはいけないことだと思う。

農業が産業の中心であった時代、ある地域、共同体の生活はその土地の生産力によって規定される。つまり、人口は耕地の面積や生産力とバランスしていなければならない。しかも、自然の変動というものがあり、毎年一定の収穫があるわけではないので、共同体にはある程度の余裕がないといけない。その余裕も含めてのバランスが必要だ。明治になって統計調査が行われるようになる以前の人口史料は宗門人別改帳だが、これは江戸時代の寺請制度で整備されたもので、それ以前の人口推定は考古学の領域になってしまう。従って、「バランス」と言ったところで、それを計数として確認する術はないのだが、民俗上の現象としては間引きや出稼ぎにまつわる伝承で垣間見ることになる。

宮本の書いたものは聞き書きを元にしているので、そこで語られている時代がわからない。ある古老の話は江戸の昔に端を発するものであるが、同じ章の別の話は明治以降のことであったりする。本書をはじめとする民俗関連のものを読んで考えるところでは、明治に入りそれ以前に成立していた共同体が崩壊して個人所有の原理原則が導入されたことと、役人、軍人、商工従事者というような食糧に関する非従事者の割合が大きくなったあたりが時代の流れの大きな転換点になっているように見える。

明治維新は江戸幕藩体制の制度疲労と欧米列強の海外進出圧力に対する反応だったのだろうが、肝心の経済体制が確立できないままに今日に至っている観がある。鎖国体制と米本位制の中で、土地の生産力に見合う人々の暮らしというのは単純明快で、それが故に世界史に類を見ない江戸の長期に亘る泰平の世が実現したのだろう。泰平であるが為に非生産人口の増加と余剰生産物の流通に纏わる富の偏在が限界を超えて維新という社会変動をもたらした。しかし、欧米列強に倣う国家建設の為に非生産人口の拡大が加速し、維新に至る経済の破綻が解消しないどころか却って酷くなったのではないか。西南戦争はその矛盾の象徴で、それを機にインフレが昂進し、共同体の崩壊で頼るものを失った一般大衆の窮民対策が矢継ぎ早に打ち出されることになる。

ざっくりと言えば、「殖産興業」の名の下に新興の鉱工業が雇用をもたらすと同時に、北海道開拓とハワイへの移民が余剰人口を吸収する形になった。さらに、移民先はハワイから米州へ、さらには中国大陸へと拡大する。戦争を経て移民の中身や渡航先に多少の変化はあったものの、国家事業としての海外移民は1970年代まで続くのである。

また、西南戦争以前に「富国強兵」として徴兵制による雇用創出があるが、「雇用」として成り立つには、つまり、軍隊が付加価値を生むには、戦勝によって対戦相手から賠償や領土を獲得しなければならない。もちろん、軍事は社会維持の固定費であって、社会全体の付加価値の中で負担すべきものなので、個別直接的な付加価値生産を要請すべきものではないとの考え方もある。おそらく「GDPの◯%」という軍事費の枠の設け方にはそうしたものがあるのだろう。しかし、資本の原理からすれば、投下したものに対するリターンは当然期待されるものだろう。

いわゆる社会の「高度化」で、人の暮らしが単に食べることだけから離れて細分化専門化されてさまざまに広がった。時間を巻き戻すことはできないし、知ってしまったことを知らないことにはできないし、経験したことを無かったことにはできない。宮本が集めた民俗資料やそこから考察から人の姿を考えることができるが、それは過去においてそうであったかもしれないことであって「あるべき」姿というのではない。民俗を顧みれば、そこで志向されているのは個人の暮らしよりも共同体の存続だ。しかし、現在の姿は共同体としての価値創出や経済の循環がブラックボックス化する一方で個人の福利厚生が声高に要求されるというものだ。何が「自然」な姿なのかわからないが、人間の暮らしの中で培われてきた価値観や倫理観が説得力を持ちにくい社会になっているのは確かなことのように思える。かつての民俗の中に見出された「庶民」は、たぶん、今の時代にはどこにもいない。

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