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つづれおりとアスパラガスの天ぷらがくれたものは

「あれ、誰の母ちゃんだ?」


後方から男子たちの声がひそひそと聞こえて来る。

私は、決して私に向けられていないであろうことばたちが

するりとどこかへはねて飛んでってしまわないように

何とかぎこちなくキャッチして

その後、じんわりと耳のほてりを感じていた。


絶対に振り返ってはだめだと思った。
俯いた視線は机の小さな凹みを捉える。

穴があったら入りたい。
でもこんなちっちゃな凹みは、大きな私を隠してくれないだろう。


『その母ちゃんは私の母ちゃんだよ』

と私は心の中で、小さくつぶやく。

ショートカットの黒髪が清々しい
大きな力強い瞳を備え
内面の自己主張の強さを表しているような
顔立ちのはっきりとした
ミニ丈のスカートのパリッとした女性は

誰がなんと言おうとまぎれもなく私の母親だった。


まわりのお母さんたちの格好と比べても、確かに母の姿は少し異質だった。

なんというか...うまく言えないが、田舎の出身者にしてはやや都会的な人だったのだ。


私は母と似ていない。


母は感情表現が豊かで明朗快活な人だった。何事も白黒はっきりつけたがっていたし、即断即決で行動力もある。理不尽なふるまいをする人を許さず、そんな相手に対してはっきりと「あんたキライ、あんたのここがいけないよ。」と堂々と口に出すタイプであった。そして情に厚く、困った人をみると胸を痛め、何か手立てや方法がないのか持ち前の機転の良さを生かして、たくさんの身の回りの人を助けた。
そんな母は同性からは姉御のように慕われた。
母の事を好きな人と嫌いな人。人間関係はわかりやすいぐらいにはっきりと分かれた。
また、比較的美人の部類に入るその顔立ちを持ちながら、うまく女性性が表に目立って出てこないように(むしろそういうものが彼女自身嫌いなのだと思うのだが)異性とは対等にやりあう賢さももっていた。


何しろどこにいても彼女は目立つ。


この親にしてこの子あり。

と、私は母と祖母をよく比較していた。


そしてそんな母親をのんびりと眺めている私は、母の子に似つかわしくなく、昔から非常におっとりとした性格であった。


思考も動作もすべてが遅い。
物事がすぐ決められない。
人にはっきりと言えなくて泣く。
人が怒られていても泣く。
足踏みをしているうちに
全ての物事は決まっていくし
学校の絵画コンクールは
いつまで経っても完成せずに
放課後に先生と2人で
よく教室に残っていた事も思い出す。


一時期、一人だけ自分が違う血液型だったことで(O型の私以外全員B型)「もしかして私は橋の下から拾われてきたのではないか」と本気で思い込んでいた時もあった。私はできる母親とだめな自分の落差に落ち込んでいた。

敵わない.....。

戦うつもりも毛頭ないけれども、私は母親のようには到底なれないとも思っていたし、母を超えることは一生ないと悟った。

そして、私がのんびりとしていることで、母親に何度も迷惑をかけているんじゃないかと被害妄想的に後ろめたさを感じるようになった。高校を中退してからはそんな気持ちはますます加速度的に膨れ上がった。

私は両親に対しての罪悪感を抱え、それは同時に生きることへの罪悪感へと発展した。

ご飯を食べる時
楽しい事をしている時
絵を描いている時

常に心の片隅で
「私にこんなことをしている権利なんかない」という声が聞こえてきて
私は自分のやっていることを存分に味わうことができなかった。

アイデンティティクライシス後に訪れたモラトリアム期。

私は私自身に価値を認める事ができない日々を過ごしていた。


ある日のこと。
「荷物をもってほしいからついてきてよ」と突然母に買い物に誘われた。

私は断る理由もなかったので、めずらしく親子で近所の商業施設へと足を運ぶ。

私は母に対して少しだけ緊張していたことを覚えている。なぜならその時に肩回りがこわばっていた感覚が、この時の思い出とともに蘇ってくるからだ。
そんなかちかちと石のように固い動きをしていた私は、スーパーのエリアへの移動中に、あるCD屋さんを目にする。私の小さな視線の揺らぎに気づいた母は
「いいよ。見てきなよ。お母さんもたまにはCD見たいのあったからさ。」
と店舗に入るように促してくれた。


私は洋楽コーナーへすすみ、ある1枚のCDを探していた。


キャロル・キング「つづれおり」

私は彼女のCDアルバムを購入する事を以前から決めていた。

特に「You’ve got a friend」が好きで「Winter, spring, summer or fall(冬も春も夏も秋でも)All you have to do is call(ただ私を呼べばいい)」というフレーズに、一人で過ごしていた私は、なぜだか妙に惹かれていたのだ。


そのアルバムを手にして眺めていると

え?何?それ買うの?」と

近づいてきた母親がひどく驚いた様子を見せていた。

母はいつもの笑顔になり、私にこう話した。

「お母さんもそのアルバムが昔から大好きでね。レコードで何回も聴いたの。まさかあなたがそのアルバムを選ぶとは思わなかった。
やっぱりあなたはお母さんの子だね。
今日は嬉しいからこのCDはお母さんに買わせてね。あなたへのプレゼントだよ。」

私はそう言ってレジに向かう母親に驚き、しばらくその場に立ち尽くしていた。


私は毎日このCDを聴いた。


母は知人にこの時の「つづれおり」のアルバムのエピソードを話すことが何度かあった。『自分の子供が自分が昔好きだった曲を聴こうとしていた』という話を嬉しそうにする母を横目にして、私はとても嬉しかったのだと思うし、そしてどことなく照れ臭い気持ちになった。


その頃から私は、相変わらずゆっくりとした速度ではあったが、閉じこもっていた家から範囲を広げて、様々なことにチャレンジできるようになった。


そして転がり続けて数十年、今に至る。


私は先日、実家に預けていた我が子たちを迎えに行った。

子供たちはちょうど夕飯を食べているところであった。

「天ぷらあげたからあなたも食べていく?」

母は私に夕食をすすめた。

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私はアスパラガスの天ぷらの苦味と甘味のおいしさに感動し、母に感謝とお礼を伝えた。

母は軽やかに「あ、そう」と一言だけ返事をする。

私はそれを聞いて
やっぱり「母には敵わないな」と今でも同じように思っている。


けれどもあの頃の私と違うのは


母からもらったキャロル・キングのCDが教えてくれたこと。

私はやはり母の子であるということ。

そして、母には敵わないかもしれないけれども、私は私で良いのだということ。

「私をいつでも呼んで」といってくれる人がどこかにきっといるということ。

逆に私がいつでもかけつけたい人たちが、私のまわりにもたくさんいること。


つづれおりの贈り物。


そんなカケラたちを私は礎にして
今日も誰かに想いを渡す。

全ての想いは通り過ぎていくだけ。

残らなくてもいい。

トンネルみたいに通り抜ける時に

その大切な何かはきっと

人を生かすものなのだと思う。

そして、私はもらったものを

次の人に渡すことができたら

きっとあの時の母のように

強くやさしくなれる。

今でもそう信じて疑わないのだ。





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