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開ける、空ける、そして明ける

「ふぁああ眠い」現地時刻は朝5時前だろうか? 真っ暗な道を、ワゴン車が走り続ける。

 今から5年前。ここはカンボジアのシェムリアップ。
 大学教授の船橋は、数名の学生を引き連れて、アンコールワットの観光に来ていた。「先生、ふぁああ。まだ眠いです。アンコールワット昼からでもよかったのに」口と顎に不精ひげを蓄え、髪を後ろで結んでいる学生の成瀬が、不満そうに大きなあくびをしている。
「そうよ、昨夜は遅かったから3時間も寝られなかったわ」
 成瀬に同調するのはもうひとりの学生・福本。対照的にショートカットの彼女は眠そうではないが、明らかに不機嫌な憮然とした表情だ。

 他の学生たちも黙ってはいたが、目も開いていないのか、眠そうな表情をしている。ワゴン車は不満の空気に満ち溢れていた。
「君たち、朝早くからすまないね。でもこの時間に遺跡を見ないと、アンコールワットの本当の凄さが解らないぞ」学生とは対象的に完全に目覚め、すっきりした表情の教授船橋は、自慢げに語り出す。

 気が付けば、何もないはずの道が渋滞になっていた。
同じように遺跡見学をする車や、トゥクトゥク(オート三輪タクシー)のテールライトの赤い光が帯のようにいくつも続いて見える。
「さあ、遺跡公園についたようだ」
 声からして元気の良い中高年の船橋と、眠そうに頷く若い学生たちの対象的な姿は、実年齢が逆転しているようである。

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 遺跡の入口にあるゲートで一旦、車を降りる一行。ここで公園に入るための手続きを行う。
 船橋は、不満そうに歩く学生たちの手続き終える。そこからもう少しだけ車に乗つた。駐車場らしき真っ暗なところでワゴン車は停車。ここで車から再び降りる。
「ここから少しだけ歩く、真っ暗なのでみんな離れないように」
 船橋はそういいながら、同行している現地ガイドが持っている懐中電灯を指差す。そして学生たちに注意を促した。
「先生、本当にこの先にアンコールワットがあるのですか? 真っ暗で何も見えません」
 成瀬が歩きながらつぶやき終わったとき、ほぼ同時のタイミングで突然暗闇の一部に変化が起こった。

 暗闇で何もなく空いていた空間に、こげ茶色の何かが突然みんなの視界に浮き出てきたのだ。
 歩くにしたがってその何かが鮮明になっていく。どうやら遺跡のようなものに見える。


「ここに門があるから気を付けて」船橋が、声を出す。
 暗闇なのではっきりわからないが、明らかに門のようである。
 ここに来る前に、船橋から何度もアンコール遺跡のクメール文化に関する講義を受けていた学生たち。暗闇から出てきた「本物」を見たためか、 それまでの睡魔が吹っ飛んでいく。一斉に目が開いた気がした。

 門をくぐりもう少し歩くと、人の影、闇の中に多くの人がいるのが見える。見て字のごとく黒山の人だかりだ。
「では、皆さん。ここで日の出までゆっくり見学していてください」
 日本語がうまい現地ガイドがそう伝えると、船橋は学生の誰よりも率先して、見学者の間をかき分けながら前に進んでいく。

「先生! 待ってください」慌てて市川の後をついていく学生たち。船橋は旨く隙間に体をこじ入れるように前に進んでいく。
「先生! この前に遺跡があるのですね」数十分前とはうそのように目が冴え渡っている成瀬の元気な声。
「その通り。君たちは初めてだと思うが、これを見たら恐らくわかると思う。フランス人たちがジャングルからアンコール遺跡を発見したときに、最初は宇宙人か超古代文明の遺跡と勘違いしたことがな」

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 船橋と学生たちは、しばらく前を見つめていた。
数分経つと徐々に日が明けてきたらしく暗闇の色が変わってくる。
すると目の前に何か壮大な建物が空間を開けながら浮き出てきているようだ。
「ああ見えてきた!」福本は嬉しそうにスマホを取り出して撮影を始める。
「まるで魔界のようだ」成瀬が唸るように声を出す。暗闇から見える遺跡のシルエットは、確かに物語の世界の魔界そのものに見える。
「恐らくは、魔界をイメージして物語を作るときの参考になったかもしれんな。しかし何度来てもこの瞬間は感動する」船橋も自らの立場を忘れ、徐々に鮮明に映し出されていく遺跡をゆっくりと見つめる。

 そんな感慨にふけり、ときが経つのを忘れてしまいそうだが、外の世界はそうはいかない。日はさらに明けてきた。シルエットからはっきりとアンコールワットの形が見える。
「おお!」学生たちは思わず唸った。
 周りでは他の観光客が写すフラッシュの量がますます増えている。遺跡がまるで有名芸能人が登場した瞬間のようなフラッシュの量。フラッシュメンバーには学生たちもその仲間に加わっていた。だが船橋はそれを動画に収めていく。一体何に使うのだろう。
 
 さらに時間が経つと、フラッシュが不要になるまでに、遺跡の姿がはっきり見える。

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 日がほぼ明けてきたところで、観光客は順番に遺跡の中の見学に向かった。
「そろそろ中に行きましょう」船橋と学生たちも、ガイドに案内されながら遺跡に近づく。ドアがなく、入口が開いたままになっている遺跡に入ろうとしたとき、東の空から完全に明けた太陽の光が隙間から差し込んだ。

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「船橋先生お元気かな。でも今度いつ行けるかなぁ」2021年冬。学生時代に伸ばしていた髭も後ろ髪もすっかり切り落とし、社会人2年目になった成瀬は、マスク姿で朝の通勤途中。
 偶然に視界に飛び込んできたアンコールワットのポスターを見て、5年前の記憶をよみがえらせながら小さくつぶやくのだった。


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