死ねと言われたキミは今日も隣で生きている
私の息子が学校の机に「死ね」と書かれて…..あれからもうすぐで2年になる。
この記事を書いた時、私はあまり心の余裕もなかった。
息子がどう思っているのか、どうしたいのか、丹念にこぼさないように、私は必死にかき寄せてすくい集めていたのだと思う。この思いの熱が冷めてしまう前に、今この時にできることをしなければという気持ちが強かった。
そして、今回の出来事はみんなにとってはどういう出来事であったのか….そんなことを気づいたら学校に投げかけている自分がいた。
当時はnoteの注目記事に選ばれて….実はいまだにこの記事はスキをおして頂けることがある。
正直、これに関しては純粋に喜べない自分もいる。
この記事が注目されるということは、少なからずともいわゆる「いじめ」に関心が高い人がいるということかもしれない。
ということは、同じように苦しんでいる人たちがいるということをどうしても想起してしまう私もいる。
トラウマのように、刻印のように、ぶわっとその場面や嫌な気持ちが蘇ってきてしまう人たち。夜も眠れない人たち。自分の足場がぐらついてしまう人たち。身体症状が出てままならない生活を送る人たち。
重荷を背負って苦しい人たちが少しでも心休まる時が訪れたらいいのになぁと、思っている。
私には思うこと。祈ることしかできない。
どこかの誰かの心がやすらぎますように。
話は戻るが
「死ね」と書かれた我が息子は、死なずに今日も私の横で楽しそうに生きている。
鼻歌を歌いながらにこにことウルトラマンの怪獣のおもちゃで遊んでいる。
この人は、たくさんおしゃべりはする癖に自分のことは案外話さない人でもある。
昨年の話である。
感染症が流行している関係で、その当時は2者面談がリモートで行われることになっていた。私は息子が普段学校で使っているタブレットを前にして、先生と話す時間まで待機していた。
先生が画面にあわられる。挨拶をお互いにする。
学業のこと、学習態度、苦手なこと、得意なこと、生活のこと、いろいろと先生は教えてくださった。
その中で先生はある話をした。
クラスメイトの中に耳が聴こえない子がいるらしい。息子は普段からその子の事を気にかけて、生活の手助けを自然としていたらしいのだ。
『その話は、はじめて聞いたな.....』
私はこの時点ですでに息子に対して驚いていた。そんな話、家ではしたことがなかった。
先生は話をすすめる。
校外学習があり、まずその子が参加するかどうかということがわからなかったらしい。息子はその子も参加できたらいいのに!と担任にしきりに話していたそうだ。
そして結果として、その子は校外学習に参加することになった。
その理由は「うちの息子がいるから参加しようと思った」とのこと。
そして、バス席も息子の隣に座りたいとわざわざご本人と親御さんからご指名があったそうだ。
驚いたのはこの先である。
息子は、その話を聞いて涙を流して喜んでいたそうだ。
彼が行けること、そして何よりも自分を指名してくれたことに感激したらしい。
「えー!そうなんですか?」
私は先生に言った。
先生も穏やかに...そしてとても嬉しそうに報告してくださった。
「〇〇くん(息子)のいいところ、まっすぐなところ、友達思いなところ、私大好きなんです。それは今後も伸ばしていきたいです。お友達もお母様も本当に感謝されていました。無事に校外学習に行けて良かったって!息子さんのいいところがクラスにも波及してるんですよ。」
私は先生にお礼を伝えた。当時の担任の先生はうちの息子のいいところをいつも伸ばそうと懸命に努力してくれていた。
グラフの授業も、息子の恐竜好きを活かして「クラスメイトは何の恐竜が好きか?」というアンケートをとらせて、グラフを作成し、発表する機会を設けてくれた。かなり彼の中で自信になった様子がみてとれた。
彼はまわりに素敵な人がたくさんいる。
これは運の要素もあると思うが、彼の生き方も関係していると思っている。
いつも楽しそうだ。
何事も楽しく取り組んでいる。
でも彼の中にはたくさんの想いがある。
ある日「僕は机に昔死ねって書かれたしねー。」と過去のことを振り返っていた。
私は「今はどう思ってるの?」と聞いた。
「えー?許せないよ。許せることじゃないもん。」と答えた。
「でも、僕は死なないよ。それで死んだらたまったもんじゃないよ。」とあっけらかんと答えた。
彼の中であの日の出来事がどのようにとらえられているのか知りたくて、私は問いをなげた。
彼は彼らしい答えを私に返した。
そうだね。許さなくていいよ。人を傷つける行為、人に死ねという権利は誰にもない。
でも君は楽しく生きていくんだ。頼もしいな....。
私は彼の強さに励まされた。
そして、先日はやさしさにも励まされた。
先週、学校でバザーがあった。感染症対策で一般参加者は入場できなかったので、私はバザーには参加せず自宅で待機していた。
息子が夕方帰ってきた。
「バザー楽しかったよ。」
「はい、これ、お母さんに.....」
渡されたのは食器用の洗剤だった。
「これどうしたの?」
「これね、お母さん使うかなって思って買ってきた。使うかなー?」
「えー!もちろん使うけど....ありがとう。私のために買ってきてくれたの?」
「うん。いつも食器洗ってくれてるから....ありがとう、お母さん。」
私はこの時点でかなり感動していたのだが、バザーで購入した他の戦利品を見て、さらに驚いていた。
花柄のポーチ、髪の毛をしばるアクセサリーといった、息子がどう考えても使わないような物ばかり、彼は買ってきたのだ。
他の物に対しては息子は説明もせず、自転車に飛び乗って颯爽と友達と遊びに出かけてしまった。
無造作に置かれたそれらを夫が見て「これ全部君のために買ってきたんじゃないの?昔からそうだよね。自分のために使わないんだよ。旅行とかもいつもお土産は家族のものを真っ先に考えてるじゃん。」と話した。
彼は彼で生きている。
あの日に「死ね」と言われた彼は
こうして私の横ですくすくと育っている。
「死ね」と言った人への最大の復讐は
楽しく生きることだと私は思っている。
人の生死を決める権利は誰にもない。
悪ふざけだったとしても、子供だとしても、
私はそれはしてはいけないことだと思う。
言った方はもしかしてとっくに忘れているかもしれない。
でもそれはそれでいい。
やさしく
楽しく
つよく
彼が心踊るように生きていることが
私にとっての反抗。ささやかな復讐。
そんな人たちにとらわれて人生を暗い色にするのも
自ら選択して人生に差し色や明るい色を入れ込むのも
結局は自分なのだということを
私は息子と生きている中で教えてもらっているような気がしている。
ありがとう。
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