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くま読書 ロバート・ツルッパゲとの対話

ワタナベアニさんを知ったきっかけはおそらく幡野さん経由だったと思う。

国内外で活躍を続ける写真家・アートディレクターのワタナベアニ氏による初著書。海外と国内とを行き来する著者による、この国の「哲学」について。「自分がしたいことを考えず、与えられたことだけをこなして自分を騙してしまう。これが哲学の不在です」と、著者はそう語ります。私達はいま、自分に正直に生きているでしょうか。“大人の幼稚さを通過して、もう一度純粋な子どもの目を取り戻"したい、そんなあなたへこの本を贈ります。哲学の世界へようこそ。

私が自分の好きな本に対して何かを書くのは、自分が思ったことを可視化したいのもあるけれども、一番の理由は、何かを生み出している人たちに対して、その人たちの様々なメッセージが、私の心を作り上げている一部になっていることに感謝したいという気持ちが大きい。

とはいえ、作者が意図したメッセージの全てを上手くキャッチできている自信は全くない。というか、はっきり言ってキャッチしている訳がない。私というフィルターを通しているので、かなり違うものになってしまっている。その部分には自覚的になって、いつでも忘れないようにしたい。

あくまでこれは、「私が感じたこと」なので、みんな違う意見があって当然だし、正解なんてものはない。でも「こんなものをギフトとして受け取ったよ〜」という単なる私信を表現することは(迷惑をかけない範囲で行なえば)様々な作り手の立場の方にいいことなのかなと思う。

「ロバート・ツルッパゲ」はアニさんが生み出した、対話のためのもう1人の自分です。(表紙の格好良いおじさんはロバートさんではないのです)「ロバート」が何かを言うと客観性が生まれる。私の中では「メタ認知」的な存在のようなイメージ。

「生きるためのセンス」をアップデートしないと、これからのシビアな時代は生きていけないのだ、とロバートは言います。

私の中に届いたワタナベアニさんを一言で表現するならば、「美しさ」である。

それはご本人が撮られる写真の「美しさ」は言わずもがなで、場面の切り取り方や写真の登場人物に対して尊敬の念とエレガントさを感じる。(エレガントということばを初めて使ったかもしれない。ことばに不慣れですみません)見ているとアニさんの写真の登場人物になりたいという変な憧れを抱いてしまう。出てくるものは、ただそこにいるだけなのだが、それが強い輪郭を持っていて、光のように差し込んでくるような錯覚におちいる。

それはアニさんが誰よりも「ことば」を大事にしているからだと思う。

なぜこの作品が成り立っているのかについておそらく明確な「ことば」の答えがある。

もう一つ感じたのは「不寛容」について。

不寛容についての厳しさを感じる。

不寛容であるものは美しくないのだ。


この2つの記事を読むと、人間はすぐ相手と自分を分断して、さも自分は正しい位置にいると思い込みたがる生き物なのだな・・と悲しみを感じる。安全な位置を作り出して相手を攻撃ばかりしていると、想像力が働かなくなってしまう。自分も意識はしてないが、日々このようなことを知らず知らずに行なっている。これは100%近い確率だと断言できる。

つい先日も、市役所の生活保護課の方から、市内にあるアパートの騒音被害の一件についての話を伺った。大家さんから出ていってほしいというクレームが出ている、でも市役所はご本人とアポイントメントがなかなか取れないという話。これは「騒音を出す人がいけない」という単純な話ではない。もちろん近隣の住人にとっては大変迷惑な話だと思うが、単純に出て行ってもらって「終わり」ではない。騒音を出している相手も人間である。もっと、社会的なしくみに目を向けていくことや、騒音を出している人の物語に踏み込んでいく人が必要となってくる。それは「市役所」だけにまかせておけばいいと思っていたら、大きな間違いだと思う。

複眼的な目をもつこと。アニさんはそれを様々な国へ行くことで養っているのではないかと感じる。

コロナ渦の状況で、人とふれあえない、旅行に行けないことで、経験を重ねにくくなってきている中、今後どのように複眼をもっていけるかについて、自分と子どもを含めてあり方を考えていきたいと思う。

そして、美しく感じるものには理由があることをアニさんに教えてもらった。自分の感じる美しさについて、何に惹かれているのかを生きていく時間のなかでじっくりとときほぐしていきたい。

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