見出し画像

新生活をたのしく 第1156話・5.1

「何も変わっていない」いったん目をつぶって目を開けた。当たり前だけど何も変わっていない。だけど思わずつぶやいた。ただひとつ変わったことといえば、今日から5月を迎えたことくらいだ。

 新生活が始まってちょうど1ヶ月が経過した。男はそれまでの生活を捨てることを決意し、今の生活をスタートさせている。3月以前の生活は決して不満はなかった。だがなんだろう。今置かれている状況は、本来の自分ではない気がしていたのだ。
「何かが違う、でも、いったい何が違うんだ?」男は事あることにそのことに悩んだ。そんなある日、ちょうど梅の花が見ごろだった2月下旬に、見つけた一枚のチラシが、男の生活を変えるきっかけになった。

「新生活を楽しんでみませんか」という言葉で始まったそのチラシには、それまでの生活を思いっ切って捨てることの素晴らしさが、延々とつづられている。「出家のようなものか?まさか宗教??」男は当初そのあたりを疑った。とはいえ気になったので、たまたまQRコードがチラシについていたのを見つけると、さらに詳しい情報を見る。その情報を見たときに、男は決断した。
「面白い、一度きりの人生だ。人生をやり直す意味で新し生活を送ろう」と。

 男の両親はすでになく、かつ独身である。だから失うものは何もなかった。男はこのチラシの主に申し込むと、それまでの一切のものを捨てるように告げられる。そして3月の1か月間をかけて男はすべてを捨てた。住んでいた賃貸マンションの解約から家財道具の一切を処分する。

3月31日の夜。男は着ているもの以外すべてを捨てていた。そして指定された場所に向かう。

 指定され建物の中に入ると、中世のヨーロッパを思わせるような洋館のような内装になっていて、詳しくなくてもアンティークに価値を感じるような重厚なものである。だが壁に掲げられている絵だけが違う、なぜか江戸風の和室のような絵がかけられていだのだ。
 だがそんなことはどうでもよかった。問題は周りを見ても誰もいないこと。
「おかしいなあ?」男は首をひねる。約束ではこの部屋に来てから新しい生活のスタートが始まると聞いていた。だがそれを案内する人がいそうなのものなのに誰もいない。

「え?なんで、詐欺??」男は疑ったが、その直後に部屋のどこからか声が聞こえた。
「ようこそ、それではあなたは今から新しい生活を送ることになります。念のため覚悟はできていますか?」
 男は即座に「ああすべて処分している。もう今までの生活に思い残すものは何もない」と応じると、突然意識が遠くなっていき、気を失った。

ーーーーーー
「あれ?」男が気付いた時には、見知らぬ場所にいる。「どこだここは」和風の建物の中にいるようで畳が敷いてあった。
「いったい」男は訳が分からないが、ふと壁に絵が掲げられていてそれを見ると急に鳥肌が立つ。そう、その絵こそ記憶を失う前にいたアンティークに囲まれた洋館そのものだ。
「つまり、あそこに掲げられた絵の中に...…」不思議なことだが男は絵の中に閉じ込められたような気がした。とはいえ体は普通に動く。
「ようこそ!」部屋のどこからか声が聞こえる。男は声のするほうを見たが誰もいない。「ここは18世紀の日本に告知した世界である。新しい生活を楽しむが良い」再び聞こえる声。男はいろいろ言おうとして声を出すが、二度と声は聞こえなかった。
「おい、18世紀って江戸時代かよ」その時男は、自分の着ている服装が和服であることに気づく。「まさか、それって」男はゆっくりと頭を触る。「あ!」再び鳥肌が立った。頭には髷がついていたからだ。

 男は部屋の外に引き戸があったのでそれを開けてみた。すると時代劇のセットのような世界が広がっている。江戸時代そのままの格好をした人たちが往来していた。暫く男は唖然とその様子を眺めていたが、徐々に不安が襲ってくる。「新しい生活って!この時代に、どうやって生きろというんだ」
男は即座に後悔の念に駆られた...…

ーーーーーーー
 あれから1か月が経過している。理由は全く分からないが、新しい生活が始まってから全くと言っていいほど違和感も抵抗もなく過ごせていた。自然と頭の中で自分の立場、それからどこに家があってどうやって食事をするかを把握している。またこの新しい世界での他の人とのコミュニケーションも問題なくできているのだ。
「どういうことなんだろう。俺の知らない世界の強力な力で、新しい生活を送れているのか...…」最初の数日は自問自答を繰り返す。だがいつしか自然に新しい生活を楽しんでいるためか、そのようなこともしなくなっていた。

「あれから一か月か、過去の生活も記憶にある。でも新しい生活を普通に過ごせているし、この生活が嫌ではない。そうか、それでいいんだろうなぁ」男はそういうと、ゆっくりと立ち上がり、頭の髷を触る。そして江戸時代を思わせる世界の中で、新生活をたのしく満喫するのだった。

https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A旅野そよかぜ

https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C

------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 1156/1000
#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#新生活をたのしく
#不思議物語
#世界の美術館

この記事が参加している募集

スキしてみて

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?