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一人じゃ気づけなかったこと 第619話・10.3

「多すぎる、多すぎてひとつじゃまとまらないんだ!」休日の日曜だと言うのに朝から不機嫌な海野勝男。ベッドの上から大声を張り上げる。妻の沙羅が慌てて勝男の顔を眺めた。「朝から、どうしたの? そんな大声出して」

「ああ、すまない。いや。ちょっとね」勝男は沙羅の顔を見て罰の悪そうな表情になる。「実は会社の話なんだ」「休みなのに、朝からそんな真剣な表情をして......。仕事が行き詰っているの?」
「いや仕事ではないんだ」話しながら勝男が首を横に振る。
「社長が、全社員に対して『一人じゃ気づけなかったこと』を考えるよう通達が来たんだ」ここまで言った勝男は思わずため息をつく。
「社長が? なんでまた」

「さあな。課長が言うには社員改革の一環なんだろうって。組織としてはみんなで協力し合って解決という発想がある。だから『個人プレーで頑張っても気づかなかった為に、本来の力が出なかった可能性』という想定があって、それを考えろってことじゃないかなって」

「それいつまでに考えるの」「来週の金曜日まで、勤務中には考えられないから結局、家で考えないといけない。もう貴重な休みが台無しだ!」
 勝男はまた辛そうな表情になり頭を両手で抱えだす。
「なるほど、確かにひとりじゃ気づかないこととか、できないことって、そりゃ色々あるわね」
 沙羅はようやく夫の悩みを理解でき、内心ほっとした。
「だろう、あることは間違いない。いっぱいあると思う。けど、じゃあ具体的に『どれだ』って言われてもな。いっぱいありすぎるだろうし、どうしたらいいのかわからないんだ」
「ねえ、それって、仕事の話だけ?」「いや、別に仕事でなくても何でもいいようだ。別に家族のことでも」

「だったら一緒に考えようか?」沙羅の笑顔。
「なに、そうか。助かる。お前何かないか?」沙羅の思わぬ助け舟に勝男の表情が少し明るくなる。
「それはいっぱいあると思うわ。例えば」「うん」
「この前、寿司屋に行ったでしょ」「ああ、俺たちは魚が好きだからな。給料が入ったら毎月行っているな」

「それも回転ではない寿司屋ばっかりね」「だから俺たちはエンゲル係数が高すぎ...... あ、さっそくだ。これ、ひとりじゃ気づけなかったよ!」勝男の表情に笑顔が浮かぶ。

「そのときよ。なんだっけ魚の種類。私が名前見ても分からなかったけど、あなたがさっと教えてくれてようやくわかった」「ああ、そういうことか。魚は地域によって名前が違うからな。なるほど。そういうことか。それだったら」
 今度は勝男が何か思いついたようだ。「先々週だっけ、一緒にデパートにに行っただろう」「うん」
「あのときだ。俺はてっきり書籍売り場と同じフロア、それも隣に登山、キャンプ用品の売り場があると思い込んでいたんだ。それで行ったのに、あるのは全然違う骨董品のようなツボが売っていたじゃないか」
「ああ、7階ね。そうよ登山品売り場は6階、そっかあれ、私が気づいたのよね」「そうだよ。思い込みって怖いなってな。ありがとう」

「あと」「まだあるのか?」
「そのあとよ。登山の道具見ていたとき」「ああ、そうそうこの秋は本格的な登山でも楽しもうって言ってたからな」「まあ登山と言っても千メートル級だからあんなに重装備見てたし」沙羅が思わず吹き出す。
「そうだよな。あ、それも俺勘違いしていた。北アルプスとか3000メートル級の山登りするような道具見てたよな。うん、ひとりじゃなくてよかった。余計なものを買うところだったよ」
「あ、あ、それじゃないんだけど」「え、違うのか?」勝男の目が大きく開いた。

「高圧洗浄機よ。あなたが登山用品真剣に見ていて、私あのとき暇だったから、ちょっと隣の売り場見たら、そこに高圧洗浄売ってたわ。そうなのよ。高圧洗浄機は環境にやさしいって聞いてたから、いつか欲しいなあと思いつつ忘れていたの」「そうだったな。なのに、そこで買わずに、ネットで買ったんだよな」「まあね。その方が安いし、ポイントがたまる。それに持ち帰らずに済むから」といって笑いながら軽く舌を出す沙羅。

「いっぱいあるな。やっぱりふたりだと出てくるな。そうだ!」勝男が両手を叩いて音を鳴らす。「よく考えたら君がいたからいろんな意見が出た。これだ」「え?」
「『ひとりじゃ気づけなかったこと』とは、そのテーマの答え自体が、ひとりで気づけなかったことが多かったってことだ。妻と話し合ってある程度答えがまとまったてね。これを会社の課題で出そう」
 それを聞いて一瞬顔が固まったがすぐに笑う沙羅。「そ、それいいわ。よかった。問題に気付いて」その横で勝男もこの日初めて笑うのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 619/1000

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