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ハマった沼を語らせて 第1119話・2.27

「あれ、もしかして?」私はその時ようやく気付いた。この資産家の後継者は何を考えているのかと。

 私は、大学生で最近交際を始めた彼がいる。彼は資産家の息子であったが、別に私は彼の家にある金に目がくらんだわけではない。向こうから交際を迫られた。私は迷ったが、とても悪い人間とは思えないし、そこまで私のことをよく思ってもらえるのはうれしかったから交際を開始する。

 こうして私は初めて彼の家に遊びに行く。資産家とは聞いていたがやはり驚いた。本当に世の中にはとんでもない金持ちがいるものだと。いきなり家の敷地の広さに圧倒された。
「僕の家は、古い名家だからやたら広いけど、本当に古いんだ」と、彼は私を自分の家を案内する。家は新しく作られた鉄筋の建物と、築100年を超えた古民家と言ってよさそうな木造の建物が共存していた。だけど私が驚いたのは敷地に広がっている庭だ。

「これ、非公開って!」思わず声に出た私は庭園を見るのが好きで、将来庭園に関する仕事に就きたいほど。これまで日本の三大名園とか海外の庭園とかいろいろ見ている。だからそんなことを思ったのだろう。とにかく敷地が広くてしっかり手入れされた庭なのに、非公開とはもったいない。
 だけど私が声を出したことで、彼は私を少し軽蔑のようなまなざしを向けて笑った。「ハッハハ!こんな庭公開してもさ、全然だよ。僕はずっと見ていたし、もう飽きたよ」などと言っているが、私にとっては興味深い庭である。

「でも、住んでいる人は飽きたかもしれないけど、私、初めて見るし」といえば、「そうだね。よし、案内してあげるよ」と私をエスコートしながら庭園を歩く。
「この庭園は」と彼が語るのを私はじっくりと耳を傾ける。代々続く名家が所有する庭園は、江戸時代にはできたものだという。さらに歴史上で名前を聞いたことがあるような人物が作庭したというのだ。
「へえ、すごいわ!」と私は感想を言いつつも、細かい庭のつくりとかそういうものに興味があり、ついついスマホで庭を風景を片っ端から撮影をしてしまった。

 こうして庭を歩いていくうちに、私はあるところで分かれ道になっている細い道を見つける。「ねえ、向こうにいていい」と私が尋ねる。するとそれまでと違い、このとき彼の表情がいまいちだ。「そっちに行きたいの?」「うん、気になる」と言いながら私が甘えた表情で彼を見た。
それを見た彼は「わ、わかった、行こう」と言ってくれたがそれまでと違ってどうも歯切れが悪い。私は少しだけ気になったが、それ以上に、この非公開の庭であるやはり隅々まで見ておきたかった。

「あ、何、あれ、池?」細い道を見るとその奥に大きな池のようなものがあるが、どうもほかのところと違って、そこだけ落ち葉が多く落ちていて整備されていない。「池というより沼かな」と彼が一言。「沼、へえ、そんなのがあるんだ」と私が言うと、「ここはずっと放置しているからな」としか言わない。

 先ほどからずっと表情がさえない彼、そんなのを見ていると、この沼に何か秘密があるのではと気になって仕方がないのだ。
「もっと近づいていい」と私がいうと、「あまり近づかないで!」と彼が心配そう。だけど私は好奇心が旺盛、ついつい沼のすぐ近くまで近づこうとする。

「あ、」私はつい油断したようだ。足が泥のような深みに入った。「大丈夫!」彼が血相を変える。
「う、うん」だが私の足はさらに深みにはまってしまう。「ちょっと待って」彼は慌てて私を抱きかかえる。「なに、ああ」私は焦った。どんどん体が沼に引き込まれる。まるで底なし沼のようだ。
 だけど彼が、必死で私を抱きかかえてくれたから、膝くらいまで使ったところで、どうにか深みから出たれた。私が咄嗟に、あおむけになったのもよかったようだ。
「あ、ごめん。ありがとう」私は礼を言うと。「ここはだから近づいてほしくなかったんだ。ここ底なし沼だから」
「え、本当に!」私はとんでもないところにきてしまったと、いまさらながら後悔する。

「きっちり測ったことがないが、どうも深さが3メートルくらいあるらしい。だから人がハマると本当に危ないんだ」と、彼が説明する。さすがに過去にこの沼に嵌まり込んで出てこない人がいることはないようだが、私が沼にハマったことで彼の表情は硬いまま。
「なんでこのままに?」私が聞くと、「うーん、昔からあるし」と、彼は半ばうなり声をあげるだけ。だがやがて、「やっぱり、ここはつぶそう」と、彼はこの沼の泥を全部かき出すことを決めたようだ。
「とりあえず部屋に戻ろう、着替えもあるよ」仰向けになったこともあり、全身が泥だらけになっている私を見て彼はそういうと、私を部屋に案内した。

 そのあと彼から聞いた話ではあの沼は、泥が掘り出されて整備される。だけど、私は底なし沼にハマった貴重な経験を得た。
 だから私はことあるたび位に、沼の存在のことと、沼にハマッたという事実を語らるようになるのだ。

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